君影
「泣いているの? 何か、哀しいことがあったのね」
「関羽」の手がそっと持ち上がり、関羽の頬に触れた。ひんやりと冷たい手。それに反応する暇もなく、関羽の頭に突然色々な光景が流れ込んできた。
何度行っても嫌悪感の拭えない場所。土さえ涸れ果てた戦場だ。どこを見ても赤い。血の海、とはまさにこのことだ。視線が下がり、横たわる亡骸が視界に入る。特徴的な耳。関羽がよく知る、猫族のみんなが、青を通り越し白い顔をして血に塗れていた。それを認識した途端、胸に何かが広がっていく。
今度は部屋の中にいた。今関羽がいるのと同じ部屋だとやがて気づいた。蝋燭の明かりが揺れている。ふいに灯りが大きく揺らぎ、蝋燭が消えた。目は暗闇に慣れないまま、扉の開く音がした。こつり、とこれもよく知る足音。視界が戻ってくる。綺麗な黒髪と、熱に浮かされたかのごとく狂気に染まった黒い瞳が見えた。どこまでも優しい手つきで、けれど痛いほどの力で抱きしめられる。体内に感じる命の鼓動。歓ぶべきはずなのに、とても、おそろしい――
「い……っ、やあああああ!」
耐えきれなくなって、関羽はその冷たい手から身を捩って逃れた。同時にあの光景は消え、また目の前には部屋が広がる。けれどそれは同じ部屋で、関羽は今自分がどこにいるのか、幻なのか違うのか、一瞬わからなかった。
震えが止まらない。あんな目をした曹操は、見たことがない。否、違う。幾度かあった。思い出したい、思い出したくない。
「不思議ね。あなたを見ていると、なんだか懐かしい気がするわ。どうしてかしら」
関羽が小首を傾げた。さらりと長い髪が肩を滑る。ああやっぱり、彼女は気づいていないのだ。関羽という異質な存在にも、自分の変化にも、曹操の変化にも。大事なものを失って、けれどそれをまた取り戻したと錯覚して。この関羽は、自分の心まで失ってしまった。
鏡像。唐突に、関羽は理解した。この関羽は鏡だ。鏡ひとつ隔てた、向こう側のわたし。長い髪も、衣装も、辿った過去も違うけれど、彼女はわたし。
これは夢。関羽はそれを思い出す。
「懐かしいのは、当たり前よ……。わたしは、貴女なんだもの」
「あなたが、わたし?」
「お願い、思い出して、『関羽』。すべてを失う前に、貴女が願っていたことを」