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凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》

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 その時は、武士として当然のことだと思っていた。
 目の前で討たれる仇は、当然の報いでこうなったのだと信じていた。


 しかし、いざ自分が当事者になると感じ方は全く違った。
『仇討』は人を殺めることと同じ。

 脳裏に大叔父が血溜の中に倒れている光景が浮かんだ。
恨みや怒りの感情に乗っ取られ、ただひたすら刀を振るった。そして斬った。
 助三郎は震えた。
 
『俺は、父の仇をとった孝行息子なんかじゃない…… 人殺しだ……』

 急に『殺人ではない仇討だ』言われても、やはり納得は出来ていなかった。  
様々な感情が入り混じった助三郎は、その夜も穏やかな眠りにつくことはできなかった。

 



 助三郎が水戸に戻ってから半月以上が過ぎていた。
そんなある日の昼過ぎ。
 訪問者などほとんどない寂しい牢に、男が訪ねてきていた。
 
『助ちゃーん! 起きてる? あ、お昼寝中かな?』

 呑気な様子でフラーっと入ってきた九壱郎。
うつらうつらと舟を漕いでいた牢屋番は慌てて飛び起きた。
 牢屋番が居たことに気付いた九壱郎も慌てて、すぐに言葉を改めた。

『火急の要件だ。佐々木の牢へ鍵を持って案内せい』

『は、はい……』
 
 彼は言われるまま、助三郎が入っている牢の前に九壱郎を連れて行った。





 牢屋番が立ち去ったのを見計らうと、九壱郎は牢を覗き込んだ。
  
『助ちゃん、今日も写経?』

 助三郎は牢の隅で蝋燭の明かりを頼りに、写経をしていた。
近頃はひたすら写経をする日々だった。
 気分を静めるため、殺めてしまった大叔父の供養のため。
 一心不乱に彼は一文字一文字書いていた。
 九壱郎の声など、耳に入ってはいなかった。

『助ちゃん…… 終わったら教えてね』




 しばらくして、写経を終えた助三郎は九壱郎の訪問に気付いた。

『あれ? 待たせたか?』

『うん。朝からずっと』

 九壱郎は意地悪く言った。
すると助三郎は真に受けたようだ。

『すまなかった…… 忙しいのに』

 本当にすまなそうな顔をする彼に、九壱郎は笑った。

『冗談だよ。さっき来たばかり』
 
『それで、何か用か?』
 
『うん。無罪放免だから、迎えに来た。こんなカビ臭い牢屋とっとと出よう』

 そう言って九壱郎は鍵を開けた。
牢屋での日々で、心の整理をつけたつもりの助三郎。
 しかし、まだすっきりしなかった。

『……本当にいいのか?』

『うん。無罪。ちゃんと証拠出てきたから。それと、仇討だから上から褒美も出るって』

 褒美など入らなかった。
気になるのは、証拠。

『証拠って、どんな証拠だ?』

『昔勤めてた下男への文の下書きと、日記。助ちゃんの父上を殺る手筈が細かく書いてあったってさ……
詳しくは、平居様に聞いて』

 その時初めて、助三郎は父を殺した大叔父への憤りの念を少し感じた。
 そして、ある結論を導き出した。

 自分がとった行為が、自分の中で『殺人』から『仇討』に変わる時。
 それは、大叔父に対する怒りや憤りの気持ちが、大叔父を殺めてしまったという罪悪感に勝った時。
 
 ようやく気持ちにけじめをつけることができた助三郎は、九壱郎に礼を述べた。


『ありがとう、いろいろしてくれて……』

 しかし、彼の表情は暗かった。

『礼はまだ早いよ。あの仏さん、色々厄介な物、残してったから……』

『え?』





 『厄介な物』

 それが助三郎を、そして早苗を苦しめることとなった。