凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》
<05> 必死の捜索
助三郎の衝撃の告白に、一同は黙ったままだった。
重苦しい空気が漂う室内。
しかし、その中から、思い切って声を上げた者がいた。
それは、途中から輪に入っていた、茜の兄の誠太郎。
「……実は、以前茜の嫁入りの打診がそちらから来ました。それも、『厄介な物』でしょうか?」
助三郎は驚き、頭を下げた。
「茜さんに見合い話を!? 本当に迷惑お掛けしました……」
「お気になさらず。茜は既に嫁入りが決まっていましたので、丁重にお断りしました」
その言葉に、由紀が喰いついた。
重苦しいその場の雰囲気を、少し変えようとしての意図もあった。
「茜さん、おめでとう」
「おおきに」
嬉しそうな茜。
しかし、すぐに横の誠太郎が咳払いをした。
「あ、ありがとうございます」
誠太郎は少し呆れ顔。
理由は、茜の言葉にあった。
「この通り、まだ芸者言葉が抜けないのです……」
「これからきばります。あ、頑張ります」
染みついた言葉はなかなか変えられない。
笑い声が起こり、その場が和んだ。
「それで助さん。牢を出た後は?」
由紀は助三郎を促した。
「大叔父の下女の尋問をした」
「その下女はどうなったの?」
「役人たちが拷問した。だが、本気で早苗を殺すつもりはなかった。毒は盛って居ないの一本張りだ。しかたないから、牢に戻して代わりにそいつの間夫だった大叔父の下男を探した」
「その人は?」
「水戸に戻って来て潜んでいるところを捕まえて、これまた拷問だ」
「それで、早苗は?」
親友が心配な由紀は身を乗り出した。
「あぁ。無事だった。『手籠めにしようとしたら、男だった。逆に投げ飛ばされた』って言ってたからな」
「さすがね。あの時よりずっと強くなってる……」
そう感慨深げに呟いたのは、いつの間にか部屋の隅に居たお銀だった。
「あれ? 居たのか。で、あの時って?」
「茜さんの身替りした時よ。あの子、恐怖のあまり男に変われなくて襲われかけたから……」
「あれか……」
助三郎は再び罪悪感にとらわれた。
早苗を早苗と見抜けなかった。
そしてあの時、あと一歩遅かったら、早苗は……
しかし、お銀は助三郎を責めはしなかった。
「貴方がちゃんと助けたでしょ。貴方は何も悪くない。落ち込まないの」
「ありがとう……」
気を取り直した助三郎に、お銀は尋ねた。
「それで、水戸での用事はすんだんでしょ? 江戸に戻って来た後、すぐに早苗さんのところに行ったの?」
「……あぁ、行った。行ったが、そのせいで早苗を傷つけた」
助三郎は俯いた。
「早苗に大叔父を殺したことを打ち明けるのが怖かった。拒絶されるんじゃないかって……」
「でも、仇討なんでしょ? 早苗だってそれくらいわかるわ」
「いや。殺しは殺しだ。俺の手は血で汚れた……」
由紀は黙った。
しかし、助三郎は話を続けた。
「気に病みすぎたせいか、帰ってきてすぐ、俺は寝ぼけて早苗に斬り掛った……」
その手は震えていた。
「あとちょっとで、早苗を殺すところだった…… 俺の手で早苗を……」
手を睨み、彼は震える声で続けた。
「なのに、早苗はそんなことした俺を責めなかった。優しいいつも通りの早苗だった…… 逆にそれが辛かった……」
苦悶の表情を浮かべ、苦い思い出を語る助三郎。
それを聞いている皆は、彼に掛ける言葉に迷っていた。
「しばらく、早苗を避けてた…… その時だ、弥生が表立って行動に出たのは……」
忌々しげに言う彼が気になったのか、ようやく口を開いた者がいた。
「あの、弥生さんって、どういう方なんですか?」
新助がそう聞くと、すぐさま由紀が説明を買って出た。
「見た目だけで、お勉強全然できない、世事に疎いおバカ娘よ。でも、欲深で狡賢いの」
悪意に満ちたその説明に、助三郎は苦笑した。
「その通り。……大叔父はその性格を利用しようとしたんだろう。あの女に近づき、藩の書類を書き替え、俺の妻を弥生にした」
「……今は?」
訝しげに、由紀が聞いた。
まだ彼女は彼を少し疑っていた。
「いや、弥生を牢に入れた時に直った。俺の妻は早苗だ」
その言葉でようやく由紀のわだかまりが解けたようだ。
ほっと胸をなでおろすと、彼に非礼を詫び彼の労を労った。
「そういえば、あの娘の父上って家老職だったわよね? 大変だったでしょ?」
「あぁ。親父の地位を笠に着て俺を脅してきた。俺が籍を元に戻したり、早苗を嫁扱いしたら即格さんの正体を藩に密告するって」
「え!? あの娘、格さんの正体が早苗だって知ってたの!?」
早苗の天敵が早苗の生死を左右しかねない情報を握っている。
そのことに、由紀は驚きと焦りを隠せなかった。
「早苗の手籠め未遂の犯人と繋がってたからな……」
「それじゃあ、早苗を守るために、弥生の言うなりに?」
「あぁ…… そのせいで、早苗は……」
結局、助三郎は早苗を守ろうとして逆に早苗を傷つけた。
悲劇とも言えるこの展開に、その場に居合わせた皆は溜息をつくしかなかった。
「早苗さんを見つけ出して、誤解を解かないとね」
お銀がそう言って助三郎を励ました。
助三郎も、内に溜めていた物を吐きだして楽になったのか、前向きな意思を示した。
「ひとまずは、江戸で早苗を探そうと思ってる」
「なら、手伝います」
「わたしも」
その場に居合わせた者はみな、助三郎に協力する意思を示した。
「早苗のままか、格さんなのか、武家姿か、町人姿か、何もわからない。それでも?」
「やってみます」
「やります。お二人の為に」
皆の優しさに、助三郎は打たれた。
頭を深く下げ、感謝の意を示した。
「ありがとう。本当に申し訳ない……」
その晩、助三郎は弥七を呼び寄せた。
彼にも本当のことを打ち明け、協力してもらうことにした。
多くの仲間が、手を貸してくれる。
そのことにありがたみを感じていた。
しかし、彼の心の中で小さな不安が燻り初めていた。
それは、ある最悪の事態。
早苗が既にこの世の住人ではないという事。
最初は『渥美格之進』が居る限り、それはあり得ないと踏んでいた。
しかし、彼はあることに気づいてしまった。
『彼』には背負う物が何もないということ。
助三郎には、守るべき家と家族がいる。
一方、『彼』が失う物は己の身分と禄くらいしかない。
助三郎は祈った。
「……自分で自分の命を断つのだけはやめてくれ。生きていてくれ」
次の日から、助三郎は仕事の傍ら、必死に早苗の手掛かりを探した。
その晩は、吉原だった。
「いやはや、なかなか吉原もいいところですなぁ」
花魁との酒宴を楽しむ内蔵助。
傍には、天河屋。
「御家老はもっぱら、島原ですか?」
「はい」
「では、今頃馴染みの太夫が焼餅を焼かれておりませんかな?」
「おおそれは怖い。しかし、京は遠いでな」
「それもそうですな。ははははは!」
二人が楽しむその部屋の上。
屋根裏では助三郎が弥七と見張っていた。
作品名:凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》 作家名:喜世