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凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》

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「仕事が早いな。でも、親父は怒鳴り込んで来なかったのか?」

「来なかったんだよ、それが」

「なんで?」

「あれの親父殿は隠居して弟が采配握ってるんだ。彼からこれが来た」

 九壱郎は懐から何やら文を取りだした。
それを読んだ助三郎の顔色が変わった。

「……これ本当か? 見捨てるってのか?」

「薄情な弟ちゃん。怖いねぇ。助ちゃんの弟はそんなんじゃないよね?」

 ニッと笑った彼に、助三郎は疑問を抱いた。
しかし、すぐに打ち消した。

「……それより、九壱、これが用事か?」

「ううん。まだ一件ある。早苗ちゃんのこと」

 助三郎の心臓がドキリと鳴った。

「……なんだ? 藪から棒に」

「彼女の件で、どうしても聞きたい事があるんだよ。いい?」

「あ、あぁ……」

 九壱郎は軽いノリの口調から、仕事の口調に切り替えた。
心なしか表情も厳しいものに変わっている。

「……助三郎、早苗殿は今年の春からどこに居る?」

 来るべくして来た質問。
しかし、助三郎はうろたえなかった。

「もちろん、水戸の佐々木家だ」

 これで大丈夫。
しかし、それは彼の間違いだった。
 
「いや、早苗殿はそこには居ない」

「……なに?」

 助三郎の身の毛がよだった。
まさか……

「『渥美格之進』として、お前と行動を共にしていた。違い無いな?」

 それは一部の者しか知らない事実。
 『渥美格之進』の正体。

 露見していた。
 
 助三郎は誤魔化すことも否定することもしなかった。
代わりに、九壱郎の胸倉を掴んで睨み、脅した。

「……お前、職権濫用して余分な事まで調べたな? 格さんをどうした? え?」

 彼の凄みに驚いたせいか、真面目な九壱郎は消えてしまった。

「助ちゃん、落ち着いて! 俺は渥美に何もしてないって!」

「本当だろうな!?」

「ほんとだよ。俺と助ちゃんの仲だ。早苗ちゃん昔から知ってるし。ほら、春恵の大親友だし……」

 春恵は早苗の親友。
 先年彼に嫁いだばかりだった。

「それ以上にね、平居様に口外無用って厳重に言われたの。言ったら、渥美じゃなくて俺の首が飛んじゃう!」

「そうか。さすがは平居様だ」

 ようやく助三郎は九壱郎から手を離した。
 ほっと一息ついた様子の九壱郎だったが、まだ言い足りないことがあったようだ。
 
「もう一つ謝っておく! 水野様の婿が千鶴ちゃんだっていうのも知っちゃった……」

 助三郎はその言葉には動揺しなかった。
 
「俺の実弟ってのは公表して結構だ。だが、元が女だってことはバラすな。平居様もそう言ってたろ?」

「うん」

「だから、格さんの正体だけは死んでも言うな。春恵殿にも言うな。わかったか?」

「わかった……」

 これ以上怖い助三郎はご免だと、九壱郎は素直に首を縦に振った。

「すまん、取り乱した……」

 乱暴なふるまいをしたことを謝る助三郎だったが、表情は重苦しかった。

「……今回、結構騒動になったんだ。だから、お前がそこまで調べても当然だ」

「助ちゃん、元気出して。あの女片付けたらすべて終わりなんだよ。頑張ろうよ」

「あぁ。あと一息だな」

 助三郎は大きなため息をついた。
仕事以外に抱えてしまった大きな問題。
 それが彼を精神的に追い詰めていた。
 
 彼の問題、彼の気持をよく知っている九壱郎、元気づけのためかとんでもないことを聞き始めた。
 
「仕事に関係ないよ、ダチとして聞きたいんだけど、渥美って、ほんとに早苗ちゃんなの?」

「あぁ。早苗だ」

 幼い時からの友人が裏切るはずがないと信じる彼は、素直に答えた。
 
「助ちゃんより背高いし、男前だし、柔術あんなに強いのに?」

「そうだ。信じられんよな。俺も最初そうだった」

「でもさ、助ちゃんってそっちの趣味あったっけ? あ、彼の男の色気に目覚めちゃった?」

 にこやかに話していた助三郎は一転、怒って彼の胸倉をまた掴んだ。
 
「俺と格さんはそういう関係じゃない! あいつをそういう眼で観たり、変な事言ったら、その場で叩っ斬るからな!」

 しかし、彼はニヤニヤしたままだった。
 
「怖いよ助ちゃん。でも…… あの人のこと、お慕いしてるんでしょ?」

 助三郎はピンときた。
彼が言わんとしていることが、何なのか。
 早苗と千之助の秘密を自分ひとりで探り当てた男。
あれも知っているに違いない。

「お前、まさか……」

「うん、水戸で一番可愛いって有名な美帆ちゃ……」

 その瞬間、九壱郎の目の前にキラリと光る物があった。

「さて、白井九壱郎殿。新妻春恵殿には申し訳ないが、どちらが宜しいか? 刺すか斬るか!」

 さすがの助三郎も、『美帆の正体は佐々木助三郎』という事実を知られるのは我慢ならなかった。
 男の威厳にかかわる。

「ごめん! もう言わない! もう言わないから刀引っ込めて!」

 酷く怯える彼を睨みつけると助三郎はすぐに刀を納めた。
 
「分かればいいんだ。分かれば」




 用事を終えた二人はまたそれぞれの仕事へることにした。
 去り際、九壱郎は真面目な顔で言った。
 
「ねぇ、助ちゃん」

「なんだ?」

「早苗ちゃん、大丈夫?」

 助三郎の心臓がドキリと鳴った。

「……大丈夫だ」

「何かあったら、すぐに言ってね」

「あぁ……」

「じゃあ、また」

「またな」

 遠ざかっていく彼の背を見ながら、助三郎は呟いた。
 
「大丈夫に、決まってる……」

 そう自分に言い聞かせた。





「帰ってないだと!?」

 次の日の夕方、助三郎は水戸の母からの文を手にそう叫んだ。
 文には、早苗が帰って来ていない事実と、彼女と助三郎を心配する内容が書かれていた。

 助三郎は酷く取り乱した。

「他に、他に行くところがどこにある!?」

 そして居ても立っても居られず、役宅を飛び出した。