凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》
彼の目には、若い侍と連れ立って歩く早苗が映っていた。
笑顔で何か言葉を交わしながら歩く彼女。
久しぶりに見る着飾った綺麗な女の姿。
「居た…… 早苗だ……」
彼の歩みは次第に速くなった。
そして、ついに彼女の前に飛び出し、手を伸ばしていた。
「早苗! やっと見つけた!」
しかし、その手は彼女に届くことは無かった。
彼女の隣の侍から、当身を喰らったのだ。
「無礼者! 何のつもりだ!?」
無防備だった助三郎は、すぐ地面に崩れ落ちた。
「うっ」
当たり所が悪かった様だ。
彼の意識が、段々薄れて行った。
しかしどこかから、意地悪くも優しさがこもった懐かしい声が聞こえた。
『やっぱりお前は鈍感だな。助三郎』
「早、苗……」
「あ、眼覚めました? よかった…… 先程は兄が失礼しました」
助三郎が眼を開けると、そこには早苗の笑顔があった。
何時ぶりかわからない彼女の笑顔。
助三郎は起き上がるなり、手を伸ばした。
「え…… ちょっと!?」
助三郎は彼女を引き寄せ、強く抱き締めた。
「早苗、ごめんな…… 俺……」
しかし、腕の中の彼女は露骨に嫌がり、腕をすり抜けた。
「助さん! ちょっと待って!」
彼女に逃げられた助三郎は焦った。
「早苗! 俺が悪かった! 逃げないでくれ! 話を聞いてくれ!」
「いや! 来んといて!」
逃げても追ってくる彼に、彼女はとうとう平手打ちを喰らわせた。
「助さん、うちは茜や! 早苗さんとちゃう! しっかりしとおくれやす!」
頬の痛みと、京言葉で彼は我に返った。
「……茜、さん?」
「そう! 茜どす!」
じっと彼女の顔を見た後、彼はにこやかに爽やかに挨拶した。
「お久しぶりです、茜殿」
「お久しぶりです佐々木さま」
しかし、彼はくるりと彼女に背を向けると、先ほどまで寝ていた布団の中に潜ってしまった。
「あの時は間違わなかったのに! 我慢できたのに! 俺は最低だ!」
「助さん、あん時ってどん時?」
布団をめくり、そう問うた茜の顔は早苗そっくりだった。
再び目を奪われかけたが、すぐに目を反らした。
「覚えてませんか? 祇園で、茜さんを助けたの……」
「え? それ、うちやなくて、早苗さんや」
「え!?」
「あんとき、うちと早苗さん入れ替わってたんよ…… あれ? もしかして、聞いとらん?」
それは初耳。
今の今まで、あの時助けたのは『茜』だと信じていた。
しかし、あれは『茜のふりをした早苗』だったのだ。
悲しげな眼で自分を見あげ、縋りついて来た女。
彼はその女に、『早苗』を裏切ることは出来ない。
抱けないと言い、彼女を受け入れなかった。
しかし、その女は誰であろう、早苗本人だったのだ。
本人を本人と見抜けなかった。
助三郎は再び布団の中深く潜ると、今度は泣き始めた。
「旦那失格だ……」
気の毒に思った茜は彼を励まそうとした。
「そう泣かんでもええし…… な? うちらそっくりやし……」
しかし、効果は無かった。
泣き続ける彼を途方に暮れて見詰める彼女の所に、由紀とお孝、新助がやってきた。
「茜さん、あの男、なんであんなにめそめそ泣いてるの?」
由紀は冷めた目で彼を見た。
「うちと早苗さん間違えはったさかい、旦那失格やって……」
「はぁ? 失格以前に、もう旦那じゃないでしょ? ね? 佐々木さま?」
「だから違う! 早苗は、早苗は……」
泣き続ける助三郎を哀れと思ったのか、お孝は由紀を窘めた。
「由紀さん、言いすぎですって。助さん、さっき何か誤解があるって言ってたじゃないですか。ね? 新助さん」
「うん。由紀さん、誤解です。きっと。助さん、なにか問題抱えてたみたいで、それに早苗さんも巻き込まれちゃったみたいで…… 詳しくはわかりませんが」
「はぁ?」
由紀はそう言われても、助三郎を信じようとはしなかった。
ただ、彼に説明させる余地を与えようという気持ちにはなった。
彼女は布団を引っぺがし、助三郎を叩き起した。
「佐々木助三郎殿、今すぐ皆が納得のいく説明を!」
「……聞いて、くれるのか? 俺の、話」
鼻を啜り、涙を拭いながらそう聞く男を見た由紀は溜息をついた。
「あぁ、なんであの子こんな男が良いんだろ…… いいわ、聞かなきゃ始まらないの! 早く話しなさい!」
「わかった……」
助三郎は身形を正すと、皆の前でゆっくりと事の顛末を語り始めた。
作品名:凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》 作家名:喜世