いいからさっさとおかえりって言わせろ!
「レッ……ド……?」
機械越しだが、聞き間違えるはずはない。信じられずにまじまじとポケギアを眺めていると、機械の向こうでレッドが「今、どこにいる?」と尋ねた。それを聞きたいのはおれのほうだと思いながらも「シロガネ山だ。お前がいつもいた」と言うと、彼は「ちょうど良かった」と言う。一体何なのかと思えば、「その辺に、布でできた袋が転がってないか」と続けた。言われるままに探すと、確かに白い雪に混じって白い袋が置かれていた。
「あったぞ」
「良かった。それ、持ってきてくれない」
「どこにだよ」
なぜツクシのポケギアから連絡を寄こしたのかとかは最速頭から吹っ飛んでしまっていて、「トキワの森」という返事を確認するや否や「今から行く」と言ってグリーンはポケギアを切った。
「ピジョット」
優秀な彼のポケモンは一声高く鳴くと、グリーンを背に乗せて再び高く舞い上がり、彼の故郷から程遠からぬ森へと運んだ。
森につくと、その入り口でレッドが待っていた。その隣には、紫髪の少年の姿がある。グリーンがピジョットの背から下り立つと、ツクシは「お久しぶりです」と人懐っこそうな笑顔を見せながらお辞儀をした。その隣で、レッドは特に何の表情も浮かべないまま「久し振り」と言った。
「持ってきてくれた?」
「あ、ああ」
布袋を渡すと、彼は中身を確認してから「ありがとう」と言った。そして、くるりと回れ右をしてすたすたと森の中へ行ってしまう。わざわざ来てやったのに、言うことはそれだけかよ……と半ば茫然としていると、ツクシが苦笑いを浮かべて「無口な方ですね」と言った。
「お前……あいつの知り合いか?」
「いいえ。ぼくは毎週、ぼくの虫ポケモンを遊ばせるためと新しいポケモンを探すためにこのトキワの森まで来るのですが、今日、森の中で初めて会ったんですよ。トキワの森でトレーナーさんに会うのって珍しいですから、嬉しくなって色々話しかけたんです。そしたらマサラタウンのご出身だとおっしゃるものですから、ではグリーンさんのことをご存じですかと尋ねたら、ちょっと表情を変えておっしゃったんです。グリーンを知ってるの、って」
「表情を変えて?」
「ええ。どうしたのかと思ったら、何かグリーンさんに連絡を取りたい用事があるとかで。けれど、ポケギアは持っていないようですしグリーンさんの連絡先も知らないとおっしゃっていたので、ポケギアをお貸ししたのですが。用事というのはこれのことだったんですね」
ツクシにも、グリーンがレッドに良いように使いっぱしられたように見えたのだろう。プライドの高いグリーンのことだから、怒りだすと思っていたのかもしれない。なので一応年上の威厳でぐっとこらえ、ツクシには「悪いな」とレッドの代わりに謝った。
「いいえ、ぼくは何もしていませんから。ではグリーンさん、今度また対戦してください」
彼は去り際にまた丁寧にお辞儀をすると、マサラタウンのほうに駆けて行った。その背中を見送ると、ポケギアを出して誰かに電話をしていたからジョウトから迎えに来てもらうのかもしれない。彼の虫ポケモンでは、とてもヒワダタウンまでは彼を乗せては飛べないだろうから。
グリーンは森に向きなおると、さて、と一息ついて足を踏み入れた。森の中に入ること自体に別に特別な感情はない。天然の迷路とか言われているが、彼にとってはここは慣れ親しんだ森であるからだ。わざわざ呼吸を整えたのは、その先にいる人物のためだった。
レッドはどうやら、グリーンを避けてシロガネ山から姿を消したわけではないらしい。もしそうならば、わざわざ自分から居場所を知らせたりしないだろうし。そう分かって、グリーンは少しホッとしていた。しかし、ならばますます彼が山を下りた理由が分からない。あんなに頑なに下山を拒否していたのに。そしてまた、どうしてこの森にいるのかもわからない。彼にとっても母なる森であることに違いはないのだろうが……。
レッドはすぐに見つかった。森の少し奥まった所にテントを張り、グリーンの持ってきた布袋の中身を物色しているところだった。その隣では、ピカチュウが木の実を齧っている。
「おい、レッド」
声をかけると、顔を上げる。しかしそのままグリーンが何も言わないでいると、用事はないとみなしたのか、再び布袋の中を覗き込んだ。それに苛立ち、「おい!」と多少強めに声を出すと、レッドは面倒そうに顔をあげた。
「……何」
「何、じゃねえよ。シロガネ山からわざわざこんなところまでお前の忘れ物を届けてやったオレに、何かねえのか」
「礼はさっき言った」
他に何か言うことでも? とでも言いたげな態度だ。昔から、お世辞にも愛想がいいとは言えなかったが、こんなにぶっきらぼうな奴でもなかった気がする。二年間人間と交流しないうちに、人間よりポケモンに近づいてしまったのではないかと思った。いや、ポケモンのほうが、身ぶり手ぶりで自分を表現するだけまだいいかもしれない。
「そうじゃなくて。……なんで山を下りたんだ。オレがあんなに言っても下りなかったのに」
こいつ相手にまどろっこしい聞き方は無駄だろうと思って単刀直入に尋ねたのだが、多少恨みがましい口調になってしまった気がする。それを恥じるように口をとがらすと、レッドは少し黙って、それから「来たんだ」と答えた。それはいつも通り、レッドの言葉の足りない一言だったが、グリーンには彼がなんと言おうとしているのかが分かった。
「お前の待っていたやつか」
レッドがこくりと頷く。
「ヒビキくん」
「あ?」
「名前」
待ち人の名前だと言われて、その名前に覚えがあることに気付いた。少し前にジムに来た挑戦者だ。三つほど年下だったのに、ひどく強かった。さすがはジョウトのジムと四天皇を制覇し、カントーのジムバッジを集めた子供だ。レッドと戦った時と同じような興奮を、彼とのバトルには覚えた。だから、普段はあまり記憶しておくことのない挑戦者の名前を、彼に限っては忘れていなかったのだ。
「戦ったのか?」
レッドはこくりと頷く。その表情を見ただけで、グリーンにはその勝負の勝敗が分かってしまった。しかし、それを口に出すのがはばかられた。レッドに気を使ったわけではない。恐ろしかったのだ。唇が震える。
グリーンにとって、レッドは壁だった。幼いころは、お互いがお互いの壁となり、それを乗り越えることで成長を遂げてきた。口喧嘩や取っ組み合いの喧嘩は勝ったり負けたりで、トータルすると引き分けくらい。けれども旅に出たあの時から、レッドはグリーンにとって超えることのできない壁になってしまった。……しかし、その巨大な壁は、誰にも越えることが出来ないはずだった。たとえあのヒビキという少年が自分を打ち破ったとしても、その先にいるレッドは破れないはずなのだ。実力の差とか、そういう問題の話ではない。グリーンにとって、レッドはいわば聖域で、負けてはならない存在、負けるはずのない存在だった。だからこそ、いつかは自分が負かしてやろうと思っていたわけだし、そのために三年間努力をし続けたのだ。
それなのに、レッドは負けた。三つも年下の少年に。
「……んで」
作品名:いいからさっさとおかえりって言わせろ! 作家名:ネイビーブルー