虚無と大戦
さて、本題に入る前にここに至るまでの経緯を振り返ってみよう。
事の始まりは40年前
とある国家が突然現れたことに始まる。
そう。『日本』
日本は外宇宙から来た国家、そして文明であることは
今でこそ常識ではあるが、十数年前までは隠蔽されていた
ただ、それが公表されたとき多くの人が『薄々そうじゃないかと思ってた』
と口にしたが、日本の狙いはそこだった。
そんなことを突然公表すれば混乱が発生し、何が起こるかわからないが
少しづつ、噂を広げていけばそんなことはおきない。
そう判断したらしい。
とにかく、40年前、原因不明の事故により
日本の移民船団『瑞鶴』が1000万の日本人と共に
ハルケギニアに現れた。
日本は『日本列島』に定住を決め、
このハルケギニアに永住することになる。
ここから、色々なものが狂い始める。
そしてその年、いわゆる『共通紀元』元年と呼ばれる年に
日本は各国に使節団や調査団を派遣。
その過程でトリステイン王国のアントウェルペンにおいて、
使節団の艦船に対する砲撃が行われる。
無論これは王室などには無断の行動であり、
トリステイン王室は未知の敵との戦争を恐れ、
アントウェルペンを割譲。日本領『川手市』となり現在に至る。
そしてその翌年。日本による多数の技術提供が始まり、
ついに極西においても産業化、工業化が始まった。
さらにその翌年。紀元3年。
日本の技術により航海技術、造船技術が発達し、喜望峰を超えて
今度は中国及びインドから極西に使節が派遣される。
これにより西と東の往来は格段に増える。
そして紀元8年
インドを始めとする東方連合軍
そしてロマリアを始めとする西方連合軍が
ほぼ同時期に『聖戦』を宣言。
西方、東方共に『聖地』の奪還を目的としていた。
砂漠に住むエルフ達の国家に侵攻を開始
エルフと比較的友好的な関係である都市国家イスタンブールがそれに対し反発。
西方連合軍は砂漠に入る前に足止めを食らうこととなる。
イスタンブールを占領した後、西方連合軍は再び侵攻を再開。
しかし、ここで更に妨害を受ける。
日本はこの単なる侵略行為
そしてそれに連なる非武装民間人の殺害や略奪に対して
大きく非難し、
国会において日本軍の介入が提案される。
満場一致で可決され、日本軍が派遣された。
そして日本はこの軍事介入に際して、西方、東方、そしてエルフ各国に対し
一つの声明を出す。
『軍事介入を停止する条件は
聖地、および東西の交易、交通ルートの開放
東西連合軍の即時撤退、引き上げである』
エルフ各国も最初は反発したものの、
彼らの予想より遙かに早く、かつ迅速に撤退を始めた東西連合軍を見て
交易路の開放を決断。
これにより、数千年分断された東西人類世界はつながった。