アリスが一番好きなのは誰か?
言いながら勢いでアリスを腕の中に抱き締めてしまったことに気付き、ペーターは後悔した。せっかく普通に話していたのに、抵抗されて逃げられる流れにしてしまうとは。だが、アリスは腕の中に納まったまま一向に抵抗する気配が無い。ペーターは首を捻る。
「・・・? あれ、怒らないんですか?」
「え、別に怒ってないわよ?」
いつもと違う反応に彼女の顔を覗き込む。アリスは頬を赤くしながら、そんなにじっと見ないでよと横を向いた。こんなにしおらしくて可愛いアリスを見たのは初めてだ。そういえば、食事中もよく視線が合っていた。誰かと話しながらの食事とはこんなものなのかと思っていたが、違うのだろうか。どうも女性というのは良く解らない。
「陛下にいつ謁見できるか聞いてきますから、先に客室へ送りますよ。」
腕を解いて並んで歩き始めると、アリスがペーターの袖口を掴む。
「い、一緒に行っちゃ迷惑?」
(なんですかっ!? この可愛い生き物は!!)
ペーターは足を止めてアリスの顔をまじまじと見詰める。今まで、彼女が時々小型の肉食獣に見えることはあっても、こんなに可愛い草食小動物に見えたのは初めてだ。
「迷惑だなんて、ある筈がないでしょう。」
勤めて冷静に返事をするのが精一杯だった。ペーターの頭の中は混乱する。これは如何理解したらよい状態なのかがサッパリ掴めない。今まで女性と対等に、満足な会話の経験すらないペーターには、態度から女心を察するということは難しいようだった。
自信は持てないが、手は繋いでおいた方が良いだろうと判断する。正直、そんな甘いものをアリスから求められるのは初めてで、緊張する。何か作為的なものがあるのではと警戒しながらも、袖口を掴む彼女の手首を軽く握ると袖口から引き離し、上に向けた掌にそっと落とすと握り込む。
手を繋いだままで女王の謁見の予定を聞きに向かった。
臍を曲げた(振りの)ビバルディが、暫く会わぬが退城も許さぬと大きな声で喚く。控えの間で一人待つアリスの耳にも届くように言っているのがペーターには判る。女王の恣意的な行動につき合わされるのには慣れているが、アリスはかなり心細い思いをしているに違いないと思う。彼女を早く安心させたかった
ビバルディは玉座から立ち上がり、ペーターに近づくと声を潜めた。手持ちの杖先で宰相の胸を軽く突く。
「ホワイト卿、解って居るな。ゲームの主催者であるわらわの面子を潰すことは許さんぞ。」
「はいはい、了解していますよ。ところで陛下、教えていただきたいことがあります。」
暫く小声でビバルディが話すのを聞いていたペーターが頷くと、彼女は背を向け退室する。それを見送ってペーターはアリスの元に戻った。
★ アリスの戸惑い ★
戻って来たペーターは機嫌の良い顔をしていた。それを見てアリスは少し不安が治まる。
「ビバルディ、凄く怒っていたわよね? もう会ってくれないのかな・・」
「大丈夫ですよ。貴女は、陛下の為に無理をして時間を作ったせいで睡眠不足なのだと話しておきました。今は怒った手前引っ込みがつかないだけですよ。直ぐに機嫌は直ります。」
彼女を良く知る宰相が言うのだ、信じるしかない。
完全には拭いきれない不安を抱え客室に戻ると、アリスのナイトウエアが用意されていた。
「貴女は疲れているんですから、もう休んでください。」
「ペーターだって、凄く疲れているように見えるわ。」
「僕はソファで寝ますから大丈夫ですよ。ゆっくり休んでくださいね。」
私がソファで寝るからと、ペーターをベッドの方に押しやる。
「それじゃ、一緒に寝ますか?」
アリスは真っ赤になりながら、そんなことできるわけないと小声で言うと俯いてしまった。耳まで熱くなっている。
「貴女はずるいです。近づけば逃げる、追いかけるのを止めれば、また近づいてくる。僕を弄んでいるんですか?」
そう言われペーターに抱き締められる。胸元からアリスがそんなこと無いと文句を言ったが無視された。
いつもなら跳ね除けるか平手打ちでもしてしまいそうな状況なのに、今は動けない。ブラッドに抱き締められた時と違い、苦しいくらい心拍が速い。そうだ、これはブラッドにキスされる時のドキドキに似ていると気付く。
今の私がおかしいだけ・・そう思い込もうとする。でもどこかで否定する自分も居る。
「僕にベッドで休んで欲しいのなら条件があります。」
「一緒に寝るのとかは無しよ。」
「ふふ、僕が眠るまで手を握っていてください。それならいいでしょう?」
ペーターは上着を脱ぐとベッドに腰を下ろす。アリスを見上げながら如何しますかと聞いてきた。
「いいわよ! 」
眼鏡を外したペーターを見るのは二度目だ。執務室でソファに押し倒された時以来か。思い出すと、また顔が熱くなる。
妙な丸眼鏡で隠されていた綺麗な顔は、それを遮る物が無くなると直視できなくなる。苦手なのだ。けちの付け所の無いものは姉のロリーナを連想させるのか、それともただの照れなのか、そこは判らない。
手を握りながら、早く目を閉じてと言って視線を手元に落とした。自分の握っている男の手も綺麗な指をしている。細く長い指も、綺麗な形の爪も、透き通るような白い肌色も、何もかもがずるい程整っている。
「貴方を見てると、女としての自信がなくなるわ。」
思わずポロリと声に出てしまう。ハッとしたが遅かった。そっと視線を上げると、既にペーターは寝息をたてている。
「はやっ。」
そう言いながら、今ならと安心して綺麗な寝顔を眺めるアリス。普段は眼鏡に隠れている長い睫毛を、興味深そうに見る。角度を変えて睫毛の反り具合を見てみたり、鼻の高さや形に感心したり。やや薄めの色調の唇に、そっと指先で触れてみたりする。以前は怪我の看病で付き添っていたから、こんな風に余裕を持って寝顔を見ることは無かった。
唐突に、今ならキスできるかもしれないと思う。顔を近づけ、唇に触れた。
目を開けると、ペーターの赤い目が此方を見ている。
「おはようございます、アリス。」
「え?」
状況が掴めない。目の前の男はニコニコと笑顔で、よく眠ってましたねと声をかけてくる。
「覚えてないんですか? 僕の手を握って、僕より早く眠ってましたよ。」
「嘘でしょ!?」
「お蔭で僕は余り眠れませんでしたけど、でも良いんです。貴女と同じベッドで眠れましたから。」
確かにアリスはペーターの腕の中に居る。先程まで自分が見ていたものは夢だったのだ。それどころか、逆にこの体勢でずっと寝顔を見られ続けていたのだとすれば、恥ずかし過ぎる。
「何もしてないわよね!」
「勿論です!! お休みとおはようのキス以外は何もしていません!」
いや、それ何かしてるから・・恋人でも無いのに、一緒にベッドに寝ることすら駄目だから。と思ったが、何故か追求する気も起きなかった。今までに無く特別にペーターに寛容な自分に気付く。一体如何してしまったのか。理由すら思い付かない。
作品名:アリスが一番好きなのは誰か? 作家名:沙羅紅月