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アリスが一番好きなのは誰か?

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潔癖症のペーターの中に男性の衝動が有ることは体験済みだ。あの時、彼は本気だった。この城に、自分の元へ引き止めるために、アリスを自分のものにしようとした。勢いとはいえアリスだってそうだ。タイミングが悪くて結ばれなかっただけなのだ。もしもあの時ビバルディが来なかったら。そんなことを思い出すと、恥ずかしくて身体が熱くなる。ペーターから顔が見えないように、彼の胸に顔を近づける。

「アリス、貴女はもう帽子屋と・・その・・」
「無いわよっ!」

狙ったようなタイミングの問いに、ますます身体が熱い。全身が脈打つようにドクドクといっている。

「良かった・・」

小さく、アリスの耳にそう聞こえた。その言葉が心の一点に細い針のように落ちてくる。そうして落下点を中心に、まるでイオンが作るさざ波のように球体の表面を波打ち這い落ちながら急速に広がっていった。やがて心を全てを包み込んで、わけのわからない感情に落とされる。電撃的と言っていい素早さでアリスを支配した想い。


「陛下にはもう少し臍を曲げておいていただきたかったです。五回目の夕方の時間帯まで会えないなんて辛いです。アリス、やはり此処に滞在してはくれないのですか?」

ビバルディの機嫌は直ぐに回復すると言ったくせに、今更もっと臍を曲げておけと、隣で聞いていて腹の立つ事を言うペーター。でも、この愛情表現にはもう慣れた。アリスは呆れながら領地を出るところまで送ると言ってくれた彼を見る。実は口には出さないが、彼女も少しそう思っているのだ。もう少し一緒に過ごしたかったと。でも、もうそこに敷地の外に続く門がある。

「ちょっと!いきなり何よ。」

手を握られて慌てる。

「だって、夜に手を繋いだ時は怒らなかったじゃないですか。あと少し・・」

アリスは握られた手を振り切った。近くに誰か居るわけではないが恥ずかしい。少し前の自分はなんて大胆だったのかと思う。彼の前で本音に近いことを話したり、手を握って歩いたり、腕の中でじっと彼の温もりを感じていることが出来た。今だって・・きっと出来ないわけじゃないと思う。
手を振り切られてポカンとしているペーターの頬に軽く唇を寄せると駆け出した。直ぐに腕を掴まれて引き戻されると、唇を塞がれる。

「こんなところでっ・・」
「貴女が仕掛けてきたんでしょう?」

熱を孕んだような声でそう言いながらまたキスされる。

「僕がどんな思いでベッドの中で貴女を抱き締めていたか、本当に何も解っていない。」

ペーターは言いたいことだけ言うとまた唇を重ねてくる。
ギュッと力を込めて抱き締められて、息が苦しいほどの長く濃厚なキスにアリスも我を忘れそうになる。辛うじて、人が通るかもしれないという思いだけが理性を残していた。

「待って、ペーター。」
「貴女を帰したくないです。本当は帰って欲しくない。ずっと僕の側に居てください。」

長いウサギ耳の白い宰相は、アリスを抱き締めて今にも泣きそうだった。アリスにだって言いたいことはある。でも、今はまだ言えない。一時的に気持ちが盛り上がっているだけかもしれない自分の言葉など、こんなに想ってくれている相手に簡単には言えない。

時間が欲しい。

「ペーター、今は帰るわ。私も冷静になりたいの。お願い。」

ペーターの腕が緩むと、すり抜ける様にアリスは城の敷地を後にした。
一人佇むペーターは、アリスの姿が見え無くなると上着の内ポケットから手帳とペンを取り出し何事か書き記す。

薬効持続・・3

他にも横文字綴りで何か書いてあり、主に異性への感情の発露の易化、とあった。
他のページを繰りながら、

「ふむ、これから忙しくなりそうです。取り敢えず此れと此れは発動させたので様子見ですか・・。それから鼠捕りっと。」

口の中でブツブツと独り言を言いながら城に戻っていく宰相は、手帳をしまうと空を仰ぐ。

「やはり、貴女が欲しいです。」




★ 嫉妬する男 ★

本当に何となくだった。でも感じるのだ。メイドも男性の構成員も、何処かピリピリとしている。それはアリスがハートの城へ向かう前には感じなかったものだ。何があったのかと、丁度廊下で出会ったエリオットに聞く。

「ブラッドが物凄く機嫌が悪いんだ。あそこまで悪いのは珍しいぜ。」
「何それ? それで屋敷中がこんななの?」

エリオットは苦笑いをしながら、前の時間帯に何かの報告書を読んだ辺りから機嫌が急降下したんだよなと言っていた。
アリスは部屋に戻りながら、次の時間帯の勤務が憂鬱になる。彼の部屋へは誰でもが入室を許可されているわけではないので、ブラッドの部屋のことは大概アリスに回ってくるのだ。
不機嫌の理由は何でもいいが、機嫌が悪いとやたら絡まれる。部屋付きのメイドは逃げ出すことも出来なくて困るのだ。
少しでも長く今の時間帯が続くように、早く機嫌が良くなるようにと祈りながら部屋に戻った。


ブラッドの部屋の前に立つ。深呼吸の後にドアをノックする。

「紅茶をお持ちいたしました。」

ブラッドはソファで足を組んで座っていた。浅く座り背もたれに寄りかかり此方を見ている。一見したところ、そんなに不機嫌には見えない。取り敢えずホッとする。

「おや、お嬢さん、お帰り。お茶会は楽しめたかい?」
「は? ええ、まぁ・・」

曖昧な返事をして、カップにポットから紅茶を注ぐ。一杯目を入れて退室しようとするアリスの背後から声が掛かる。

「君と、ハートの城の女王陛下は友人だと言ったな。」
「・・・・・  はい。」

今は仕事中なので、主に向き直りきちんと返事をする。内心、質問の意図が解らないのが不気味だと思いながら。
ブラッドは入ってきた時と同じ体勢で、此方を見ている。

「その友人との久し振りのお茶会で眠ってしまうとは、何があったのかな?」
「・・・ ・・・」

言葉が出なかった。どうして、城内での事を知っているのだろう。誰にも話していないことだ。城の顔見知りのメイドにすら話していない。話したとしても、聞いたとしてもメイドには守秘義務がある。噂話で多少広がったとしても、他の領地の領主であるブラッドの耳に入るにしては早過ぎる。

「勤務体制が君にとって厳しいのなら、考え直さないと、な?」
「あの、申し訳ござません。決して勤務体制が厳しいわけではありません。」

これは完全に自分のミスだ。アリスは普通のメイドと変わりないと思っていても、この世界の住人はそうは見ない。
余所者。それは良い事ばかりではないのだ。時に悪目立ちしてしまう。
しかも今回は、帽子屋ファミリーが余所者をこき使っていると周囲に勘違いさせてしまうような失態をしでかしたと言っても過言ではない。
無理を言って仕事をさせてもらっているのは自分。それなのに主の顔に泥を塗るような真似をしてしまった。これは怒られても、解雇されても文句は言えない。
頭を下げたまま、アリスはブラッドの次の言葉を待った。
カサリ、と紙を捲るような音がする。