アリスが一番好きなのは誰か?
「ホワイト卿がアリス嬢を客室へご案内される。施錠される。時間帯夜。お二人は庭でお食事後、庭を散策。お二人で謁見室へ。ホワイト卿のみ女王陛下と謁見。お二人で客室に戻られる。施錠。以降次時間帯まで動きなし。」
静かな部屋にブラッドの低い声が響く。アリスの頭の中は、耳から拾った声を処理することと、何故?と言う疑問と、この状況を如何するのかという対策を考えることでフル稼働していた。だが、とても統制の取れた働きではない。
「こういうのもある。」
少し間があり、また紙の擦れる乾いた音がする。
「時間帯・夕方。お二人でお茶・庭にて。後、庭園散策。ホワイト卿、騎士様とトラブル。アリス嬢、客室。後、ホワイト卿、客室。アリス嬢、陛下謁見許可出ず。退城許可のみ。その後、次時間帯までお二人共に客室滞在。施錠なし。時間帯・昼。アリス嬢、退城。ホワイト卿、お見送り。お二人抱擁されキス・・・」
「止めて!!」
顔が熱い。涙で主の顔が見えない。何か酷い言葉で罵ってやりたかったが、今はそれすらも出てこない。ただただ恥ずかしくて、そして屈辱的だった。走ってドアに向かう。室外に出て頬に伝う涙を拭った。ポケットのハンカチで顔を拭きながら、次に与えられている仕事を片付けに向かう。
「如何して?」
アリスは部屋の中に居た。扉を開けて廊下に出た筈だ。なのに正面にブラッドが立っている。周囲は執務室の中の景色だ。思わず後ずさるが直ぐ後ろは扉で、その感触が背中に当たる。
「確か、前回は潔白だと主張していた筈だね、お嬢さん。今回はどんな言い訳が聞けるのかな。」
「ぷ、プライベートで誰と何をしてもいいじゃない。」
ブラッドは腕組みしながらほんの少し眉を寄せていたが、アリスの震える声を聞くと目蓋を伏せてフッと小さく哂いを漏らす。
「私は部下のプライベートに口を出す趣味は無いよ。君は、部下じゃない。」
「今は部下として仕事中よ。そういう話は・・」
「では、メイド服を脱げ。今直ぐ。」
彼はこの場にそぐわないほど穏やかな声でそう言いながら、つかつかと距離を詰めて来た。アリスは以前の服を破り捨てられた時の恐怖を思い出し、身体が固まり動けなくなる。目の前に迫った男を直視出来ずに目を瞑った。怖い。今回はどんな酷いことをされるのか見当も付かない。恐怖で身体が自然に震える。奥歯が小さくカチカチ音を立てた。
薔薇の香りがして直ぐ間近かに気配を感じると、両腕を掴まれ、そのままブラッドの腕に捕らわれた。
「最初の報告を見た時、もう此処へは帰ってこないのじゃないかと思ったよ。」
耳元でブラッドの甘い声がする。耳元に愛を囁くように甘い。
「如何して君は友人と過ごす時間より、宰相閣下と過ごす時間の方がこんなに長いのか説明してくれ。何故、客室に施錠する必要があるんだ? 君は、本当は誰に会いに行った? 男と二人きりの密室で長い時間何をしていたんだ。私に解るように教えてくれ。」
声は甘い。それでも恐怖でスーッと身体の力が抜けていく。一人で立つ事さえも困難なほどに全身が脱力する。彼女を捕らえている腕に力が籠もった。
顎に指が掛かり持ち上げられる。アリスの視線は凍りついたようにブラッドを捉えて逸らせない。何か言おうとする唇は、言葉を出そうと幾度か意味の無い動きを繰り返すだけで終わってしまった。
「私には言えないことか?」
弱々しく首を振り否定する。それを見て、目の前で優しく微笑む男。
「そうか、それは良かった。では君の話をゆっくり聞こうか、ベッドの中で。」
いきなり脚を掬われて、身体が宙に浮く。拒否しようと声を上げたつもりが、声は出なかった。拳で男の肩を何度も叩く。弱々しい抵抗など全く無視され寝室のベッドに寝かされた。
アリスの顔の両脇に手を突き見下ろすブラッドは、怒っているのかどうかすら表情に出ていない。無表情で乱暴なことをされるのは怖かったが、一見優しく見える今も、他者に恐怖を与えると言う意味では然して変わりない事を知る。
顔を近づけ唇に触れに来ようとするのを横を向いて避けた。自然と彼の口元には彼女の耳が晒される。熱く湿った息がかかり軟らかい唇の感触に身体が一瞬反応する。慌てて顔の位置を元に戻すと目の前に男の顔があり、結局最初の狙い通りにキスされてしまう。何度も軽く触れた後、侵入した舌は拒絶された。
「君の報告をして来ていた顔無しと、その後連絡が取れないらしい。まぁ、あれだけ詳細な行動報告をしてくれば、宰相閣下も当然気付いていた筈だがね。君が城から出るまでは泳がされていたんだろうな。」
何か言おうにも言葉が見つからない。何故、今そんな話をするのだと、間近にある眼を見て唇を噛む。
「君は、同僚の顔無したちの見分けが付くんだろう? よく知って・・・」
「止めてっ!」
ブラッドの声を遮る。何度も何度も止めてと叫ぶ。その声を押さえ込むように口は塞がれた。
悪趣味な男の挑発に乗ってしまったアリスは、押し入ってきた舌を排除できず、息苦しくなるほど続けられる行為に空しい抵抗を続ける事しか出来ない。
涙が零れる。
その涙は無理強いされる行為のせいか、考え無しの自分の行動の為にその身を犠牲にした同僚の為か。泣いている本人にも判らなかった。
★ 理解できない男 ★
唇に触れることを拒否すれば耳や首筋に触れてくる、それに抵抗すればキスされる。その合間に何度も嫌がらせのように、だから君は嘘吐きだと言っただろうだの、酷い女だと耳元に繰り返し囁かれた。それはその通りだ。つい数時間帯前に、この男に支配されても良いと思ったのは何だったのだろう。好きだと思っていたのは錯覚なのだろうか。もうよくわからなくなっていた。
判るのは、今は触れられるのが苦痛だということだけだ。
長く口付けた後、ブラッドは身体を離して立ち上がった。アリスもゆっくり身体を起こし、ベッドの上に座る。何処に視線をやっていいかわからず、俯いていた
もっと酷い事をされると覚悟していたから、どこかホッとしているところも正直ある。
「君を、解雇する。」
静かに降って来たその言葉にアリスは非常にショックを受けた。彼女には、君は必要無いと言われているのと同儀なのだ。だがこの状況下では何も言えない。ただ俯いたままじっとしていた。
「部下ではなく、私の客人として此処に滞在してくれ。」
「それじゃ私の・・」
ブラッドの、解雇の後に続いた言葉に驚き顔を上げる。気が済まないと言いかけて止めた。働かせろだの、好きだと思ったら勘違いでしたと態度を変えたり、今また自分の存在価値を見出せないから解雇するなとは、自分はなんと思い上がっているのだろうと思う。ブラッドの好意の受け入れを拒否したくせに、自分の思いを通すことなど考えていいわけが無い。
「わかりました。あの、お世話になった分はどんな形でもいいから、お礼をさせてほしいの。駄目?」
「考えておくよ。」
この時間帯を最後に、アリスはメイドの職を解かれた。同僚に挨拶を済ませるとただの客人に戻る。やっと仕事を覚えて、一人で判断し処理できることが増えてきただけに残念だと思う。
作品名:アリスが一番好きなのは誰か? 作家名:沙羅紅月