IS バニシングトルーパー α 001
stage-001
淑やかに振る舞い、凛々しく進む。
イギリスの名門に生まれたわたくしはそうであれと望まれて、そんな風に生きてきた。
厳しく躾けてくれた母、複雑な目で見守るだけの父、そしてわたくしから離れた位置から挨拶してくる使用人たち。
それらに囲まれたわたくしは、望まれた生き方で生きることに納得した。
一族の跡を継げるような、強い女になりたかったから。
だから、父と母が列車の事故で死んだと知った時も、人前で泣くのを堪えることができた。
有能な母と、母に頭が上がらない婿養子の父。普段話すことすら少ない二人はなぜあの日同じ列車に乗ったかは分からないし、追求する気もなれなかった。
けれどあの日から、わたくしは守られる立場から家を守る立場に立たされたことになり、いままでよりさらに努力する必要が出来た。
だから、自分以外のことに気にする余裕なんて、一瞬でなくなかった。
そんな時、わたくしは彼と出会った。
身の程知らずで無礼者でいつも反抗的で、優しい彼と。
緑の自然に満ち溢れた広い庭の中に、一人の少女はイーゼルと向き合っていた。
蜂蜜のような透き通った金色のロングヘアと共に塵一つない真っ白なワンピースをそよ風になびかせて、少女は優雅な笑みを浮かべて、思いのままキャンバスに筆を走らせる。
足元から広がって行く綺麗な芝生。すぐ横で静かに流れる清流。川の上を渡る小石の橋。そしてこれらを自然に囲むハーブの茂み。
少女はこの典型的なイギリス式庭園の一部となり、目に映るすべてを画布の上に納めていく。
花の赤、水の碧、空の青、土の黄。少女の色遣いは彼女の美貌のように、淑やかさの中に活発さがあり、それでいて華やかさもある。
いい師に恵まれたか、それともセンスがいいのか、かなり速いベースで完成したその絵は、とても十三、四歳の少女の手によるものとは思えないほどに上手い。
やがて作業が一時間ほど続いたあと、少女はキャンバスから一歩下がって、疲れた指を軽く動かしながら、自分の絵を眺め始めた。
指を顎に当てて、全体から局部までじっくりと見る。時に繊細に色を足して、時にナイフで細部を削る。
そしてやっと作品の仕上がりに納得したか、絵描きの少女――セシリア・オルコットは自信たっぷりの笑みを浮かべて腕を組み、最初からずっと彼女の近くで仕えていた少年に声をかけた。
「ねえ、今日のはどうかしら?」
その少しばかり甲高い声は、幾分か挑戦的な感情が滲んでいた。
「今日も縦ロールがうっとおしくてイライラしてます」
ややくすんだ銀色の髪に、つり目がちな青い瞳。セシリアと同年代の男に相応しい細い体を黒い執事服で包んだ少年は意気揚々としたセシリアの目を見て、妙に楽しげな笑顔を浮かべた。
「なっ、なんですって!?」
少年のキツイ一言で、一秒前まで笑顔だったセシリアの額に青筋が浮かび上がりそうになるが、その前になんとか忍耐力で押さえ込んだ。
淑女たるもの、常に優雅であるべきであり、余裕な笑顔を崩してはいけない。
自分はイギリスの貴族名門オルコット家の一人娘にして現当主――セシリア・オルコット。
そして目の前の少年はこのオルコット家で働く使用人のくせに、一日八時間しかご主人様の相手をしない上に、一々楯突いてくる生意気なアルバイト――クリストフ・クレマン。
今、彼と一緒に立つこの庭から先へ無限に広がる緑の森、遠くにある勇壮な山、それらを巡って流れる川、そして二人の背後にある立派な屋敷。
ここから見える肥沃な土地すべては、オルコット家の私有地である。
若くしてこのオルコット家の財産と名誉を背負い、美貌と才能に恵まれた完璧美少女たる自分はすでに凡人を超えた存在であり、そんな根暗男の日課のような毒舌に一々腹が立つほど、度胸の狭い女ではないはずだ。
「変なポーズはやめてください」
脳内自画自賛の途中で無意識にポーズをとり始めたセシリアに、クリスはさらに毒舌を飛ばす。
「……マヌケを通り越して痛々しいので」
「ふ、ふふん……後で死刑にいたしますが、とりあえずわたくしの絵を拝みなさい」
我慢の限界に達しつつあるセシリアは震える口元から、不気味な笑い声をもらす。それにまったく気にする様子もなく、クリスはキャンバスの前まで歩いて、セシリアの絵を鑑賞し始めた。
「ど、どうかしら?」
クリスが絵を見始めた途端、セシリアの不満げな表情一瞬だけ緊張で強張ったが、その直後またすぐさっきのように腕を組み、得意げな笑みを浮かばせた。
「まあ、幼い頃からプロに学び続けてきたこの私の絵に、そもそも欠点なんてありえません。さあ、素直に賛嘆なさい! そしてあなたごときの意見を取り入れたこのわたくしの寛容さを感謝しなさい!」
まだ発育途中の控えめな胸を張り、セシリアは片手を前方に伸ばし、もう片手を胸元に当てて優雅にポーズを取る。
しかしセシリアの絵をよく見たクリスから返ってきたのは、賞賛でも感謝でもなかった。
セシリアの言葉を無視して絵の隅々までじっくりと吟味したあと、彼は彼女の瞳をまっすぐに見据えて、意地悪そうに微笑んだ。
「相変わらず、性格の悪さが丸出しの絵ですね」
「なっ……!」
「花の色が鮮やか過ぎて現実味が欠けてますし、水もそんな澄んでないんですよ。綺麗好きなのは分かりますが、現実との差もちゃんと理解してください。それとも脳内がお花畑のお嬢様では、もはや現実を正常に認識することすら難しくなったのですか?」
「お、お花畑……!?」
信じられない、と言わんばかりに目を丸くして、セシリアの体は指の先まで硬直してしまった。
三分間ほど機能停止の後、セシリアは無言に顔を低く伏せて、クリスに背を向けた。
キャンバスの外したイーゼルを畳んで、両手でしっかりと掴む。
脳内お花畑。初めて言われる言葉で意味もよく分からないけど、その字面からなんとなく理解できた。
一回深呼吸して、イーゼルの脚を握り締める。そして後ろにいる憎らしい男の頭目掛けて、全力で思いっきり――振り下ろした。
「この……無礼もの!」
「うわっ! 何をするんですかお嬢様!」
慌てて後ろへ飛びのいて、クリスは余裕でセシリアのイーゼル攻撃をかわして、わざとらしい声を上げた。
「アルバイトのくせに! 使用人のくせに! 男のくせに! オルコット家当主で国家代表候補生でもあるこの私に逆らうなど!」
スポーツとしてISを扱う以上、選手は国家を代表して出場する。そしてその選手の卵が、国家代表候補生。
それに選ばれて、専用のIS一機まで与えられることになったセシリアは、間違いなくこの国ではエリート人間に分類されるのだろう。
それなのにこんな屈辱を受けるなんて、信じられない。
作品名:IS バニシングトルーパー α 001 作家名:こもも