IS バニシングトルーパー α 001
「失礼ながらお嬢様、男女の社会的地位を決めるのは労働能力であり、ISなんぞを動かせるかどうかではありません。現実として女性は男性に比べて体調が崩れやすく、集中力や体力などが劣っており、長期労働に不向きな面があります。確かに普通の男より優れた女性の存在を否定できませんが、全体的に考えればやはり稀でしかありません。従って、現代社会は女尊男卑だというのは、一部の民間メディアや団体の煽り文句でしかありません。そんな小学生でも信じないデタラメを鵜呑みにするお嬢様の脳内お花畑っぷりは、フェミニストの俺でも感服せざるを得ませんな」
襲ってくるイーゼルを容易く回避しつつ、クリスはセシリアに反論する。
確かに、ISは女性しか起動できない。そのせいで、一部の民間女権団体は男性を見下す思想を宣伝する動きがあるが、所詮思想だけでは現実を変えられない。
男性肉体の基本スペックは女性より高くて、現代社会の生産活動に向いている。そのせいで就職などでは男性の方がしやすいという現状は、ISが出現してもしなくても大した変化はなかった。
そして一般家庭ではより稼げる方が、偉いである。
「減らず口を……! でしたら労働者として、もっと雇い主を敬いなさい!」
「いや、俺はただのバイトですし、魂まで売った覚えなんてありませんし。それにこれでも、それなりにお嬢様を尊敬してますよ?」
「えっ……! ほ、本当ですの?」
イーゼルを乱暴に振り回すセシリアの動きが、一瞬で止まった。この隙にクリスはセシリアに近づいて、彼女の両肩をそっと掴んだ。
「もちろんですとも、お嬢様」
そう優しく囁きながら、クリスはゆっくりと顔を近づけてきて、セシリアの目を覗き込んできた。
繊細で整えた顔立ちに、宝石のような綺麗な青い瞳に。至近距離で彼に見つめられて、胸が思わず高鳴る。
水の流れる音に、野鳥のさえずり。からっとセシリアの手から地面に落ちたイーゼルが立てた音さえ、心臓の高鳴りに遮られてしまう。
「ぐ、具体的にはどの辺ですの?」
「たとえばですね、俺が可愛がってたリスを食べようとする残酷さとか、俺が一所懸命作った模型を二階の窓から投げ落とす乱暴さとか、俺が買ったばかりの推理小説の表紙に犯人の名前を書く非常識さとか、どれも実に感服しております」
「うぐっ……」
こころなしか目が笑ってないクリスが語りだした思い出の数々に、セシリアはバツが悪そうに視線を逸らすしかなかった。
どれも否定のしようがない、事実である。
「だ、だってあなた、使用人の分際で構ってくれませんから……」
「もういいですよ、お嬢様。過ぎたことは仕方ありません。リスは逃がしましたし、模型はまだ作ればいいし、推理小説はトリック解明の方が大事です。そして俺の心の傷もきっと、いつか癒えますでしょう」
「もういいです! もう分かりましたから、ティータイムにしましょう!」
セシリアは完全に降伏した。
どれもつまらん嫉妬心からの行動で、やった後はいつも後悔するけど、仏頂面で“勤務時間終わったので出て行ってください”とか言われたらやはりムカつく。
でも事後に来るクリスとの冷戦期は、耐え難いものだ。
「畏まりました、お嬢様」
微妙に勝ち誇ったように笑顔で一礼して、クリスはセシリアから離れて屋敷の方へ歩き出した。そして遠くなっていく彼の後姿が曲り角に消えると、セシリアは力が抜けたように、後ろの椅子に座り込んだ。
胸元に手で撫でて、彼女は切なげなため息を吐く。心臓の高鳴りは、未だに収まってくれそうにない。
本当に無礼な男だ。
せっかく絵を見せて差し上げたのに、褒め言葉の一つもくれないとは。
そもそもこんな絶世の美少女が近くにいるのだから、眺めながら心酔するのが礼儀というものでしょう。
それがずっと携帯で株価チェックしてたとかどういう了見だ。
(このわたくしより、お金の方がが大事ってこと?)
お金が欲しいなら、正式の使用人契約をすればよかったのに。
そもそも当主の傍に付き添ったり、お茶とお菓子を運んできたりするのは本来専属バトラーの役目であり、いくら仕事が完璧でも、一日八時間しか働いてくれないアルバイト風情がやっていいことではない。
それでもこの例外を黙認したこっちの意図を、早く察して欲しい。
「それとも、鈍感を装ってるだけかしら?」
青い空に向かって、セシリアは独り言のように呟いた。
最初に会った時は両親が遭った事故に巻き込まれて、奇跡的に生き残った身寄りのない子供だと聞いたから、気まぐれにこの屋敷で雑用を手伝わせることにした。
それだけなのに、いつの間にか彼は側まで近づいてきた。
お金に困る時以外ろくに顔も出さない親戚や、常に三歩下がったところに居る使用人達と違って、彼だけは特別だ。
手を伸ばせば触れられるし、話をかけたら決まったようなお世辞ではなく、ちゃんと本音を聞かせてくれる。
そして、ずっと味方でいてくれる。
だからあんなでも、側に居てくれないと困る。
「お待たせしました、お嬢様」
いつの間にか戻ってきたクリスは、運んできたお茶とお菓子を庭に設置してあった小さなテーブルに並べながら、セシリアに声をかけた。
いつも通りの淹れ立ての紅茶と、三重ティースタンドに乗せたシュークリームやチョコレート。どれもセシリアの好みを考えて選択したのは、一目見ただけで分かった。
そしてクリスの口元に、少しだけクリームがついていた。
それはほんの僅かで、じっくり見ないと分からないほど小さなものだった。
きっとまたこっそりつまみ食いしたのでしょう。そういう詰めの甘いところが、逆にちょっと可愛く見えてしまう。
――まあ、この美味しそうなフルーツロールケーキに免じて、不問にしましょう。
なんせ自分は、包容力のある淑女ですから。
暖かい日差しの中、自分の失策に気づかない少年の顔を眺めながら、セシリアは嬉しそうな笑顔を浮かべたのだった。
*
お茶の後は、少しの読書。午後の時間は、あっという間に過ぎていった。
そして屋敷に戻って、無駄に大きくて長い食卓で夕食を食べて、自分の部屋に戻ってしばらく休む。
やがてセシリアが書斎に訪ねた時、時計の針はすでに夜の八時を指していた。
しかし彼女が書斎を訪ねた目的は、本を読むためではない。
この歴史のあるオルコット家の屋敷は、とてつもなく広い。
舞踏会も開ける大きなロビーや、大人数が同時に食事できる食堂など、使用人三十人ほどの個室以外に、客用の部屋も大量に余ってある。
自然に、書斎もセシリアが自分の部屋と共に得た自分の勉強用書斎や、両親の使った仕事用書斎など、いくつもある。
そして今彼女が開けたのは、母親が生前に仕事用に使用していた書斎のドアだった。
家を取り仕切っていた母がいなくなった今、この書斎も当主として仕事と共に、そのままセシリアが受け継いでしまった。
フローリングを覆うやや暗めの赤い絨毯、壁に詰まった重厚感溢れる本棚、そして年月を感じさせる古い木製机。古き歴史の香りが、其処彼処から漂ってくるような部屋だった。
作品名:IS バニシングトルーパー α 001 作家名:こもも