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IS  バニシングトルーパー α 001

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 たったの一箇所――セシリアの机から少しだけ離れた所に、新しく追加した複合材の机を除けば。

 「遅かったな、セシリア」
 「こんばんわ、お嬢様」
 先にこの部屋に居た二人の人物が、入ってきたセシリアに話をかけた。
 一人は勤務時間が終わると敬語など一切使わないと主張する、生意気バイトのクリス。その増設した机で、彼はノートパソコンと向き合っていた。
 クリスは夜になると、よくセシリアの仕事を手伝いにくる。その机も、彼のために増設したもの。

 そしてもう一人は、仕事中の二人をサポートする女性使用人、いわゆるメイドのチェルシー・ブランケット。
 家事万能はもちろんのこと、頭脳明晰の上で容姿端麗な美人。背中まで伸びる艶やかな髪に、男の理想を実現化したようなプロポーション。
 セシリアとクリスより三、四歳ほど年上の彼女は、セシリアにとって幼い頃から一緒に成長してきた幼馴染であり、もっとも信頼されているメイドでもあり、頼れる姉のような人でもあった。

 こんばんわと、二人に挨拶を返した後、セシリアは自分の席につき、机の上に積まれた書類を適当に取った。
 万年筆とインク、そして紙。クリスと違って、セシリアはこれらで仕事をする。
 今の時代では些か非効率的だと認めざるを得ないが、やはり伝統を重視する貴族の世界では、手書きのものは独特な魅力を持つ。
 経営している工場や研究施設からの報告書や、新しいプロジェクトの企画書、さらに出資して欲しいという個人からの手紙まで。とてもまだ未成年の学生が処理できるような問題ばかりには見えるが、セシリアは早いベースでそれらに目を通して、気になる問題点や意見だけを書き込む。
 それができるように、彼女はいままで教育されてきたのだ。

 セシリアの後に仕えたチェルシーはそれを見守りながら、時に簡単な助言を出すが、決して答えを口にしない。
 そしてクリスも処理したものは返信する前にプリントアウトして、セシリアにチェックしてもらう。
 判断を下すのも、その結果に責任を取るのも、あくまでセシリアでなければならない。
 紅茶とコーヒーの香りが漂う部屋の中、時計の針は時間を刻んでいくに連れて、三人は仕事に没頭する。

 「うん……チェルシーさん」
 「はい?」
 突如、パソコンで書類処理をしていたクリスはチェルシーの名を呼んだ。

 「この間頼んだ調査、どうなってます? あのセト何とかってやつ」
 「セドリック様ですか?」
 「そう、そいつ」
 キーボードを叩く指を止めて、クリスは真剣な顔でチェルシーの目を見る。

 「セドリックって、あのセドリック・ベンゼル工場長のことですの?」
 二人の会話が気になって、セシリアはやや訝しげな表情を浮かべて、話に割り込んだ。
 オルコット家には独自の情報網が存在し、その情報網の管理はチェルシーに任せているため、何かを調査したい時は大体チェルシーを通して依頼する。

 「はい。そのセドリック・ベンゼル様のことです。先日クリス様に言われて、セドリック様について調査を行わせました。詳細報告書はまだ作成中ですが、やはりそれらしき痕跡があったとのことです」
 「ふんっ、今月の経費明細書も怪しいと思ったら、やっぱりね」
 鼻を軽く鳴らして、クリスは机に並んだファイルを一つ取り出して、チェルシーを介してセシリアに渡す。
 中に挟んであるのは、問題がありそうな部分は全部赤いペンで書いてある明細書数枚だった。全部で合わせてかなりの額になっているが、すべては巧妙にカモフラージュされいて、かなり神経質になってチェックしないと気付くのは不可能に思えるくらい。

 「あと本題とは関係ありませんが、妻に内緒で浮気をしているとの報告も」
 「証拠写真は?」
 「抜かりなく」
 「それはいい。イメージを壊しておけば、やりやすい」
 そう言ったクリスは、完全に悪者の顔をしていた。

 「……よく気付きましたわね。セドリックさんは温厚で誠実が評判ですのに」
 ファイルを閉じて、セシリアは少し感心したような目でクリスの顔を見る。
 やり方にエレガントさが欠ける気もするが、この注意深さにはいつも感心させられる。
 昔から何を学んでも上達早いし、要領もいい。だから普段の態度が悪くても、無意識のうちついつい彼に頼ってしまう。

 「温厚で誠実なだけの人間なんて居るものか。そういう人間はバカか腹黒しかない。そしてあいつを見た瞬間から、俺はあいつは後者だと判定したのだよ」
 クリスはセシリアを一瞥して、少し複雑な笑みを薄く浮かべながら作業を再開した。
 セシリアは同年代の女の子にしてはかなり賢い方だ。役目を果たすための努力も惜しまない。しかし優秀な女の子だけに、彼女は優しすぎる。人を疑って切り捨てるような非情さがない。
 だからこういう役割は、誰かが引き受けないといけなかった。
 口に出したら、“甘く見ないで頂戴!”って怒るでしょうけど。

 「……難儀な性格ですこと。少し休憩しましょう」
 クリスに向かって小さなため息を吐いて、セシリアはファイルを閉じて自分のカップへ手を伸ばした。
 自分の好みをよく知っているチェルシーが作ったミルクティー。
 一口含むと、ほんのりとした上品な甘さが口の中に広がり、仕事で溜った疲れが一気に飛んだような気がする。


 「チェルシーさん、コーヒーのおかわりを頼めます?」
 「はい、かしこまりました」
 クリスが自分のカップを持ち上げて、その空っぽの中身をチェルシーに見せると、彼女はすぐにコーヒーポットを持って、彼のカップに新しいコーヒーを注いだ。
 コーヒーの芳しい香りが一気に広がり、クリスは満足そうな表情を浮かべて、ありがとうとチェルシーに礼を言うと、彼女はどういたしましてと、ポットを持ったまま優しく微笑んだ。

 「あんな苦いものをよく飲めますわね。イギリスにいるなら、紅茶を飲みなさいよ」
 妙に仲良さそうな二人を片目で眺めて、セシリアは自分のミルクティーを啜りながら呟く。
 クリスの出身地は本人も覚えてないと言ってたから、はっきり言って不明だが、イギリスでの生活も相当長いはず。それなのに未だに紅茶よりコーヒーとは、実に嘆かわしい。

 「チェルシーさんの淹れたコーヒーは特別だよ。毎日飲みたいくらい」
 手中のカップの縁をなぞりながら、クリスはふんと、小さく笑いながらチェルシーに視線を送った。
 「でしたら、正式の契約をなさてください。そしたら私がこれから毎日ずっと、コーヒーを淹れて差し上げますわよ?」
 クリスの話題を拾ったチェルシーはそう言いながら、セシリアの側まで歩いた。
 彼女にとってセシリアは主であり、可愛い妹に近い存在でもある。セシリアよりクリスを優先する可能性は、ゼロに近いのだろう。
 そしてセシリアも無関心に装いながら、クリスの顔色を窺う。
 主の自分から言うなんてプライドが許さないけど、契約はして欲しい。

 「正式契約したら、四六時中セシリアをお嬢様って呼ばなきゃいけないし、プライベート時間もなくなるじゃないか。やっぱり自分の人生は自分のために生きたいな、俺は」