Act.7 「Big Deal」~Kizuna~
血の付いたカバンを抱えたままで走り出す。どこへ向かって走っていいのかわからないが、とにかくその場から離れたかった。駐車場からすぐのところにロータリーと研究棟の正面入り口があり、その前まで必死に走ると、一旦足を止めて、うしろを振り向く。
手についた血は取れない、カバンの血も……本物だと改めてわかる。
研究棟のところどころに灯りはついているけれど、人の気配が……ない。
「誰か、誰か……!」
叫んでも声はむなしく周囲に響くだけ。これだけの声を出しているのに、誰も出てこないなんて!誰かいるはずだ、ひとりでも……そうだ、正門の守衛室!
今度は正門へ向かって走る。
「あ、守衛さん!」
顔見知りの守衛がひとり、こちらにやってくるのが見えた。が、なにか変だ。ふらふらとした足取りでこちらに向かってくる。が、いきなりその顔が苦悶に歪み、身体が崩れ落ちた。力なく、地面に倒れる。
「そんな!」
傍に駆け寄って声をかけるが、苦しそうに唸っているだけだ。そのうちに依月も全身からチカラが抜けていく。ダメ、自分の足にも力が入らない!こんなことって……!誰か!
すると、ふわりと自分の目の前に現れたのは……
≪こんばんわ、お嬢さん≫
まるで中世の騎士が姫に対する礼儀を通すように、恭しく頭を下げて依月の目の前に現れたのは、これまた古めかしい服に身を包んだ「男」だった。助けに来てくれた人物ではないのはすぐにわかった。
全身を震わせて、目の前の人物を見る。こんな状況なのに、落ち着き払った様子で自分に話しかけてくる。
≪イツキ・カワイ?ようやくお会いできました。私の名前はjoker≫
依月を見る相手は、顔に道化師のメイクを施し、笑っているのか、泣いているのか……はっきりしたことがわからない。だが、確実に相手は自分を見ている、話しかけているというのはわかるのだが……なぜ、自分の名前を知っているんだろう?
「あなた、なの?浅沼くんと、守衛さんを……」
≪ああ、彼らに道を尋ねただけなのですがね。お答えいただけなかったようです≫
道を尋ねるって……それだけ?どういうことよ……?だいたい、道を尋ねると言っても、この敷地内に、こんなスタイルの人が入ってくるなんて。
≪どうしても教えていただきたいものがありましてね、イツキ。この敷地の中にあるというものを。あなたは教えてくれますね?≫
「な、にを……?」
≪あなた方が研究している、小惑星の欠片が欲しいだけなのですよ≫
「あっ!」
思わず口を抑える。なぜ、jokerがこのことを知っているの?でも、いかにも怪しい相手に、そうは簡単に教えるわけにはいかない。ここで口を割ったら今後の研究などにも差支える。それは自分たちだけではない、全世界で今回のことを研究している人々のためにも。
地面に座り込んだまま、依月はずるずるとうしろへ下がる。逃げたいのだが、足に力が入らない。立ち上がれない。こんな異常な状況……あっていいわけがない!
≪おやおや、逃げるおつもりですか?≫
jokerが音もなく自分に近づいてくる。手を伸ばして依月の手を取ろうとした瞬間、彼女はそれを払いのけた。ニヤリと笑うjoker。身に纏っていたマントを翻す。
≪ならば、あなたもあの者たちのように……なるだけですよ?さぁ……≫
ぎゅっと目を閉じる。
(もうダメ……逃げられない、足が動かない!)
と、次の瞬間、一陣の風が。
気づいた時、「影」が自分とjokerの間に立ちはだかった。
≪邪魔者?≫
jokerが少し声を上げると、黒い影はjokerに向かって拳を向ける。バシッという音がして、それを右腕で軽くあしらうjoker。さらに気合とともに「影」は軽くジャンプすると右膝で相手の脇腹付近に一発!
≪貴様……!何者っ!≫
だが、返事はまったくない。その代りに「影」は、依月に短く声をかけた。
「逃げろ、依月!」
「あ……え?」
「早くっ!」
この声、どこかで……まさか……!でも、今は聞くことよりも「影」が言う通り、この場から逃げることが先だと判断した依月は、なんとか立ち上がると再び研究棟に向かって走り出した。
(すまん、依月!)
依月が走り去るのを確認した「影」……十文字撃は、jokerと再度、対峙する。
≪あの銀色の戦士かと思いましたが、どうやら違うようですね。どこかでお会いしたことがありましたか?≫
「さぁな…」
短く返事をすると撃は、再び相手に対して、身体を構える。
「この建物にお前たちが近づくことは許さん。これ以上、俺の仲間たちに手を出すな」
≪仲間?≫
jokerは相手の顔をじっと見つめる。じりっと一歩、前に歩を進ませると、相手は一歩、軽く足をひく。彼は相手を見据え、様子を伺いながらもjokerにけん制を仕掛けるかのように、表情を変えない。
≪あなたも地球人ですか……これは面白い≫
ニヤリと笑うと、jokerは片手を高く掲げ、気合と共にその掲げた手を振り下ろす!咄嗟に判断した撃は、地面に身体を伏せてそれを避けると、逆にjokerに向かって体当たりを試みる。と、見せかけて目の前に素早く移動して、jokerに向かって拳を叩きつける。が、それをひょいと軽くあしらうと、後方へ下がり、今度は不気味な黒い光を全身から放った。
「うわっ!」
右腕で顔を庇うと、黒い光は一瞬にして治まった。慌てて顔を上げて周囲を見回すが、jokerの姿がない!
「どこだ!」
≪計算が狂いました。今夜はこれで失礼しますよ……またお会いしましょう≫
「このやろ……!待ちやがれ!」
闇に向かって叫ぶが、むなしくその声が雑木林の中に吸い込まれてしまうだけだった。軽く舌打ちしたあとに、目の前に倒れていた守衛に近づく。幸い、まだ息はある。
「しっかりしてください!聞こえますか?」
「う……なん、だ。いきなり……」
あ、反応があった。撃はほっとすると同時に言った。
「もう大丈夫ですから」
「ああ……きみは?」
「通りすがりの者ですよ」
たぶん、この暗闇では自分の顔ははっきりわからないだろう。そっと守衛の身体を抱えて、守衛室へ移動する。少し落ち着いたのを見計らい、撃は守衛室を出た。
自分がいたのに……
(あ、もうひとり!)
全速力で職員用駐車場へ走った。
くん……と、鼻につく匂いに導かれるようにして、撃が見つけたのは、クルマのフロントガラスに横たわる浅沼の姿、だった。血まみれになった彼がぐったりとしているのを見て、
「浅沼っ!おいっ!聞こえるか!」
ジャンプしてボンネットに飛び乗り、浅沼を抱える。見開かれた眼は空中を彷徨い、やがて視線が撃の正面へと向けられる。しばらく撃の顔を見ていた浅沼は、相手がだれかとわかったのか、大きく息をした。
「……げ、き…?」
「ああ、そうだ」
「おまえ……生きて、いたの……か……」
言葉もなく頷く。
「そう、か……よかった……」
と、ゴブッと口の中から鮮血が溢れ出す。まずい!これ、肺に流れ込んでいる!
「浅沼!」
「…さっき……一瞬だ、けど、とお、や……の姿を、見た……」
「えっ?」
「かわい、さん……に、……伝えろ…」
ここまで言うのが精一杯だったのか、呼吸が苦しくなる。だが、彼はもう一度、最後の力を振り絞って撃の腕を掴んだ。
作品名:Act.7 「Big Deal」~Kizuna~ 作家名:じゅん