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憂鬱シャルテノイド 前編

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「あの世界を、常識で考えるのは無理だと最初から知ってるだろう? それに、あの中にいるのがアメノサギリだけだと思っているのか?」
「……どういうことだよ」
「要するに、あれのような存在は一つだけではないということだ。…此方の霧が晴れたからといって、あの世界が危険を孕むものだということは理解しておいた方がいい。…でなければ、こんなことにはならない」
 とにかく、と付け足しシャドウは陽介の腕を掴む。
「時間があまりない。さっさと向こう側に行って本体を取り戻して来なければ」
「だ、だからちょっと待てって! テレビの中に行くにしたって、クマかりせがいねーと…」
 クマは今ジュネスでバイトに明け暮れているだろうし、りせは今日はボイストレーニングに行くと言っていたはずだ。最悪クマに来てもらえばいいのだろうが、事情が事情なので説明がしづらい上にどう言ったらいいのかも分からない。
 そもそも、もう事件は終わったのだと皆思っているのだから、余計な混乱を招きたくないのが本音なのかもしれない。自分達でどうにか出来ることなら、そうしてしまいたい。
「…居場所なら、ある程度俺が特定できる。ただ、帰り道だけはどうしても必要だからな。事を荒立てたくないのなら、二人の内どちらかに時間を指定して来てもらえばいい。それまでに、此方のことを片付けておけばいいんだからな」
「………それなら、多分大丈夫だと思う」
 クマのバイトが終わるまで、後四時間は軽くある。ちょっと二人で探索に出かけてくるから、終わった頃にでも来て欲しいとメールを出しておけばいいだろう。
 操作方法はもう殆ど覚えているはずだから、見てくれさえすればどうにかなる。半分賭けにも等しいが、此方側に帰る手段がなくなってしまうのはきついのでこうするしか方法がない。
 そうと決まれば、陽介はポケットから携帯を取り出した。慣れた手つきで素早くメールを打ち、送信ボタンを押す。数秒の後、送信完了の画面を確認すると頷いた。
「よし、とりあえずこれでクマには連絡した。後は、さっさとやるだけだな」
「ああ、なら行こうか」
 善は急げとばかりに部屋を出て行こうとして、ふとあることに気づく。
「なぁ」
「ん?」
「そういえば、お前のこと何て呼べばいいんだ?」
 シャドウと一口に言っても、テレビの中に跋扈しているあれらとほぼ一括りの名称になってしまっているので紛らわしいことこの上ない。
 かと言って、いつもと同じように呼ぶのもなんだか抵抗がある。ならばペルソナの名前で呼べばいいのかもしれないが、風斗は自分達とは違っていくつものペルソナを所持していたからどれで通せばいいのかも分からない。だから、当人に聞いてしまう方が一番手っ取り早かった。
 思わぬ質問だったのか、シャドウが一瞬ぽかんとした様子で此方を見た。数秒の間を置いてようやく理解してくれたのか、その顔に微かに笑みが浮かぶ。
「そうか、そうだったな。…イザナギ、と呼んでくれ」
 滑り出した名前は、予想に違わず風斗から一番最初に現れたペルソナの名前だった。随分前に見なくなったが、それでも彼にとっては特別なものなのだろう。こうして、彼のシャドウとして此処にいるのだから。
「了解、そしたら出発だな。…ってか、お前ジュネスまでサングラスしていくわけ?」
「当然だ。この目を見られたら怪しまれるだろ」
 不格好なサングラスの時点で十分怪しいと突っ込みたい気がしたが、やめておいた。
 どちらにしても、今から買いに行っている時間もないし、ほんの一時凌ぎなのだから特に何も言うことはないだろう。むしろ、あんまりそういうのを使いそうにない堂島がよくこれを買っていてくれたと感謝したいくらいだ。
 周囲の視線はこの際気にしないことにして、早いところ出た方がよさそうだ。動ける時間は限られているのだから、出来るだけ速やかに行動しなければ。
「とりあえず、まずは俺ん家寄るぞ。手ぶらで中入るわけにはいかねーし」
「分かった」
 多分、今日は宿題なんて出来ないだろうな。そんな思いが脳裏によぎりはするが、それよりも大事なことなのだから敢えて考えないようにする。むしろ、こんなことになってしまった以上宿題なんて後回しだ。今は、風斗を助けることに集中しなければ。
 そうして頷き合うと、二人は足早に部屋を出た。




「よっ、と」
 それから約一時間後、陽介はイザナギと共にいつもの入口広場に降り立っていた。
 一旦自分の家に武器と眼鏡を取りに行き、そのままジュネスまでやって来たのだが、いかんせんお昼時だったのとまだ冬休み中なのも手伝って店の中は大混雑だった。
 当然、家電売り場にもそれなりに人がいて。普段なら閑散としているはずなのに、こういう時に限ってどうしてこうなのやら。溜息をつきたい気持ちになったが、焦っていては何もならないことを知っているからこそ慎重に行動するしかない。
 幸いにも、売り場にいた客はすぐに買い物を終えたのか、そう時間も経たない内にその場を離れてくれた。周囲に人がいないか確認し、素早くテレビの中へと入ってみれば変わらない景色が眼前に広がっている。
「クマきちやりせがいない状態で、此処来んの初めてだな」
「むしろ、少人数で来ること自体まずなかっただろ」
「あー、そりゃ確かに」
 いつもだったら特捜隊のメンバー全員に声をかけて、集合しきってから探索に乗り出していた。正直何が起こるか分かったものじゃないから、いつでも交代がきくようにと外で待機していたのもいい思い出だ。
 それに、今と違って皆此方のことを最優先にしてくれていたのだから、当然と言えば当然だったのかもしれない。…そう考えると、本当に一つ一つの事件が予断の許されない状況だったのだと改めて思い知らされる。今も同じことに、変わりはないのだけれど。
「とりあえず。仁科の居場所、分かるか?」
「…少し、待っていろ」
 探ってみる、と口にするなりイザナギが目を閉じる。さすがにこういう時は話しかけてはいけないので、黙って見守るしかなかった。
 …自分にも、そういう力があればいいのにと時々考えることがある。待機している時なんて特に、何も手助けが出来ないのがもどかしくて仕方なかったこともあった。一緒に戦えるだけでも十分役に立っていると分かっているのに、なんと欲張りなのか。そんな自分に内心呆れてしまう。
「……いた」
 ややあって、イザナギがぽつりと呟く。
「やっぱり、こっちにいるんだな」
「ああ、間違いない。…ただ、少しだけ波長が弱いな。…眠らされているか、あるいは弱っているか、多分どっちかだろう」
「って、それまずくないか? 早く助けてやんねーと」
「落ち着け、焦ると余計周りが見えなくなるぞ。それに、何があるか分からないからな。慎重に進んだ方がいい」
 慌てて武器を取り出そうとする自分を制するかのように、イザナギが軽く肩を叩いてくる。その光景に、微かな既視感を覚える。
「…お前も」
「ん?」
「やっぱ、仁科なんだな」
 思い返してみれば、今のやり取りは本物の風斗と何度となく交わしてきたものだ。