ひび割れ
西洋化された街灯を、ある種の違和感をもって感じる、それに疲れてしまった。家は、あの息苦しさをまだ居座らせているだろう。一人の英国人によって持ち込まれた、息苦しさ。彼に対する、感情は今まで持ち得なかったものだ。まだ言葉によって定義されない感情。さまざまに変化する世の中で、常に変化しているということは即ち何も変化しないことに等しい。私が知りたいのは結果である。開国し、多種多様な物を受け入れた結果。文化や、技術だけが影響されたなどとはいえようも無い。西洋という毒は精神をも侵し、ひびを生ずる。そして割れ目から流れ出す、日本語ではまかない切れない感情の奔流は、異人の言葉を用いればあるいは全てを表現しうるのだろうか? 居間で一人座っているだろう 、あの青い目と金色の髪を思い出す、まだ名は発音しきれない彼が使う、真新しい仕草や感情をいつかは日本語で定義せねばならない。開国して後、技術よりも言葉が足りなかった。このひび割れた心が生ずる、名詞に変換されない様々よ! もどかしく指が唇を撫ぜる、遠くに見える家の門、落ち葉がつむじ風に舞っている、彼もまた情緒を解する言語を有せず困惑の中にいるのだろうか? 枯葉と物悲しい風を、もし美しいと彼が感じてそれに戸惑っているのなら愉快だ。分からないことに不安よりも楽しみ、好奇心やそれらに似た何某かを抱くなんてもう何百年ぶりだろう。もう私を私と定義しきれなくなった言葉に、彼の言葉を足して、それでもきっとまだ足りない。彼、によって私で無くなった私、によっ て彼でなくなった彼、の姿がちらりと、見えた。門の前で所在無げに行ったり来たりする彼に、抱いたこの感情は何だ? 私の姿を見て、安心したように笑いかける、こちらをすがる目にすがり付くのは反則であろう。けれどもう選択肢などこれしかなくて、私は視線を合わせる。当惑する覚悟はもう出来ている。そして、結論を下す決意も。