ひび割れ
言葉が通じない二人同士、身振り手振りで居間に彼を導いて、座布団を勧める。間が持たないこの距離感に、落ち着かないのは彼も同様だ。こちらを見やり、そして彼は私の割れた唇に気づく。儀式めいた意味合いを含んで、彼が手袋を外す。その剥き出しの肌がとても私とは違う存在だと思い知らせながら、ひび割れに触れた。居間で、並んで座ったまま、言葉を失くした私達は触れ合うことでしか互いを確認できない。白に、赤はまさしく美しく、けれど彼はまだ当惑の最中。青い目に、紅白の色合いはどう映るのか、いつか言葉が揃ったら尋ねてみたいと思う。ただ、表情が語る、おそらく負の方向にある感情は、手を汚した血に対してか、私は分からない。未知への好奇心に付き物の不安、を私はすっか り忘れていた。不安は空気を更に重くして、息苦しさの中心に彼はいる。汚れた指を、血よりも赤く見える舌で舐めた、その顔は少し悪く歪む。乾いて、また溢れ出した唇の血をぬぐおうと見せた私の舌を、白い指が遮る。再び血の付いた指を、彼は私の舌で拭って、そっと笑って、もしくは日本において笑みに見える風に顔を作って、安心させたその隙に自らの舌でひび割れた唇を舐めた。触れ合った、唇に舌はなんの定義も下せず、甘さや塩味、泣きたくなるような、心が弾むような、この全てを何と呼ぼう? 触れた唇と、私の口内で本来触れ合うはずの無い器官が、舌と舌が混じっていく。私はその全てを受け入れる。長く生きてきた中で知らなかった、多種多様をこの人は与えてくれる。おそらくひび割れ が修復されるために必要な何もかもが揃って、満たされていく。言葉は足りなかった。しかし要らなかった。思考に必要であった筈の言葉は、前提たる思考から否定された。西洋の毒が生んだひびを、西洋人たる彼が難なく治していく。彼の腕の中で、私は国で無く私であることを許される。キク、硬い発音で、キク、息継ぎの間に発せられる吐息が、キク、むず痒い心地よさをもってひび割れをやさしく埋めていく。元のとおりには決して戻らない、唇や精神が、毒を受け入れて自らを壊し、また構築する。