そら礫
「―――で、お主は何者なのだ」
双方落ち着いたところでもう一度尋ねると、最早逃げられぬと観念したのか、今度は獣も渋々応じた。
「…俺ァ、お駒の家のオサキだよ」
「オサキ?お駒とはこの店の女中の…?」
部屋まで案内してくれた若い女中の名だ。そして朋輩から怪異と関係があるのではないかと言われていた…。
「俺は、ずっとお駒の側にいたんだ…」
「がくぽ様、お駒さんの家は憑き物筋であったようですね」
憑き物筋とは犬神、猿神、長縄などの霊に憑かれている家系である。憑き物は憑いている家には福をもたらすが、それは必ず周囲から掠め取るもの。大抵の家は望んで憑かれているわけではないので、他に悪さをせぬよう祀っているだけであるが、中には意図的に使役する者もいる。とカイトは説明をした。
「ならばこの事件はお駒殿が…?」
「お駒は何も悪くねえ!」
オサキはがくぽの言葉を強い口調で遮った。
お駒は何にも悪い事はしてねえんだと繰り返す。
「あの娘は本当にいい娘なんだぜ。家に女の子が生まれたのは何代か振りでよう。あの娘が生まれた時、俺は本当に嬉しかったんだ。お駒は俺の姿も存在も直接知らねえが、家に居た頃は毎日俺の祠を掃除して料理も供えてくれた。ちょっと気が弱い娘だから、奉公に出るって知った時には心配で気になってよ…」
「付いてきたのか」
「それをあの男が…!」
「あの男??」
「そうだ!全部あいつが悪いんだ!!」
興奮してわめくオサキの言葉を要約すると、こうである。お駒は近江屋の次男坊に言い寄られ、男女の仲になった。結果としてお駒は子を宿した。だが、次男の方からすると若い娘との関係は遊びでしかなかったのだ。子が出来たと分かった途端、お駒を追い出そうとしてきたのだという。
「では今お駒殿の腹にはややが」
「店を出ても家には帰れない。もちろん他のあてもねえ。優しい娘だからよ、赤ん坊を堕ろすのを躊躇ううちに、腹も出てくる。周りに誤魔化せなくなるのも時間の問題だ…」
獣ながら途中から涙混じりで語っていたオサキはキッと顔を上げた。
「おまけにあいつ、お駒以外の女中にも手ェ出してやがるんだ!お駒が出て行かねえもんだから今度は懇ろになってるその女に、お駒に嫌がらせをするよう仕向けてきやがった。俺は、俺は、日に日にやつれていくお駒を見てるのが辛くて……」
だから許せなかったのだと言った。
お駒を傷つけた男も。辛く当たるその女中も。息子の行状に気付かず放蕩を放っている店の主人も。
そいつらの関わるこの店自体も。
何ともひどい話である。ひどい話ではあるが、いささか見当違いの感も否めない。こんなことをしてもお駒の身の上には何の益もない。
そんながくぽにカイトは言った。
「オサキやクダといったのは神霊といっても位の低いものですからね。あまり利口ではありませんし、己の感情のみで行動して事の善し悪しの判断も曖昧なのです」
「何だと!!そういうてめーはただの狐だろうが!この三下!」
「お前よりは頭もまわるし分別もある」
「ああもう、やめぬか!」
言い争いを始めた二人を諌め、がくぽは改めてオサキに目線を合わせて静かに語りかけた。
「お前がこのような嫌がらせをした所で何にもならぬ。どころかお駒殿はこの件で人に嫌疑をかけられますます辛い目に合うているのだぞ。お前の話は拙者から主人に伝えると約束する。だから、これ以上悪さをするでない」
がくぽの真面目な表情に、オサキも打って変って黙って聞いている。
「ま、まあ、お駒が嫌な思いをしないで済むなら、それが一番なんだ。てめえがどうにかしてくれるってんなら、ちょっと様子を見てやってもいいぜ…」
自分の行為が意味のないことには多少の自覚があったのだろう。オサキは素直に頷いた。
「…でも、もし!お駒の処遇が改善されなかったら、この店の身代を潰すまで俺はやめないからな!」
「ああ、拙者も出来うる限りの事はしよう。お主のお駒殿を思う気持ちが報われるようにな」
がくぽは優しくオサキの頭を撫でた。
「ちっ…気安く触るんじゃねェや」
文句を言いつつも大人しく撫でられていたオサキだが、突然カイトの拘束を解くと、縁の下へと走り込んだ。
恐ろしくてずっと家の中にいたらしい番頭が、店の側から大分遅れて庭にやって来るところであった。
「神威様…化け物はどうなったので?」
番頭が恐る恐る尋ねる。
「捕らえたのだが、今しがた逃げられてしまった」
「え、ではこの近くにまだ…」
きょろきょろと見回す番頭にがくぽは心配はいらぬよと笑った。
「尾形殿への報告の結果如何にもよるが…おそらくもうそら礫は起こるまいよ」