二話詰め合わせ
二話目 <それで、君は如何したいんだ?>
「駄目だ、俺、食欲ねぇ・・・」
ぼそりと呟く。
目の前のディナープレートには、赤ワインと何かを煮詰めたようなソースのかかった一際大きなハンバーグだけが載っている。確かサーブされた時には綺麗な色合いの野菜が付け合せてあった筈なのだが、それは食してしまったようだ。
まるで、お残しを叱られるのを怖がる子供のように、目の前の皿の上の物体を見詰めて長い耳をしんなりと折り曲げたエリオットが、ナイフとフォークを持ったまま凝固していた。
「何やってるんだよ、ひよこウサギ。お姉さんの作ったお料理残す気なの? 酷いよね、兄弟。」
話を振られた片割れが、口を動かしながらウンウンと首を縦に振る。
エリオットの隣では、この屋敷の主が文句の付けようもない綺麗な動きで皿の上の食物を取り込んでいく。それが余計プレッシャーを感じさせ、緊張の余り冷や汗が浮かんだ。
せめて一口食べようと努力はしている。両手に持つカトラリーを皿に近づけようとするのだが、それと同じ位の力で押し戻されているように筋肉がびくとも動かない。
そんな様子の彼も、テーブルへ着席したばかりの頃は口数も多く腹が減ったと美味いを連発していたのだが、メインを食べ始めた頃から調子が悪くなってきたようだ。
「お疲れ様、今日はシェフと私で頑張ってみたのよ。お口に合うかしら?」
キッチンから出てきたアリスが、双子達のグラスに水を注ぎながらニコニコしている。
「うん!お姉さん天才だよ。凄く美味しい。ね、兄弟。」
「お姉さん、お店だしたら絶対儲かるよ。ボスに頼んでみたら?ねぇ、兄弟。」
それは良いかも! と一旦同意したものの、遊んでくれなくなっちゃいそうだね・・という結論に達し、僕達にだけ美味しい料理を作ってと訂正された。
「ふふっ・・私はちょっとお手伝いしただけなのよ。貴方達、甘い物も用意しているから、お食事が終わったらどうぞ。」
わあいと歓声を上げるディーとダムの皿には既にナイフとフォークが仲良く並べて置かれている。エリオットはそれを恨めしそうに睨んだ。
「エリオット、お口に合わなければ、いつものにんじんステーキに直ぐに替えるわよ?」
「あ、ああ、ごめんな。俺、肉はちょっと・・・」
それは申し訳なさそうな顔をするエリオットに、アリスは、お肉に見える?そうじゃないのよと言いながらテーブルを回って彼の隣にやってきた。
「エリオットの分だけは豆なのよ?見えないでしょう?」
「え、ウサギの肉じゃなかったのかよ?」
驚いたようにアリスの方を見る。少し首を傾げながら、怪訝そうな彼女。
「貴方、草食・・・じゃなかった、菜食主義でしょう? 肉なんて、ましてやウサギの肉だなんて、出すわけ無いじゃない。」
エリオットの隣でブラッドはワインを呷っていたが、急に噴き出しそうになっている。
「お・ま・え・ら~」
目の前で散々、ウサギの肉のハンバーグだねと言い合っていた双子の座る席を睨み付けると、既に席は空になっていた。
ちくしょうと言いながら、菜食主義のマフィアの幹部は、少し冷めた豆のハンバーグを大きく切り分けて口の中に放り込んだ。頭部に付いた耳がピンと伸びる。
「おお!! 美味いっ。」
「良かったわ。いつも人参だけじゃ如何かなって思っていたのよ。色々な栄養を摂らなくちゃね。」
「アリス! お代わり。」
あっという間に空になったプレートに驚きながら、ちょっと焼くのに時間掛かるわよ?と言うと、エリオットは立ち上がり、んじゃちょっと・・とダイニングから出て行った。
アリスはキッチンへ追加の料理を伝えると、テーブルの上の食器を片付ける。
ワインを飲むブラッドの隣でエリオットの食器を下げようとした時だ、するりと腰から尻にかけて違和感を感じて振り向いた。
「ブラッド、刺すわよ?」
エリオットが使っていたフォークを手に持って、隣で何食わぬ顔の男を睨む。エメラルドグリーンのアリスの攻撃的な視線を深い緑の瞳が受け止めた。それはそれはとても楽しそうに。
「いいじゃないか。美味しい食事の後のデザートを待ちきれなくてね。」
そう言いながら性懲りもなく手は張り付いたままだ。
咄嗟に周囲を見回し、赤くなる。こんなところで止めて!ときつい語調で男の手を払い落とした。そうして彼の手が届かない距離をとる。
「この間のことなら誤解しないで・・あれは初めて飲んだお酒に酔った勢いというか、貴方に騙されたっていうか、とにかく後悔してるんだから。」
彼の言外の意味を察し、拒絶の言葉を並べるとそそくさと立ち去った。
低い声で後悔?と少し語尾を上げ、ブラッドは自分に背を向け食器を運び去るアリスの姿を見送り、黙って席を立った。いつもの食後の紅茶のオーダーも無く消えるなど珍しいことだ。
彼のために運んできたデザートは、それを食する主を無くし、アリスの手の中で行き場を失う。
「ブラッド?」
気紛れな主が何を思い席を離れたのか気にする間も無く、丁度戻って来たエリオットに焼き上がった料理を出し、無理やり連れ戻され席に着かされた双子達の意向を無視した人参デザートを、エリオットの指示で大量に運ぶことに追われた。
読み終わった本を胸に抱きブラッドの書斎を訪れる。彼は仕事中で、顔を上げない。いつものように一声かけて本棚に向かった。
ここの膨大な量の蔵書は、全てが常に今製本されたかのように綺麗な状態で並んでいる。それ故、取り扱いには慎重になる。この世界では傷などつけても時間帯が変われば消えるのかもしれないが、今までの習慣や癖のようなものだ。
――― その本は新しいから丁寧に扱いなさい。
よく父に言われた。かと言って長い時間を経た本を手に取れば、古い本だから丁寧に扱うようにと言われたものだ。つまり全ての本は須く丁寧に扱うべきということで彼女は躾けられて来た。
何時もの様に選んだ本を大事そうに数冊胸に抱え、赤いソファには向かわずに扉の前で小さく退室を告げる。顔も上げずに仕事に熱中するなど珍しいことだと、余り長居をしない様配慮したつもりだった。
「待ちなさい。」
優しく静かな声が扉のハンドルを握る手を止めた。
振り向けば此方を向いたブラッドが手招きしている。気を散らせてしまったなら申し訳無い事をしたと思いながら、赤い長椅子へ向かい歩いた。
本をローテーブルに置くと腰を下ろし、此方を見る彼に首を傾げる。それは仕事の手を止めてまで呼び止めた自分に何の用事かと尋ねる意図を持って。
ブラッドは肘を突き、こめかみの辺りで数本の指を使い頭を支えていた。いかにも気怠いといった風情だ。
「お嬢さん、私が君につけた傷を消して欲しいのならばそうしてもいいと思っている。ただ、記憶までは消せないがね。」
唐突な話にアリスはポカンとした顔をしていた。実際何を言われているのか理解できなかった。それを見て取った男は続ける。
「君は、後悔していると言ったじゃないか。」
この男に護られた記憶はあっても傷付けられた覚えなど無いと思っていたアリスの頬に徐々に朱が差す。あっという間に耳まで赤く染まる。漸く何を言われているのか理解できたのだ。