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二話詰め合わせ

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見る間に視界が滲む。俯き加減の頬を静かに涙が伝い落ち、後から後からとめどなく溢れ出る。

芳香の漂う店内で声を押し殺し、肩を震わせ泣き続ける彼女の背後に、壁にもたれ腕組みするブラッドが居た。
彼の近くにある客席から直接見えないドアは、帽子屋とハートの城の紅茶の倉庫に直結している。
紅茶好きならば小躍りするほどの品揃えの最高級茶葉の中から、紅茶狂のブラッドが唯一その腕前を認める紅茶ソムリエが、アリスのためだけに腕を振るう、此処はそういう店だ。
勿論アリスは知らない。今後も知ることは無いだろう。


彼女にこの場所を提供したのはこんなことの為では無かった筈だ。如何にも不機嫌そうな顔で、声を殺し泣き続ける彼女の後ろ姿を見詰め続ける。今直ぐにこの短い距離を詰めて抱き締めてしまいたい衝動に幾度も駆られるが、此処で出て行くわけには行かない。白ウサギとビバルディとの協定がある。
今は動けない。
投げ付けられた本の間にメモを見つけた時、彼女の気持ちは自分にではなく部下にあるというそれまでの推測が確信に変わった。
だが、それが如何したと思う。そんな瑣末な事に気を留めるような自分ではなかった筈だ。

ダイニングで後悔していると言われ驚いた。そんなことを言われたのは初めてだ。それまでは、飽きるまで彼女を好きなようにするつもりだった。その事に何の疑問も持たず、拒否されることすら念頭に無かったといって良い。
先刻部屋に来た彼女を引き止めたのは、その意思を無視し支配し蹂躙する為だった。だが結局実行出来ずにあんな心にも無い事を言い出す始末だ。
こんな面倒ごとは当事者でもあるエリオットに収拾させれば良いと思う。だが踏ん切りがつかない。
いつの間にか透明な陽の光が色を変え、室内を赤く染める。静かに近くのドアを開けると、自分の紅茶コレクションの前で所在無げなソムリエと視線が合った。

「そろそろ紅茶を入れ替えてやってくれ。」

彼はそう言うと屋敷へのドアに消えていった。





アリスは泣くだけ泣いて落ち着いてくると、冷めた紅茶を一気に飲み干した。花の香りが身体中に広がる。香りに癒されてゆく気がした。
トリュフを一つ口に入れゆっくりと味わう。口の中でじわりと溶けてラムの味が混ざる。アルコールの独特の香りと刺激が口内に広がり、甘いだけではない微妙な味わいの余韻を楽しんだ。

ぼんやりとしているとお替りの紅茶を差し出される。先程と同じ香りの紅茶だがミルクティー仕立てになっていた。一口含むと濃く出した紅茶とミルクの甘味が口の中に広がり、温かさも手伝って身も心も解れてゆく。ゆっくりと一口一口味わう。二回もお替りをするくらい美味しくて、甘い温かさに癒された。
そういえば、此方の世界に来てからはこういった飲み方はしていない。家主が強硬なストレート派であることから、紅茶に混ぜ物が遣り辛いのだ。以前はミルクティーを姉妹でよく飲んでいたのに、すっかり忘れてしまっていた。

「姉さん、きっともう直ぐ帰れると思うわ。」

カップの中のミルクで濁る紅茶を見詰めながら口の中で小さく呟く。残り少なくなったそれを飲み干すと立ち上がった。代金は何時も一緒だ。有難うと言葉を掛けると外に出た。

「ん~、まずはユリウスの所でお願いしてみようかな。」

此処から然程遠く無いとはいえ、正気に戻れば泣き腫らした顔を上げて歩くのは恥ずかしいものがある。俯き加減で時計塔を目指した。表通りはいつでも人通りがそれなりにあって賑やかな所だ。今は知り合いに会わないよう祈り、ひたすら足を動かす。
頭の中はいつしかあの男の事を思っていた。頭の中でグルグルやっている時は大概良い考えには向いていかないものである。彼女もご多分に漏れず後ろ向きな、下降する螺旋のような思考に陥っていた。

(あの屋敷に居ない方が良いのよ、きっと。)

ふと顔を上げればすっかり時計塔は通り過ぎていた。戻ろうとして考える。長く居る事になればユリウスには迷惑なんじゃないかしら。ハートの城だって、遊園地だって実はそうなんじゃないかしら。もう何を考えても悪い方向にしか向かない思考に、途方に暮れる。行き場が無い。

「さて、お嬢さんは往来の真ん中に突っ立って何を思案中なのかな?」

聞き覚えのある声に振り返る。慌てて横を向いた。こんな顔をこの男にだけは見られたくない。

「なによ、」

不機嫌にそれだけ言うと後に続く言葉が思いつかない。早く何処かに行ってよと顔を顰めた。その頬に手が伸びる。

「随分腫れているな。私の言ったことはそんなに君を傷付けたのか?」
「あ、あんたなんか・・し死んじゃえば良いのよっ!」

また涙で視界が滲む。思わず口を衝いて出た言葉は、即撃ち殺されても可笑しくない暴言だったが、ブラッドはふうと小さく溜息を吐きアリスの肩を抱いた。屋敷に戻ろうと言い歩き出す。
暫く会話も無く歩き続けたが、突然隣を歩く男は何を思ったかアリスの顔を覗き込んでニヤニヤと笑いながら話しかけてきた。

「知っていると思うが私は気紛れだからな、何時も君の意思を尊重するとは限らない。それは覚えておいてくれ。」
「それはご丁寧に如何も。」

アリスは皮肉っぽく返事をしながら彼を見る。男はまだ此方を見て口の端を吊り上げていた。いつだってアリスの意思など無関係に物事を進めている癖にと、言葉の意味を図りかねる。
何か裏の意味でもあるのかしら・・と考え始めたのを遮るように話題を変えられた。

「それはそうと、次はエリオットの食事だけではなく、出来れば私や門番の食事にも気を配ってほしいものだな。」
「何よ、この間貴方だって食べていたじゃない。」

「ん? 私の食事は何時もと然程代わり映えしていなかったぞ。」
「そう思うのは貴方の舌が誤魔化されていたからよ。」

何かに気付いたようにブラッドは眉を寄せる。

「まさか、私の食事に” あれ ”が入っていたのか? 否、そんな筈は無い。」

ブラッドはそう言いながら気分でも悪くなったのか、片手で鼻と口を押さえる。人参如きでこんなにうろたえる彼を見るのは小気味良い。まあ実際入れたのが判れば、シェフは直ぐにでも命が危うくなりそうで、結局入れてはいないのだが、暫くはそんな顔を見ていても罰は当たらないだろうと悪戯心が出た。

「今後、屋敷内で”あれ”を扱うのを禁止する。戻ったら直ぐに一掃させよう。」
「! 何言ってるのよ。自分の好き嫌いで他の人に迷惑掛けないでよ。エリオットが餓死しちゃうじゃないの!」

思わぬ展開にアリスは焦った。それは流石に遣り過ぎだ。

「君が代用品を考えてやればいいだろう? あいつも君が一生懸命考えた物なら喜んで食べるだろうさ。」

アリスの反論に急に不機嫌になったブラッドは、そっぽを向きながら吐き捨てるように言った。
今更だが、全く以って自分勝手過ぎる男だ。あれほどまでに自分を崇拝してくれている腹心の主食を取り上げるとは信じられない。

「貴方って、本当に・・・酷い性格だわ。夢の中まで人参に追い掛けられればいいのに!」
作品名:二話詰め合わせ 作家名:沙羅紅月