君振リ見テ我ナニスル
当初はやはり他の委員会に移動する事を考えていた滝夜叉丸だったが、他の同級生達も皆滝夜叉丸同様、同じ委員会を一年続けてきた者が多く、今更他の委員会に移りたがる者がおらず、選挙は名ばかりの物となってしまった。なので、結局滝夜叉丸は体育委員会のままとなってしまったのだ。
半ば諦め始めていた滝夜叉丸はその日の普段とは違った活動内容のあまりの過酷さに目を瞠った。運悪くもその日の活動は委員長が不在で、小平太に任されていたのだ。新入生も年上の三年生もが途中で音を上げてしまった。正直滝夜叉丸も何度地面に身体を預けたいと思ったか。しかし、持ち前の自尊心と負けん気で滝夜叉丸は最後まで上級生に着いていった。五年生は少し息を乱した程度で遅れて着いてきた滝夜叉丸を「良く着いてきたなー」と手放しで褒めた。しかし、滝夜叉丸は嬉しいとは思わなかった。口では礼を言いながらも心中では見縊られていた気がして、「私を誰だと思っている」と吐き捨てていた。
しかし、小平太だけは違った。
学園に戻ってきた滝夜叉丸は一人になると途端に崩れ落ち、動けなくなってしまった。息を吸うのでさえ苦しいと思ったのはあの時が初めてだった。入学してから二年生までに受けたきた授業でさえ滝夜叉丸は誰に負ける事もなくやはり自分は優れているのだと――ただ同じ組の綾部喜八郎とろ組の田村三木ェ門はいつも同じぐらいの成績を収め、気にはなっていた――自信をつけていたのだが、これが忍術学園なのかとさすがの滝夜叉丸も悔しさよりも驚きの方が勝っていた。
とりあえず息が整うまではこうしていようと誰にも見られないようにと滝夜叉丸は最後の力を振り絞って物陰に隠れた。
なのに、だ。
「いたいた」
彼は容易く見つけ出してしまった。
頭上から聞こえた声に目を開くとそこには無邪気な笑みを浮かべた小平太が自分を見下ろしていた。
驚きに声を上げそうになったが、掠れた声は音にはならず、滝夜叉丸の心境は見開かれた目だけが語っていた。
誰にも見られたくなかった。見られるわけにはいかなかった。
自分は誰よりも優れているのだから。これから誰よりも一番の存在になるのだから。
子供には似付かわしくない思考。二年生の頃からそう考えていれば四年生となった現在、あの性格になっても無理は無いのかもしれない。
滝夜叉丸の言いたい事、考えている事など露程も知らない小平太は仰向けで倒れている滝夜叉丸の横に腰を下ろすと「ほら」と竹筒を差し出した。未だ声が出ない滝夜叉丸は訝しげに眉を寄せた。
「水だ。喉渇いているだろう」
確かに学園に戻ってきてから水飲み場は人が居る可能性が高いと思い避けたので、喉は渇ききっている。しかし、何故この先輩がそれを知っているのだろうか。
「お前の事だ、どうせ水飲み場に行っていないと思ってな。人に疲れきった所を見せるのが嫌いなんだろう?」
図星をつかれて息を呑む。しかし、そこで認める事は癪に感じた滝夜叉丸は掠れた声で返答した。
「……別にそういうわけではありません」
強がりなのは明らかだった。しかし、小平太は笑みを絶やさない。
「そうか。じゃあ、私の勘違いだな。まあ、とりあえず折角持ってきたんだ。飲まないと勿体無いだろう」
そう言って竹筒の飲み口を滝夜叉丸の口元に当てた。流れ出てくる水は容赦なく開いたままだった口に流れ込んでくる。仰向けの状態で、しかも許容範囲を超えた水量が流れ込んでくれば当然咽る。滝夜叉丸は喉に詰まるような感覚に陥り、咄嗟に起き上がり、飲み込みきれなかった水を咳き込みながら吐き出した。
先程までとはまた違った息苦しさに滝夜叉丸は咳が止まらない。
「おいおい、大丈夫か?」
誰の所為だ! その言葉は咳に紛れて小平太には届かなかった。
己の行為の結果だというのに悪びれた様子もない小平太に滝夜叉丸は無性に腹が立った。優しく背を撫でる手も不快に感じる。
漸く息が整った滝夜叉丸は自分とは違う大きな手を強く払い除けると小平太を睥睨する。
「いい加減にしてください! 誰のせいでこうなったと思っているんですか!?」
目を白黒とさせている小平太はまるで意味が分かっていない様だった。
そうだ。一年生からずっと見続けてきた彼はそういう男だ。周りの意思などまるで理解出来ない。
「あなたはどうしてそう体力馬鹿で、周囲をかえりみないんだ! 今日だって自分を基準に考えた活動内容を組んできて、下級生の事なんか何も考えていない! 委員長から任されたというのなら、もっと委員会全体の事を考えたらどうなんですか!? 去年もそうだった! 私は、私は……そんなあなたが大嫌いです!」
捲くし立てるように言い放った。息も絶え絶えに滝夜叉丸はいつの間にか自分が拳を握り締めていた事に気付く。見れば力が入りすぎて白くなっていた。
沈黙が二人の空間を包み込んだ。
本当はこんな事を言うつもりはなかった。こんな本音は隠すべきものだった。
いくら嫌っていようが先輩は先輩だ。無礼にも程がある。しかし、滝夜叉丸の胸にあったしこりは消えていた。
だから、もし今から叱咤されようと、殴られようと後悔はしない。全て自分の責任だ。例えそこに小平太の普段の行いの非があろうと、最後に口に出したのは滝夜叉丸の意思なのだから。言い訳するつもりはなかった。
「そうか。お前はそんな風に思っていたんだなー」
聞こえてきたのは予想に反した穏やかな声だった。そして、滝夜叉丸が覚悟してた衝撃ではなく、頭を数度叩く手は優しいものだった。
咄嗟に顔を上げるとそこにはやはり和やかな表情の、いや、少し困惑したような笑みを浮かべた小平太が居た。
「今日の活動内容はつい調子に乗ってしまったな。すまなかった」
素直に謝った彼に戸惑いを隠せない。まさか謝られるとは思っていなかったのだ。
「いやー、委員長に任されてつい嬉しくてなー。でも、途中で音は上げたがあの二人はこれから伸びると思うんだ私は。だから、どれぐらい出来るか知りたくてな」
こんなにも自分の思っている事を話す小平太を滝夜叉丸は初めて見たかもしれない。普段はいつも笑っているか、「行くぞー!」や「頑張れ!」等下級生の背を押す言葉しかしない。
そこで気付いた。
そうだ。何も考えていないわけじゃない。彼はいつも下級生の後ろをついてきていた。勝手に先に行くのはいつも目的地が見えてきた頃だ。それまではずっと後ろから疲れだした下級生を励ましていたではないか。
小さく声を上げた滝夜叉丸に気付かない小平太は「それにな」と言葉を続けた。
「滝夜叉丸は絶対に最後まで着いてくるっていう確信があったんだ」
まあ、さすがに無理をさせ過ぎたみたいだが、本当にすまなかった、と小平太は後頭部を掻きながら頭を下げた。
呆然と滝夜叉丸はその姿を見るしか出来ない。
「……して」
「ん?」
「どうして、どうして私が最後まで着いてくると思ったんですか……?」
滝夜叉丸の消え入りそうな声での問いに小平太は一瞬不思議そうに首を傾げ、そして何故か誇らしげに言い放った。
「当たり前だろう! 滝夜叉丸は自尊心が強いだけじゃない! それに伴った実力があるんだからな!」
作品名:君振リ見テ我ナニスル 作家名:まろにー