君振リ見テ我ナニスル
五年生に褒められた時は見縊られた気分がして素直に喜べなかった。
自分は出来て当たり前なのだ。自分は優れているのだから。
誰に認められなくてもいい。いずれ皆嫌でも知る事になるのだから。
そう思っていた。しかし、どうして。どうしてこんなにも嫌っていた人からの言葉がこんなにも。
「っ、うぅ……うぇっ……!」
「ど、どうした!? どっか痛むのか!?」
突然大きな涙の粒を流しだした滝夜叉丸に小平太は珍しく狼狽する。
見られたくない、と小さな手で顔を覆い隠すが、指の隙間から零れ落ちる涙も嗚咽も隠しきれない。まだ細い身体を震わしながら滝夜叉丸は泣きじゃくった。
大嫌いな人の前で、大嫌いな姿を晒した。
暫く狼狽していた小平太だが、ひたすらに泣く滝夜叉丸の姿にふと息を吐くとその身体と優しく抱き寄せた。
驚きに息を詰まらせた滝夜叉丸。その背中を優しく撫でる。先程はあんなにも不快に感じた手の感触が今は暖かく、身体中に染み込むようだった。
「なあ、滝夜叉丸」
嗚咽で返事の出来ない事を知りながら小平太は独り言のように話し始めた。
「お前は私の事嫌いみたいだがな、私はお前の事が好きだぞ。お前は人一倍自尊心が強くて、小さい身体で誰よりも負けないようにっていっつも無茶をしてな。でも、そんな姿が私は好きなんだ。出来ない出来ないって逃げている奴よりも可愛げが無くてもやり遂げようとするお前の方が何倍も格好良くて、そんなお前に負けないようにと私も頑張ろうと思えた。だから、お前が委員会に入ってきてから私は前よりもずっと委員会が楽しくなった」
ありがとうな、と耳元で言われた言葉に滝夜叉丸は思わず自分よりも大きな身体にしがみ付いた。一瞬驚いた様子を見せた小平太だが、直ぐに頬を緩ませると今度は優しく頭を撫た。
恋に落ちた瞬間があるというのなら、正にこの時だったのだろう。
彼は何も隠さない。
彼は何物にもぶつかっていく。
彼は何物も受け止める。
その時滝夜叉丸は理解した。何故小平太が上級生、他の委員や同級生から好かれているのかを。
彼の計り知れない度量がそうさせているのだ。人徳というのはこういう事なのか、と優しく頭を撫でられながら滝夜叉丸は思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
身体の上に急に感じた重みに滝夜叉丸は呻き声を上げて目を開けた。
「起きた?」
大きな目でジッと滝夜叉丸を見つめていたのは喜八郎だった。風呂から帰ってきたのだろう、髪の毛から雫が数滴顔に落ちてきて「冷たいぞ」と文句を言う。しかし、直ぐそれよりももっと指摘しなければならない事が有る事に気付く。
「どうしてお前は私の上に乗っているんだ」
喜八郎が風呂に向かってから滝夜叉丸はいつの間にか眠っていたらしい。床に寝そべっていた滝夜叉丸の上に喜八郎は当たり前のような顔をして圧し掛かっていた。見ようによれば滝夜叉丸が喜八郎に押し倒されている様にも見えるだろう。
「そこに君が寝ていたから」
「理由になっていない」
「まあ、本当は君が寝そべっている所為で布団が敷けないから起きてくれないかなーと思って」
「それにしても他に方法があるだろう!」
「まあ、いいじゃない。お陰で夢から覚めたみたいだし」
「……」
「魘されてはいなかったよ。でも、」
と、言葉を切った喜八郎は滝夜叉丸の目尻を親指で拭った。その力が強く、滝夜叉丸は顔を歪める。
「泣いていたから」
ああ、感じていた物はそれか。と滝夜叉丸は妙に納得してしまう。
「悪夢でも見た?」
滝夜叉丸に強引に押し退けられながら喜八郎は問うてくる。
普段は寡黙な割りにこういう時だけは食いついてくる。まるで何かを吸収しようとしているように。幼子が大人の行動を理解しようとしているように、喜八郎は滝夜叉丸や三木ェ門等の心情を覗き見ようとする傾向がある。
「見ていない」
「ああ、じゃあ良い夢だったから泣いたのか。今の自分と比べて悲しくなったのか」
思考が真っ赤に染まる。喜八郎の手首を掴み、その何を考えているか分からない瞳を睨みつける。その瞳は自分の言葉が人の図星をついた事も気付いていない。無垢だった。喜八郎は無垢だからこそ時として人の触れてほしくない場所を平気で触れる。そして、それが相手にとって時としてどんな傷を負わすかも理解していない。
現に今も滝夜叉丸が顔を苦渋に歪めている事も不思議そうに首を傾げる。
「痛いのは私の方なのにどうして滝夜叉丸の方が辛そうにしているの?」
「……!」
掴んでいた手首を乱暴に払うと滝夜叉丸は立ち上がり部屋を出て行こうとする。
「こんな時間に何処に行くの?」
赤くなってしまった手首を摩りながら喜八郎は尋ねる。しかし、滝夜叉丸は一瞬足を止めただけで答える事無く出て行ってしまう。大きく音を立てて閉められた襖が今の彼の精一杯の答えだった。しかし、それも喜八郎には伝わらない。
一人部屋に残された喜八郎は片隅に置かれた鋤に手を伸ばし、それを抱きかかえ、優しく撫でる。まるで、捨て置いていかれた幼子が何かに縋る様に。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
真っ暗な学園内。所々に火は灯しているが、それでは全てを照らす事は出来ない。
そんな中を滝夜叉丸は一人乱雑な歩みで当てもなく進んだ。
漸く足を止めたのは長屋からは遠く離れた場所だった。冷えた風が血が上った頭を冷静に戻してくれた。
思い起こすのは喜八郎の事だった。
彼は何も悪くなかったのに、八つ当たりのように乱暴な対応をし、何も言わず置いてきてしまった。今頃どうしているだろうか。意味が分からないとさっさと床に就いているだろうか。それとも、健気に滝夜叉丸の帰りを待っているだろうか。どちらも有り得る事で滝夜叉丸は自傷気味に笑みを溢した。
喜八郎の行動はこんなにも容易く想像する事が出来るのに、どうして。
あの日から滝夜叉丸は小平太に付いていく決心をした。一年間ずっと待ち望んでいた委員会選挙は何の意味も無くなり、当たり前の様に滝夜叉丸は体育委員会を続けた。
三年生になり、後輩が増え、四年生になり、又後輩が増えた。そして、小平太は委員長になった。
忍術学園は学年が上がる毎に授業内容も過酷になり、辞めていく者が多数いる。現に滝夜叉丸の一年先輩だった少年も退学していった。その所為で上級生になればなるほど人数は減っていく。そして、委員長は最上級生である六年生がなる決まりになっており、その中で小平太が体育委員会の委員長になるのは当然の事なのだが、新学期早々滝夜叉丸の元を訪れた小平太は意気揚々と報告した。
「滝夜叉丸! 今年から私が委員長だぞ!」
「知っていますよ、それぐらい。というか、先輩以外に委員長する人いないじゃないですか」
「先輩じゃない! 委員長と呼べ!」
いつにも増して興奮気味に言った小平太に滝夜叉丸はあからさまに大きな溜息を漏らした。
「……これからも宜しくお願いしますね、委員長」
「おう! 任せとけ!」
他の人が聞いたら嫌味捕らえられるであろう物言いでも小平太は心底嬉しそうに笑う。これには滝夜叉丸も苦笑するしかない。
作品名:君振リ見テ我ナニスル 作家名:まろにー