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おとしごろ

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「キスのやり方・・・・なぁ」
海音寺は腕を組んで黙り込む。そりゃあ、いきなりそんなことを言われても困るだろう。
沢口は、何も言わずに立っていた。いや、何も言えなかったのかもしれない。
海音寺が、ふと口を開いた。
「いや、な。そんなもん、教えてもらうようなもんじゃないんと違うか」
そして沢口に向かって、あんまり考え込まなくていいと微笑んだ。沢口は物足りなそうな顔をしながらも、小さくうなずいた。
すると、意外なことに東谷が食い下がった。
「ちゃ、ちゃんと、教えてください」
一歩近づいた東谷に、海音寺は半歩下がった。豪が目をしばたかせて東谷を見ている。
海音寺は、突然会話に入ってきた人物をじっと見つめた。東谷は海音寺と真っ直ぐに目を合わせている。
「何でお前が」
と言った巧に、東谷はくるりと振り返る。そして、高揚した顔で言った。
「原田、『海音寺さんに』聞けるんじゃぞ」
そうだった。こいつは、海音寺のファンだった。すっかり黙りこくってしまった沢口と対照的に、興奮している東谷。
じりじりと寄っていくものだから、海音寺は必然的に後ろに下がっていくことになる。
豪が東谷を止めようと口を開いた。と、沢口が豪の袖を引っ張る。
「豪・・・・海音寺さんなら、教えてくれるかも、しれんで」
困った顔をした豪に、沢口は頬を染めたまま大きくうなずく。
「お前、そんなこと言ったって海音寺さんも困るじゃろ」
しかし、豪の袖に引っ付いて海音寺を見つめる沢口に、豪は口をつぐむ。
東谷ににじり寄られ、壁までの距離を確認しながら後ずさっていた海音寺は、背中がぶつかると同時にふっとため息をついた。
逃れるように横にずれる。それについていく東谷。海音寺の野球に惚れているとしても、ここまでいくとそれだけでもないような気がするのは巧の気のせいだろうか。
海音寺は近すぎる距離に耐えられなくなったのだろう、東谷の肩に手を置き、ぽんぽんとたたきながら少し距離をとった。
東谷は、自分の肩に置かれた手をそのままに、ごくりとつばを飲む。
引こうとしない後輩に、先輩は苦笑する。宿題の相談にでも乗るつもりが、まさかこんな質問に巻き込まれるとは思いもよらなかったはずだ。
巧がふと豪を見ると、意外にも目があった。一時の焦りは消え、今は再び落ち着きを取り戻している。もし豪が東谷のようになっていたら・・・・考えただけでぞっとした。あのガタイの良さでは、いくら先輩といえ海音寺を気迫で追い詰められそうだ。
沢口は、東谷と海音寺とを見比べ、時折思い出したように顔を赤くしては一人でうなずいたり首を振ったりしている。
そろそろ帰ろうかな。
海音寺の登場によって自分に関係のなくなった話題は、変な方向に走り出そうとしている。海音寺からキスのやり方とやらを聞き出せれば沢口も満足できるだろうし・・・・東谷だって喜ぶだろう。
後は豪に任せておけば何とでもなる。
「じゃあ俺は帰るよ」
そう、口を開きかけたときだった。
巧は目を見はった。一瞬、部室棟の時間が止まる。
「「うわっ・・・・!?」」
夕焼けの空に、やけに静かに響いた声。そう、何故だかとてもゆっくり見えた。



作品名:おとしごろ 作家名:原田凛