不思議の国のはじめくん(サンプル
「戦で汚れたりするのは避けられないんで、たまに新調するんですよ。なので常にストックはあります」
「そうか・・・」
ヤマザキは羽織を手繰っていた手を停めた。
「あ、すみません。サイトーさんのサイズの羽織、ちょうど切らしています。ひとまずオレの羽織を着ててください」
「いや、それは悪い。お前だって着ることがあるだろう」
「いえ、オレは内勤か諜報活動が主なので、滅多に着ることはないんです」
「・・・すまない」
「お気になさらないでください」
心なしかヤマザキの頬が赤いのは、気のせいだろうか・・・?
「それから、厨房で今人が足りないんです。俳句大会で大勢を呼ばなくてはいけないので。お手伝いいただけますか?」
「勿論だ。総司を探す仕事がなくなったのだからな」
厨房に行くと、そこでは山のような材料を捌くために、右へ左への大騒動だった。
「すごい量だな」
「ええ、年に一度の俳句大会ですから」
厨房の隅の卓に、小さな小瓶が数個あった。一はそれをひとつ手に取ってみた。ガラスの小瓶だ。中に、透明な赤い液体が入っている。
「これは、何かの調味料か?」
ヤマザキに訊いたが、彼もわからないようだ。
「いえ、どうでしょう。あ、手紙がついています」
見ると、小瓶の下に手紙が敷かれていた。達筆な字だ。
『厨房の皆さんでどうぞ、飲み候へ』
「お飲みなさいということか・・・」
古文担当が土方だったからか、読み方も意味もよく理解できた。一方、一が呟くとヤマザキは顔色を変えた。
「き、きっとサンナーンさんの差し入れですね。でも、ハジメさんは飲まなくても大丈夫だと思いますよ」
「何故だ」
「サンナーンさんの発明品だからです」
「発明品? しかし、飲んでいけないものならそう書いてあるだろう」
「・・・ともかく、それについてはもう触れないでください」
料理が得意な一が加わったことによって、厨房では見る間にたくさんの料理が出来上がっていった。なんといっても一は、学園でも自他共に認める弁当男子なのだ。
料理が完成した頃、床には既に空になった小瓶が落ちていた。厨房内は暑く、喉の乾いた隊士の何人かは既に口にしたものらしい。ヤマザキには止められたものの、一も気になって一瓶拝借してきてしまった。
名残惜しそうなヤマザキと別れて、一は厨房を後にした。
中庭に出て来ると、一は小瓶を空にかざしてみた。
「これは、一体何なのだろうな・・・」
太陽に透かすと、ガラスの中の赤い液体はきらきらと光を放った。
「それは変若水よ」
「・・・・・・」
声がして振り向くと、廊下に寝そべって煙管を銜えた音楽の伊東先生だった・・・芋虫のような体型になっていたが。
「おちみずとは、何ですか」
「人が鬼に、鬼が人になるの」
「はい? 鬼ですか?」
「そうよ、危ないでしょう?」
「山南先生は、何故そんな物を作って、俺たちに飲ませようと?」
「さあねえ〜、どうしてかしら?」
伊東芋虫は煙草の煙をゆっくりと吐いてごろごろと転がる。
「もうすぐ、戦(ゲーム)が始まるのかもね」
「ゲーム?」
「あなた、質問ばかりなのね」
質問ばかりして機嫌を損ねてしまったのかと思い、一はその場を立ち去ることにした。
「すみません、では失礼します」
「片方は人間の側、もう片方は鬼の側」
背中から伊東の声がした。一は振り返った。
「・・・何のことですか?」
「キノコよ」
伊東は一に向かって思い切り煙を吐き出した。一が咳き込みながら次に見ると、伊東の姿はなく後に残ったのはキノコだけだった。
五. ネコとキノコ
キノコを手にした一は、しばらく考え込んでいた。
(このキノコは円形だ。どちらがどちらの側など、見ただけでは到底わからない・・・)
しかも、人間になったり鬼になったりとはどういうことだろう。
どうなるかわからないキノコよりも、この小瓶に入った変若水の方が気になる。 それは未だに蠱惑的な赤い光を放っていた。
ちょうど喉も乾いている。一は思い切って小瓶の中の液体を一息に飲み干した。
「・・・・・・がはっ!」
途端に喉が焼けるように熱くなり、体中が軋むように痛み始めた。
目の前も真っ白になっていく。
池を覗き込むと、映った自分の髪が白く、瞳が赤くなっているのがわかった。まるで、山南、いや、サンナーンのように。
(鬼になるということは、これはやはり毒薬か・・・)
土方にもらった石田散薬を持ってくれば良かったと思いながら、一の意識は次第に遠のいていった。
目が覚めると、一は布団に寝かされていた。覗き込んでいるのはよく知った顔。
「そう・・・じ・・・」
「ハジメ君、なんであんなもの飲んだのさ。心配したよー」
優しく微笑んだ総司、いやおそらくソージは、やはりあの羽織を着て・・・、猫耳を生やしていた。
「このキノコで解毒したから良かったものの、自殺行為だよ? 今度そんな勝手なことしたら、僕が許さない」
「俺は、お前を探して・・・」
まだ身体がだるいようだ。「石田散薬があれば大丈夫と思ったのだが・・・」
「まだ騙されてるの、しょうがないなあ。そんなわけないじゃない、キノコがないとダメなんだよ」
「そうだ、キノコ・・・」
「これのこと?」
ソージはキノコを出して見せた。半分に割られて、片方の欠片はちぎり取った跡がある。こちらが人間に戻る側ということなのか。
「これは特殊なキノコなんだよ。今これを僕も探し回ってるとこだったんだ。サンナーンさんの計画をこれ以上進めないために」
「どういうことだ?」
「君が飲んだ変若水、あれは人間を羅刹という鬼に変えてしまうんだけど、鬼で居続ければやがて人間は力を使い果たして死んでしまう。それを知らないサンナーンさんは、鬼との戦のためにシンセングミの中に羅刹を増やそうとしてるんだ」
「鬼?」
「キンキーラ国に住んでる奴らのこと、カザマとかね。それで僕は、戦を少しでも遅らせようと、ヒジカタさんの句集を盗んだんだ。俳句大会が終わるまでは、少なくとも戦は始まらないから」
「そうか・・・。しかし、句集は見つかったと聞いているぞ」
「うん、今回は失敗したみたい。盗んだ句集は偽物だった」
残念そうに耳を伏せたソージは一に一冊の帳面を見せた。中を開くとそこにはびっしりと俳句が書き込まれている。
「これは本物ではないのか?」
「じゃないよ。僕はあの人の俳句ならもうしょっちゅう見てるからよく覚えてる。いつも何処に隠したって見つけるんだけど、サンナーンさんが入れ知恵したのかな。こうなったら、俳句大会当日に盗みに行くしかないね」
「俺には、何か手伝えることは」・・・
「そうだね、サンナーンさんのとこから変若水を全て奪ってくるか、ヒジカタさんに会って俳句大会を少しでもうまく引き延ばすか———相手はどっちにしても鬼だけど」
「土方先生まで羅刹に?」
「いや、そういう意味じゃなくて、あの人の二つ名が、泣く子も黙る鬼の女王だから。二言目には『腹を切れ』、だよ?」
ソージは悪戯っぽく笑った。
「もうそろそろ俳句大会が始まる頃だ。僕が行けばきっとすぐに腹を切らされちゃうだろうし、君はヒジカタさんのとこに行ってくれないかな」
「わかった」
作品名:不思議の国のはじめくん(サンプル 作家名:井戸ノくらぽー