吾輩は猫でした
自室から出て音吉さんの後を追うようにてくてくと廊下を歩く。
居間までは人間の姿ならせいぜい三十歩ってところだけど、この姿だと廊下が長く感じる。天井もずいぶん遠くに見える。
なんだか急に心細くなってきた。
私、これからどうなるんだろう? また人間の姿になるのか、それともこのままなのか……。
答えが出ないまま居間に辿り着いた。居間ではアコがテーブルの前で私を待っていた。
「んもーエレンったら遅いじゃ……な……?」
目と目が合う私とアコ。
「本当にどうしたの?」
音吉さんと同じこと言ってる。まあ、それもそうか。この姿を見たらそう言うわよね。
「それが私にもわからなくて……起きたらこの姿になってたの」
「そうなの……でも、ちょっと懐かしいわね」
「懐かしい?」
「うん」
おいで、とアコが手招きする。私は床を軽く蹴ってアコの膝の上に飛び乗った。
「私がメイジャーランドにいた頃はこの姿だったもん。私にはこっちの方が見慣れてるわ」
アコがそっと私の背中を撫でる。毛並みに沿って、何度も、優しく、慈しむように、気遣うように。
ああ、そうだ。姫様はこういう方だった。今では敬語を使わずに話しているから口が悪くて生意気な妹が出来たみたいに思っていたけど、本当は誰よりも優しいお方なんだ。
はぁ……姫様の手、暖かくて、いい気持ち。体の力が抜けてリラックスしてきた。さっきまでの不安なんてどこかに飛んでいっちゃった。
「エレンってさわり心地がいいわね」
「そ、そうかしら?」
急にそんなことを言われると、なんだか照れるわね。
「うん。毛がサラサラしてて、いつまでもさわっていたいくらいね」
えへへ、褒められちゃった。そこまで言ってくれるなら。
「姫様なら……」
「アコ」
「あ、そうだった。アコなら、いくらでもさわっていいわよ?」
「ホント? それなら……」
背中を撫でていた手が一瞬背中から離れて、
「こんなのはどうかしら?」
首元に指先が入ってきた。
「あうっ!」
ちょ、そこは、くすぐったい!
視線を上に向けると、そこにはニヤリと微笑を浮かべるアコがいた。
「なぁに、エレン?」
「あ、アコ、そこはダメェ!」
「えー? いくらでもさわっていいって言ったじゃない」
アコはにやにやしながら手を動かし続ける。
「ほーら、ここ? ここがいいの?」
「はうっ!」
くすぐったい! くすぐったいよ!
ああ、でも、くすぐったいはずなのにさっきとは違う気持ちよさが……すごい、アコの手、暖かくて、私もう……ッ!
「これお前たち、いつまで遊んどるんじゃ。さっさと朝ご飯を食べないと遅刻するぞ」
「はーい」
音吉さんの一言で、アコは私から手を離した。
ちぇっ、もうちょっとだったのに……ん? もうちょっとって、私なにを考えてるの?
……あまり深く考えないでおこう。私も早く朝ご飯を食べないと。響と奏と一緒に学校へ行くって約束してるし。
そこでまたハッと気づいた。この姿じゃお箸も持てない!
「あの、音吉さん」
「ん? おお、そうか。その姿じゃ朝ご飯もいつもどおりというわけにはいかんな」
音吉さんは食器棚から大きめのお椀を取り出して、それをテーブルの上に置いた。
何をするつもりだろう?
考えているうちに、音吉さんは次に私の分のご飯と味噌汁をその中にぶち込んだ。
「ほれ、これなら食べやすいじゃろ」
音吉さんが作ったのはいわゆる猫まんまだった。
……あまりお行儀のいい食べ物じゃないわね。
「ありがとうございます。いただきます!」
でも今の私にとってこれ以上食べやすいものはない。さっさと食べて響と奏に会おう。あの二人にも相談してみよう。