永遠と麦の穂
ATMの中にグラハムが一人で入り、その前に刹那が立つ。一見しただけで欧米人とわかるグラハムは非常に狙われやすい。不本意だが護衛を受け持つことにした。
「VIP気分だなぁ」
「……ふざけるな。金は俺が持つがいいか?」
「構わないよ。君に従うさ」
まただ、と思う。どうしてそう素直にこちらの言い分を聞くのか。現金は彼のものだし、刹那がそのまま逃走する可能性だってあるだろうに、それをまったく疑わないでいられるグラハムが何を考えているのかわからない。
まるで無垢な子供みたいに見えるグラハムは、あたりをキョロキョロしながら刹那の後をついてくる。その様子は観光客そのものだ。調子が狂うなと思いながらも、刹那は次の目的地である洋服屋を探した。その耳に、後ろから小さく声がかかった。
「つけられている、刹那」
「……わかっている」
さすがに鋭い。ATMを出たところから、同じ人物がずっと後をついてくるのに、彼も気づいていたのだ。
「白兵戦のほうは?」
「任せろ、と言いたいがそうでもないな。私はモビルスーツ専門だよ」
「なら逃げたほうがよさそうだな」
刹那としてもあまり目立ちたくはない。逃げているのに騒ぎを起こすなんて最悪だ。周囲に素早く目をやって逃走ルートを探した。
「次の角を右に走るぞ。後はついてきてくれ」
「了解した」
やはりどこか楽しそうなグラハムに毒づきたい気分だが、今はまず逃げて、後ろの連中を撒くことが最優先だ。
角がもうすぐというところで、二人は駆け出した。
刹那は走りながらもちゃんと周りの景色や、店構えをチェックしていた。注意深く視線をやり、追っ手をかく乱させながら、探していた目的地を見つける。
「ここだ!」
「えっ?」
突然前から腕を引っ張られて、慌てたらしいグラハムの表情がキョトンとしたものになっている。そういう顔をさせてやったことに、刹那は少し気分をよくした。
扉を開けて先にグラハムを放り込んでから、刹那も中へと入っていく。ドタバタと派手な音を立てるのは、突然すぎて受身を取り損ねたグラハムが床を転がる音だった。
「いたた……、ひどいな、君は」
床の上で呻きながら文句を言う男を無視して、刹那は店主らしき人物へ声をかける。
「すまない店主。コイツに合う服を見繕ってくれ」
まるで何事もなかったかのように振舞うその姿に、店主もグラハムもただ呆気に取られて、刹那を見つめるしかなかったという。
床の上を転がりながらやってきた客に、何か一言言ってやりたかった店主も、グラハムの容姿を見てすぐに事情を察知した。
欧米人は金持ちである。この店にたくさんの金を落としてくれるだろうと踏んで、最高級の営業スマイルを作った。
刹那の希望は、とにかく一見しただけならそうとバレないような格好だ。店主も心得て、グラハムにあれこれと衣装を提供していく。
「おおっ、アラブ人のようだな!」
目立つ金髪は薄い布地の中にしっかり押さえ込んで、さらに上からフードつきの上着を羽織る。目深に被ることで顔立ちはかなり隠せるようになった。
上から下まで真っ白になったグラハムは、鏡の前で自分の姿を楽しそうに見ている。
「ずいぶんと酷い傷跡があるけど、彼も戦争の被害者なのかい?」
店主はカウンターで会計を済ませる刹那に、こっそりと耳打ちしてきた。
「……ああ、そうだ」
「気の毒にねぇ……、いい男なのに」
女店主の嘆きに、刹那は何も答えなかった。
アラブ地方独特の衣装に着替えることができて、グラハムはかなり機嫌がいい。刹那も旅用に購入したマントを新たに羽織って、すっかり現地人と同じにまぎれた二人は、誰に追われることもなく堂々と街の中を歩いていた。
「今日はここに泊まろうと思うが、明日の出発用に買い物だけは済ませておく」
「わかった」
相変わらず素直に頷くグラハムを連れて、刹那は次の目的を済ませるための店を探した。
国境の近くにあったその店は、グラハムには大層珍しい商品だったらしく、それを見た瞬間から目をまん丸に開いて驚いていた。
「なんと! 君の考えは独創的で面白いなぁ!」
「別にこの辺じゃ普通だ」
「そうなのか。私はこんなに間近で駱駝を見たのは初めてだぞ! 近くで見るとなかなか可愛い顔をしているじゃないか」
上機嫌で駱駝の首を撫でて、グラハムは彼らとの友好を深めている。あれで十歳──年齢を聞いて驚いた──も年上だなんて信じられない。年甲斐もなくはしゃぐ男を恥ずかしく思いながら、刹那は契約書類にサインをしていた。
駱駝はレンタルで借りるのだ。一日いくらという計算で、大目に見積もった五日分を支払う。
「明日の早朝八時までに、このポイントに用意しておいてくれ」
刹那が手渡した紙切れに目をやって、駱駝の飼い主たちはニヤリと唇の端を上げた。
「OK」
金銭のやり取りにはうるさいし汚いけれど、彼らは支払った分の仕事は細かく注文をつけてもキッチリとこなしてくれる。そのあたりの融通の利き方は、マニュアルどおりな文明圏よりも気に入っていた。
「次に行くぞ」
駱駝と戯れていたグラハムを呼び寄せ、刹那はまた街中へと引き返した。
「しかしまたどうして、駱駝なのだ?」
「ソレスタルビーイングとアロウズという身分で、正規ルートの国境越えができると思うか?」
「……いや、思わないなぁ。なるほど、駱駝はそのために必要なのか」
グラハムも納得したように頷いている。
「南は砂漠だ。アザディスタンはその向こうにあるからな」
「砂漠! なんと、砂漠を越えようというのか」
ほう、と感心したように息を吐くグラハムの反応は、いちいち大袈裟に思えて刹那の神経を苛立たせる。
「さっきも言ったが、ここでは珍しいことじゃない」
「──君たちはそうなのかもしれないが、私は生身で砂漠に入るのは初めてだよ」
空を飛んでなら何度か渡ったこともあるのだが、と言った男の生活環境はきっと素晴らしく整ったものなのだろうと、刹那は勝手に判断した。
ユニオン軍の精鋭だと言っていた。今も簡単に現金を提供してくるくらいだから、恐らく貧しさとは縁のない暮らしをしてきたのだ。
乾いた大地に視線を落とし、神は確かに不平等だと思った。