永遠と麦の穂
それらは刹那なりに妥協点を踏まえた上での提案だった。グラハムは負けた後でも願いを聞き入れて、死地への旅路を踏まずにいてくれている。彼はじゅうぶん、こちらへの誠意を見せているのだ。
だから今度は刹那がそれに応える番だった。どんな形でも、どんな理由でもいい。グラハムに生きていて欲しいから、そんな提案を出してみたのだった。
ポカンとしたまま固まっている彼の姿は、年齢不詳でかなり幼く見える。
「……君は」
それだけ言ってグラハムはまた口を閉ざした。脱力しきった様子で肩を落とし、壁に背中を預けている。やがてその身体が震えて髪も揺れだした。
「ハハッ……」
笑い声があがる。これだけ話をしておきながら、笑い声が室内に響いたのは今が初めてであった。
「ハハハッ、ハハッ……」
身体を揺らしてグラハムは笑い続けている。刹那は彼の笑いが収まるまで静かに待った。
「あー……、君は面白いな。可笑しくて笑ったのなんて久しぶりだ」
目元を拭いながらグラハムは言う。久しぶりがどれくらいを差すのか、考えなくても知れた。四年前にすでに心が死んでいた彼である。そのときから被り続けた鉄仮面を、刹那は壊すことができたのだ。
「考えてくれるか?」
「……そうだな、考えるだけならしてもいいかな」
まったく頑なだなと、刹那は心の中でだけ愚痴をこぼした。だが、死ぬ以外の道を彼が見つめられるきっかけとなったのなら、それは成功だといってもいい。
本当に小さな、だけど第一歩だ。
〈オーライザー〉の力を借りない対話による歩み寄りがどれだけ大変であるか、刹那はそれを知っているけれど、この男にはそもそもその力が通じない。
わかりあうには地道な対話を続けていくしかなかった。
「ああっ、いけない!」
トレミーのブリッジで、スメラギは声をあげた。
「どうしました? スメラギさん」
「ビックリしたですぅ!」
オペレーターのフェルトとミレイナに心配されて、スメラギは慌てて謝った。
「捕虜を引き取ってくれるよう頼まれていたのよ。すっかり忘れていたわ。アレルヤ、ロックオン、二人にお願いできるかしら?」
「いいですよ」
「了解」
現在は特にやることのないマイスター二人は快く引き受け、基地の技術者にその旨を伝えにいったところ、
「スメラギさん、捕虜はすでに刹那が引き取りにきたそうなんですけど」
という話だった。
「刹那が? なにそれ、聞いてないわよ」
報告内容にスメラギは驚き、同時に呆れてしまった。またあの子は勝手なことをと、溜息をつく。
「けっこう前に引き取りにきたって話だったぜ?」
ロックオンも肩を竦めながら言う。
「その刹那はどこにいるの?」
スメラギがトレミークルーを見渡しながら聞くと、全員そろって「さぁ?」と首をかしげていた。
プルプルと身体を震わせているスメラギを見て、ラッセは慌てたようにフォローをする。
「まぁ、刹那なら大丈夫だって」
「そうですよ、彼は白兵戦も強いですし」
アレルヤも一緒になってスメラギを宥めたが、彼女の怒りはどうにも収まらなかった。
「もう、何をやっているのよ! あの子は!」
トレミーブリッジの喧騒などまったく知らない刹那とグラハムは、実はまだ最初の収容部屋に留まっていた。
「私は君たちに命を預けることになるのか?」
「そうらしいな。俺も詳しくは知らないが」
案内してくれた技術者の台詞を思い出しながら、刹那は答えた。現在ソレスタルビーイング内で実働しているのはトレミーだけだから、恐らくそれで正解だ。
「軍人生活も長いが、捕虜になるのは初めてだなぁ」
「何もしないから安心しろ」
可笑しな会話が交わされていたが、当の本人たちは至って真面目である。
「武装組織の君たちに言われても説得力はないがな」
「アロウズに非難される筋合いはないな」
「ソレスタルビーイングもアロウズも、やったことに大差はないさ。武力は武力だ。どんな理由をつけたって振るわれる力は同じものだよ」
いくらか饒舌になったグラハムは、ただでさえ口下手な刹那よりも弁が立つ。おとなしいままのほうがよかったと思いながら、刹那は彼の言葉を聴いていた。
「中東の国々を焼くことが正義か」
「軍の基地なら罪ではないと? 君の言っていることはそういうことだぞ?」
何から何までなら良くて、それ以上は駄目だという明確な線引きなんてどこにもない。
「力は力。絡んでくる人々の思惑によって、善にも悪にもなる。だから力を振るうときは、より慎重にならなければいけないということさ」
「だが、抑止力としての武力は絶対に必要だ……」
たとえ世界中から憎まれても、ソレスタルビーイングは存在し続けなければならない。地球上から戦争を根絶するために。
グラハムは軽く肩を竦めていた。
「その有用性はわかるさ。私とて軍人として力を手にしていたのだからな。ただ、使いどころを誤れば世論を敵に回す。見極めが肝心というわけだな」
「見極め……」
アロウズはヴェーダを使って情報操作をし、その世論すら自分たちのいいように操っていた。そこが刹那たちの武力介入とは違う部分である。
今から思えば、五年前にヴェーダを掌握できなかったこと自体が、計画の不完全さを物語っていた。刹那たちは最初から《イノベイター》の罠に嵌められていたのだ。
「四年前の君たちはその見極めを失敗したのだよ」
「……そうだな」
それも謀られた上でのことだが、奪われた側からしたらさらに腹立たしい事実を知るだけだろう。真実を知ることが正しいとは限らない。刹那は彼の発言を否定しなかった。
けれど、すべての元凶だった《イノベイター》は倒れた。これでようやく、刹那たちが目指す『戦争根絶』の道が始まるのだ。
数多くの武力介入を繰り返し、数え切れないほどの人命を奪って、やっとスタート地点に立った。
自分の手がどれだけの血にまみれているのか、改めて思い知らされる。
「どうした? 少年。黙り込んで」
「いや……」
拭っても、拭っても消えることはない。真っ赤に染まる掌の上にあるものは「罪」だ。そしてこれからもそれを重ねて生きていく。
「貴様は、これからどうするんだ?」
アロウズの悪行は暴かれる。反連邦を打ち出した艦隊が彼らの罪を公にするだろう。しかるべき手順を踏んだ後に解体されるはずだ。
「私か……。アロウズの兵士である以上、戦犯として裁かれるのは確かだろうな」
「罪は重くなるのか?」
「……さぁ。ライセンサーだし、無罪放免だけはありえないんじゃないか?」
「他人事みたいに言うんだな」
刹那は呆れたし、何故だか無性に腹も立ってきた。
「どうで──」
「どうでもいいとか言うな」
グラハムが言うだろう台詞を遮って、先に制してやった。生きろと訴えるそばから、それに反するようなことを口にする男は、刹那の努力をあざ笑うかのようだった。
罪を手にしながらでも未来を切り開こうと生きる刹那にとって、生きることそのものを放棄している彼の態度は、どうにも怠慢に思えてしまうのだ。
もちろん、そうしてしまったのがソレスタルビーイングだというのはわかっている。けれど彼には力があるのだ。何にでもなれるし、どうとでも生きていける。