永遠と麦の穂
逃避行
アルプスのふもとへ降り立ったトレミーは、さっそく地球上での仕事に取り掛かった。保護していた人物をそれぞれの希望場所へと輸送し、カタロンの支部では今後の話し合いとつじつま合わせを行う。個人の休暇はその後だ。
刹那は、沙慈とルイスをスペインまで護送する役目を買って出た。三人が知り合いという点もあり、それを反対したり不審に思ったりするものもいなかった。
「振り返ってみれば、本当にいろいろなことがあって……、何を言ったらいいのかわかんないんだけど、ルイスを取り戻してくれてありがとう、刹那」
優しさを武器にできる沙慈は、刹那に新しい戦いのあり方を教えてくれた一人だ。
「それを成し遂げたのはお前だ。俺は少し手伝っただけに過ぎない」
「少しだなんて……。君がいなかったら、僕はなんにもできなかったよ。本当にありがとう。……元気で」
「ああ、お前たちも」
沙慈と彼の後ろに控えめに立つルイスへ向けて、刹那は別れの挨拶を述べた。
「……ありがと、刹那。元気でね」
やや恥ずかしそうにはにかみながらも、ルイスが手を差し伸べてきたので、刹那はその手を取った。軽く握手を交わした後で、今度は沙慈とも握手をする。
また会えるかどうかはわからないけれど、次の再会を望める別れ方ができただけでも刹那は嬉しかった。こんな経験は本当に初めてだった。
二人の旅立ちを見送った後で、刹那も移動のために輸送船へ乗り込む。
そしてそのまま、行方不明となった。
「刹那が帰ってこないって、なんなの!? どういうこと?」
ピリピリとした空気をまといながら、スメラギがブリッジへと飛び込んできた。ただでさえ忙しいのに、トラブル発生かと慌ててやってきた彼女に問われたフェルトは、やや困ったような顔で言いづらそうに口を開いた。
「いえ、違うんです。最後に伝言を残して消えたんです」
「……伝言? なんて?」
何者かに狙撃されたとか、そういうことではないらしい。スメラギはホッとしてフェルトに続きを促した。
「中東各地を見て回るそうです。あと、その、収容していた捕虜のアロウズ兵の姿がないんです」
「なんですって!? そっちのほうが一大事じゃない!」
スメラギはすぐにエマージェンシーを発令しようとしたのだが、それをフェルトに止められて驚いた。
「脱走したんじゃないの?」
そこまで言ってから気づいてしまった。脱走なんて無理に決まっている。外から鍵を開けて手引きするものがいない限り。
まさか、まさかと最悪な予想が頭をよぎる。
「違うんです、スメラギさん。捕虜なんて最初からいなかったんです!」
「──どういうこと?」
何がなんだかサッパリわからない。フェルトに順序だてて説明させてわかったことは──。
「ビリー!」
旧ユニオン領に所属する彼だけは、いまだにトレミー内へと留まっていた。独房から出してあげて、というスメラギの頼みでフェルトとラッセが鍵を開けに行き、彼らもそこで初めてその事実を知ったのだ。
「独房にはあなた以外、誰もこなかったっていうのは本当なのね?」
展望スペースでアルプスの雄大な景色を眺めていたビリーの元へ、血相を変えたスメラギが現れて少なからず驚いた。
「うん。そっちの彼女にも話したと思うけど」
フェルトに軽く目線をやりながら、ビリーは答える。
事実確認を済ませたスメラギは、怒りで冷静になりきれてない自分を静めようと、何度か深呼吸を繰り返す。
「いったい、なんの騒ぎだい? よかったら話してくれないかな?」
ビリーののんびりとした声にやや怒りが削がれて、スメラギは事の顛末のすべてを語った。
「すると彼は、君たちに嘘を言ったということになるね」
「そうよ。収容しただなんて、そんな嘘をついて何がしたかったのかしら……?」
刹那の考えることはたまによくわからない。考えというものを、自分の中だけで実行して消化させてしまうからだ。
「うーん。その捕虜はアロウズのパイロットだったんだっけ?」
「そうよ。黒いモビルスーツに乗っていたんですって」
「黒い!?」
あなた何か知っている? と聞く前にビリーのわかりやすい反応があった。やはり関係があったのだ。刹那の嘘を鵜呑みにしないで確認すればよかったと後悔する。
「知り合いなのね?」
「……アロウズのパイロットで黒い機体に乗っていると言ったら、彼しか思い浮かばないよ」
どこか気が抜けたように、ビリーは窓側のスツールに腰を下ろしている。
「その、消えた人物って、もしかしてガンダムのパイロットだった?」
「そうよ。ダブルオーのパイロットよ」
「ああ、なるほど……」
四年前からグラハムが一番の執着をみせていたガンダムのパイロットなら、なんとなく彼が一緒に消えてしまった理由も、ビリーにはわかったような気がした。
「ねぇ、ビリー。……ごめんなさい、こんなこと聞きたくないんだけど、その、あなたの知り合いのパイロットが、危険ってことはないわよね?」
ビリーは少し考えてから、彼女の言いたいことを理解した。
「彼はそんなことをするような男じゃないよ。だいたい……」
仮面を被ったり、武士道を師事してみたりといった、鉄壁の防護服を必要とするくらい脆い部分を持ち合わせている男だ。生身で人間は殺せない気がする。
「ごめんなさい」
言葉を詰まらせたビリーに対し、スメラギはもう一度謝っておいた。
「いや、君の立場はわかるよ……」
そしてそれが正しいということも。
「むしろ僕からしたら、彼が君たちの仲間に何かされないかと、心配でたまらないんだけどね」
だからお相子とばかりに、ビリーも彼女へ冗談めかして言っておいた。
「……それにしても、刹那の目的はなんなんでしょう?」
フェルトが困惑したようにスメラギに尋ねてくる。
「そんなの、私が聞きたいくらいよ……」
「うーん、僕には一つ仮説があるけど……。いや、でも理由がないよなぁ」
「なぁに? この際だからなんでも言ってみて、ビリー」
それこそ藁にも縋る思いで、スメラギは促してみた。
「彼らは中東へ行ったんだろう? あそこはGN粒子の散布によって連邦の目から逃れることができる。グラハム、彼の名前だけどね、彼を逃がすためだと考えれば行動としてわからなくはないんだけど……」
いずれ裁判にかけられて処罰を受けるのは、生き残ったアロウズの敗残兵だ。中でもグラハムはライセンス持ちという格好の餌食である。反連邦を打ち出したマネキンたちに渡してしまえば、もう逃げ場はない。
「……なるほど」
スメラギはビリーの仮説に説得力を見出して頷いた。けれど一つだけ疑問が残るのだ。
(どうして刹那が、彼を──?)
という、もっとも根本的な部分の疑問が残ってしまうので、けっきょく三人はまた頭を抱えるハメになった。