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年上の後輩

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 プロデューサーの言う通り、杏はこれからなんだ。そう思わせてくれる伸びしろとか可能性とかがなんとなく見える。
 それがわかっただけでも今日はよかったさー。

 そして、その日は思ったよりもずっと早くやってきた。
「杏〜。今日はいいもの持ってきたぞ〜」
 自分には自分のスケジュールがあるし、杏につきっきりになれるわけじゃない。
 今日は丸一日杏とは別行動で、自分が一足先に事務所に帰ってきたんだ。
「えっなになに? もしかしてアメ?」
「はずれ〜。もっといいものだぞっ」
 自分はわざとらしく背中に回した手に持ってそれを隠してる。
 杏は気になってしょうがないみたいで、ぴょこぴょこ跳ねて後ろに回りこもうとする。そうはいくもんかー!
「響、ひょっとしてアレか?」
 プロデューサーはさすがに気づいたみたいだな。
「見〜せ〜て〜よ〜」
「ふっふっ〜ん。いいものっていうのは……これだーっ!」
 自分が満を持して差し出したもの、それは……
「なにこれ?」
「まあ開けてみるさー!」
 何の変哲もない封筒。でもそれは確かに杏宛てのものだった。
「どれどれ……杏ちゃんのいつも気だるそうな雰囲気に親近感がわきます。あまりにも遠い存在のように感じられたこれまでアイドル像とは一風違った感覚です。これからも頑張ってください、応援しています……こ、これは!?」
「そう、ファンレターさー!」
「ええっ? 杏、そんなすごいことやった覚えないよぉ」
 あまり自覚も実感もわかないのか杏は驚いてる。自分だってちょっと早すぎると思ってるぞ。
「でも、この手紙は杏にもちゃんとファンがいるってことを証明してくれてるっ。直接目には見えなくてもこういう形でね」
「ふーん……」
 杏はファンレターをしげしげと見つめ続けている。ショックだよなー。自分も初めてファンレターもらったときは飛び上がりそうなくらい嬉しかったし。
「自分たちアイドルはファンに注目されてる。けど、自分たちにはいつ、どこでファンに見られてるのかはっきりとわからない。だから、自分たちはいつだってカンペキじゃないといけないのさー」
「そっか……杏、明日からはもうちょっと本気出してみるよっ」
 うんうん、いい傾向だぞ、これは。
「じゃ、さっそく。デスクでファンレターの返事を書いてもらうぞっ!」
「えぇ〜今日中?」
「当たり前だぞ! 朝イチで郵便屋さんに届けてもらわなきゃいけないからな」
「明日じゃダメ? ちゃんと明日から本気出すって決めたのに」
「ダメったらダメ!」
 しばらく押し問答を繰り返した後、自分はどうにか杏をデスクに座らせた。
 やれやれ、こういうところは相変わらずなんだな……。

 それでも、その日以来杏はいい方向に変わっていった気がする。
 よくよく見ないとわからない程度かもしれないけど。
「ぐでー。レッスン疲れたー」
 レッスンの最中に人目をはばからずへたりこむ杏。こういうのはもう慣れっこだぞ。
「ほら、もう少しだから気合い入れるさー!」
「も、もうダメ……」
「ふ〜ん、これがあるのにか?」
 自分はアメを杏の頭上で見せびらかした。プロデューサーがやったのと同じ手だ。
「ア、アメ!」
 杏はアメを捕まえようとしてすっくと立ち上がる。ちょうど鼻先にぶら下がったニンジンを追いかける馬みたいだな……。
「よし、これで立てたな、杏っ。さあ、続きやるぞー!」
「あ、あれ? また同じような感じで騙された気がする……」
 でも偉い。これまでならアメなんかじゃピクリとも動かないか、とっくにレッスンを抜け出してるだろうに。
 やっぱりファンレターの件が効いてるな、これは。

 果たしてその変化が実を結んだのか……。
「え、杏をステージに立たせる!?」
「まだまだ響との共演には遠いが、前座なら務められると思ってな。今度の響が主役のライブで出してみようと思うんだ」
「確かに今の杏の実力ならなんとかいけると思うけど……どう思う、杏?」
「……」
「え、と。杏?」
「……」
 ありゃりゃ、完全にフリーズしちゃってるな。杏だってそこそこ芸能活動に携わってきてるわけだし、プロデューサーの言っていることがわからないわけじゃない。緊張しないほうがおかしいよな。
「なんくるないさー! あくまでお客さんは自分を見に来てるわけだし、期待はもともと高くないっ。気楽に気楽にっ」
「そ、そうだよね。杏、どうかしてたよ」
 そう言いつつ、笑顔はこわばってるし。
「うーん。どうしてもというなら取りやめてもいいんだが……」
 杏の顔色をうかがってプロデューサーは妥協しようとしたけど、
「ううん。杏、やってみるよ」
 杏が自分から何かをやるなんて言い出したのは、その時が初めてかもしれない。

 ライブ当日。杏の出番は自分の一つ前だ。
 杏はさっきから前の人のステージを見ながらそわそわしてる。やっぱり緊張してるよな。
「なんくるないぞ、杏。リハだってそこそこだったし、今までの練習通りやればいいんだっ」
「響の言う通りだ。本当によくここまでやってこれたな」
 しばらくの間。そして、
「……え、あ、だいじょーぶだいじょーぶ。杏、全然緊張してないよっ」
 うん、全然緊張してるな。
 とうとう前の人の出番が終わった。とうとう杏の番だ。
「それじゃ、行ってくるよ。プロデューサー、響先輩!」
「うん、頑張ってくるさー!」
 空元気だってわかるけど、でも、今の杏なら素直に応援したくなる。
「みんないくよー! あんずのうた!」
 杏のステージが始まった。
 杏らしいかわいらしさ全開の曲が鳴りはじめる。
 あ、そこ振り付けミスってる。今度はちょっと音外してる。
 けど、いい。なかなかいい。
 杏は無名だし、観客は盛り上がってないけど、それでも杏を見てきた自分には良さがわかる。
 杏の精一杯の歌声がライブハウスに響き渡った。

 なんだかんだで大したアクシデントもなく杏の出番は終わった。
 まばらな拍手の音が鳴る。ふう、取り越し苦労かけてくれちゃって。
 そして、自分がステージに向かおうとしたとき、
「杏ちゃ〜ん!」
 お客さんから杏を呼ぶ声、中肉中背っていうのかな、ごく普通の男の人。
「よく頑張ったー! 頑張ったぞー!」
 その人はきっと杏のファンの一人。ひょっとするとファンレターを送った当人かもしれないな。
 杏のためにここに来たんだ……。
「ありがと〜、ありがとー!」
 杏は手を振ってその人に応える。うんうん、よかったな、杏。
「このステージ、杏にとって最初で最高のものになったかもな」
 プロデューサーが自分に声をかける。
「うん。今なら自分と杏を組ませようとしたプロデューサーの気持ち、わかるかもしれないさー」
 優しすぎず厳しすぎずで杏のマイペースに付き合いながら、変わらないように変えていく。
 自分は自然とそれをやれたんだ。
「さて、次は先輩としていいとこ見せるさー!」
 自分はステージを去っていく杏とすれ違う。
「上出来だったぞ、杏」
「……ありがと」
 そして、自分はこれまでに何度も上ったステージに立った。
「待たせたねっ、みんなー!」
 割れんばかりの歓声の中、自分は横目で杏を見送った。
作品名:年上の後輩 作家名:てっく