オンリー・ワン
汗と埃を流し終えて自室に戻ったカタリナは、よく見知った人物が自分の客室にいるのを見つけた。
「ウォード」
柔らかな長椅子に足を投げ出して座っているウォードは、濡れた髪を押さえながら部屋に入ってきたカタリナを見て片手を上げた。
「よう、宮殿に戻っても相変らずだな」
「いつロアーヌへ?」
無断で部屋に入り、少しも悪びれない彼の態度に苦笑しながら、カタリナは向かいに腰を下ろした。並外れた巨体と髭面の彼は、知らない者から見れば威圧感を感じるかもしれないが、眼鏡の奥にある瞳はやさしく微笑んでいることを、共に旅をした経験で知っている。
「今朝だ。おまえの主人の命で、ランスからヨハンネスをつれてくることになっていたんだが、間際になってヨハンネスの奴、行きたくないなどと言い出しおって、仕方なくおれだけが来たってわけだ。さっき、ミカエルから極秘で聞いたんだが、次の魔炎長アウナスとの戦いは奴も来るんだってな。ビューネィとの戦いと違ってかなりの遠征になるが、領主がそんなに国を空けて大丈夫なのか?」
「ミカエル様のことです。すでに何かお考えでしょう」
答えながらカタリナの脳裏に、ある疑念がひらめいた。
「ウォード……もしかして、私の叔母に会わなかった?」
ウォードはうなずく。
「おお、偶然ミカエルと前庭ですれ違い、歩きながら話をしていたら、近くでけたたましい悲鳴が聞こえてな、一人のご婦人が帽子を風で飛ばされて困っておられ、ミカエルが木から帽子を取って手渡した方が、そうみたいだな」
未亡人となった義母の友人とはいえ、叔母の粗相に主君自らの手をわずらわせた申し訳なさより先に、カタリナの胸に嫌な予感が広まった。
「何か、話したの?」
「おれの事を色々聞いていたよ。ミカエルは用があるからといって、途中で別れたがな」
「何を聞いていたの?」
「おまえとどんな旅をしたのかとか、おまえのことが好きかどうかとか……」
「なんて答えたの?」
身を乗り出さんばかりに質問を浴びせるカタリナに、冷静で毅然とした態度を崩さない普段の彼女を知っているウォードは眉をひそめた。
「好きに決まってるだろう。まあ、一緒にいたシャールやウンディーネたちも同じ位に好きで、大事な仲間だが。……なんかまずかったか?」
カタリナは額に手を当てた。叔母が言っていたのはきっとこのことだ。最後まで話を聞かずに、好きという言葉だけを拾い上げて舞い上がっているのだ。
あの叔母のことだから、その話は三日以内にロアーヌ中に広がるだろう。カタリナはため息をつきかけて、はっと息をのんだ。
「待って、ミカエル様も一緒にいらっしゃったのよね?」
「途中まではな」
「その話は聞いておられた?」
「えーっと、ああ、いたいた。何を考えてるのかよく分からない、いつもの無表情だったな」
カタリナは立ち上がった。先ほど鍛錬場にいたのは、やはりミカエル様かも知れない。それは確かな直感であった。
何事かと驚くウォードを尻目に、カタリナは部屋を飛び出す。真っ直ぐに向かうは執務室だ。階段を下り玉座の間の前を駆け抜けるカタリナを呼び止める者がいた。