あたたかい場所
「何故、そんなにも気にかけるんだ…。この病のせいか?」
気づけば、イタチは鬼鮫に問いかけていた。
沈黙に耐えきれない訳ではなく、ただじっと見つめてくる鬼鮫の視線に耐えられなかったのだ。
ひたりと鬼鮫に視線を合わせて問えば、鬼鮫はいいえ、とただ小さく呟く。
「気づいたのは、病のお陰ですが……ずっと思っていたことはありました。それがその病の件もあって一気に形をなしたといいますか……」
鬼鮫の言葉は、イタチにはいまいち意味が分からなかった。病のお陰で何に気づいたというのか。
だが、イタチを捉える鬼鮫の瞳はやけに真摯で、イタチは居心地が悪くなる。いや、寧ろここから逃げなくてはいけないと本能は告げている。
その瞳が、イタチの心の葛藤を見抜いていたとしたら、それは惨めでしかないからだ。
イタチは、気づかれない程度に軽く身構えた。まるで、断罪を待つような気分だな、と内心で己を嘲りながら。
「貴方、自分に厳しすぎるんですよ」
苦笑混じりに呟かれた言葉に、イタチはやはり本能が告げていたことは正しかったと思った。鬼鮫は、イタチが己を律していることを見抜いていた。
何となくわかっていたこととはいえ、言葉にされる酷く心が荒れる。
「だからなんだ……お前に甘えろとでもいうのか?」
イタチは、絞り出すように答える。逸らすことなく鬼鮫を捉える視線は、剣呑な空気を孕んでいた。
その視線に押されるように、鬼鮫は、押し黙り、視線をついと地面へと落とす。
まるで、凍り付いてしまったかのような空気。鬼鮫自身、踏み込みすぎたと思ったのだろうか、とイタチは思ったが、最早それではイタチの気は収まらない。
「どのみち、人はいずれ死ぬ。それが早いか遅いかそれだけだし、別段、惜しい命でもないだろう?」
色々と省いてはいるが、結局の所、イタチが最後に行き着くのはこの結論だけだ。
それを、鼻で笑うように言ってのければ、先ほどイタチを捉えることをやめた視線は、再びイタチへと向けられる。
今度は、イタチが凍り付く番だった。見開かれた瞳は、驚きを示している。その顔のまま、固まったイタチに、何を言うでもなく、ただ向けられた鬼鮫の面。
その顔が浮かべていた表情は、とても痛ましげだった。哀れまれているのだと感じる。それは、イタチの自尊心を刺激した。
「なんだ、その顔は……俺が哀れか?お前にもそんな顔ができるなんて意外だな」
苛立ちを隠そうとしないままに、イタチが鬼鮫に言葉を投げれば鬼鮫の顔は余計に歪んだ。
普段の彼とはかけ離れた表情に気圧されそうになる己を叱咤しながら、イタチは一度、強く唇を噛みしめると、強い視線で鬼鮫を睨んだ。
「貴方の…せいです」
小さく零れた声がイタチの鼓膜を震わせる。弱々しく響く声は、その体躯には酷く不似合いで滑稽でさえあった。そのくせ行動は酷く大胆だ。
立ち上がり、イタチとの距離を詰めると、その前に跪く。変わらずに強い視線を投げるイタチに怯むことなく、鬼鮫は竹筒を持ったままのイタチの手に己の手を重ねた。
「もっと、自分を大切にしてください……」
ぴくりとイタチの手が震えた。
捨てる為だけにある命を、此程までに慈しまれて、心が震えないはずがない。
苛立つのは、己がそこに甘えてしまうから。見失ってはならない唯一を、取り溢してしまいそうになるから。
振り払いたいのに、できなかった。そっと重ねられた手は、見た目とは違い、優しい温もりに満ちている。
「それができないなら、せめて……少しだけ、貴方を甘やかす私を許して頂けませんか?」
縋るような瞳に、流されそうになるが、それだけはあってはならないとイタチは己を戒める。
血が滲むほどに噛みしめた唇。その痛みだけが、温もりに、優しさに抗う己を繋ぎ止めていた。
これ以上、ここで鬼鮫と話していては、心が蕩けてしまいそうだ、とイタチは思う。
一度、ぎゅっと瞳を閉じる。
振り払うのを躊躇ってしまう程の優しさを、拒むように。
再び開かれたイタチの瞳には、何も無かった。
それこそ、苛立ちも、戸惑いも、ないただ虚無を映すような瞳だ。
「……話は終わりか?もう休憩はいいだろう…行くぞ」
鬼鮫の手をするりと抜け、立ち上がると、未だ何か言いたげに視線を投げる鬼鮫を尻目にイタチは歩き始めた。
振り返ることのない背中は、ありありと拒絶が滲んでいた。