ダークネス・ライト
郊外の丘の上でヨハンネスは袋の中から望遠鏡の三脚を取り出し、てきぱきと準備し始めた。何を手伝えばいいのか分からず、ぼうっと見つめていたサラに、準備を整えたヨハンネスは手招きをする。
「流星群を待つ間、覗いてごらん」
言われるままに望遠鏡を覗き込んだサラは、驚いて小さな悲鳴を上げた。すぐ目の前に、大きな赤い星が見える。
「火の星と呼ばれるアルゴンだ。その隣に小さく輝いている星が、アルゴンの衛星である、コラド」
望遠鏡から目を離したサラは、今の星を探そうと夜空を見上げた。腰に手を当てたヨハンネスは、望遠鏡の直線上を指差す。
「今、そこに見えているのは、あの辺りにある星たちだ」
言葉をなくしたままサラは何度も、筒の中の星と夜空の星を見比べた。肉眼でようやく見えるほどの小さな星だが、望遠鏡を通して見ると、手に取るように大きく見える。
感嘆のため息をつきながらサラは、満足そうな笑みを浮かべているヨハンネスを見た。天文学者である彼は、星に興味を持ったらしいサラの様子に嬉しそうだ。
望遠鏡から体を離してサラは言った。
「そうか、天体観測は夜しか出来ないから、昼間はずっと眠ってるんですね」
ヨハンネスは苦笑を浮かべた。
「子供の頃から宵っ張りで、朝が苦手だっただけだ。学校も嫌いだったしな。父親と一緒にこうやって望遠鏡を覗いている時が一番楽しくて、それが学者と呼ばれるようになっただけかもしれない」
その言葉を聞いてサラの顔から笑顔が消えた。ヨハンネスとアンナの父親は死食を発表したせいで、世の中を惑わす煽動者として処刑されたという話を思い出したのだ。
「……ごめんなさい、つらい事を思い出させてしまって」
「構わない」
袋から水筒を取り出しながら、淡々とヨハンネスは言った。
「誰だって、そんな話を聞けば恐怖に取り付かれる。聖王が終わりにしたはずの死食が蘇るなんてありえない、と」
そう言って水筒から湯気の立ち昇る飲み物をサラに手渡す。
「私が淹れたお茶だから、味に保証はもてない」
それを受け取りながらサラは恥ずかしさにうつむいた。昼間は、変人に見えた目の前の天文学者の偉大さに気づかなかった自分の心の狭さを恥じたのだ。ヨハンネスのくれた熱いお茶は、冷え切った体に染み入る。
「……心が広いんですね。ヨハンネスさんは。人々にお父さんを奪われても、その人々のために今も星の観測を続けて死食の謎を解き明かそうとしている」
「好きでやっているだけだ」
「でも――」
サラはヨハンネスの顔を見上げた。
「私だったら……私だったらもしかしたら、今ごろ慌てても遅い、いい気味って思ってアビスの四魔貴族の居場所とかも教えないかも」
「そうして、みんな滅びるか?」
ヨハンネスは夜空を見上げた。
「……つらい時期がなかったわけじゃない。でも、私には、私を信じてくれている妹を父親代わりとして守る義務があるんだ」
「…………」
サラは言葉を失ってヨハンネスの顔を見つめた。確かにそうだ。このままでは世界は滅び、人類を含む全ての生き物は死に絶えてしまうかもしれない。その中にはたった一人の妹であるアンナの命も含まれている。
ヨハンネスは続けた。
「それに、見てみなさい。この星たちを見ていると、私たちの苦しみや悲しみもちっぽけなものに思えてこないか?」
ヨハンネスと同じようにサラも星夜を見上げた。昔、トーマスから借りた本の中の一節を思い出す。星の一生は想像もつかないほどに永く、それに比べれば人の一生はほんの一瞬の間でしかない、と。
サラは夜空を見上げるヨハンネスの横顔を仰ぎ見た。
「ヨハンネスさん……私たちのこの星は、滅びてしまうんでしょうか?」
昼間の話を聞いてから、ずっと気にかかっていた事だ。そのせいで今まで眠れずに、寝床の中で何度も寝返りを打っていたのだった。
「滅びます」
あっさりと言ってヨハンネスは、再び望遠鏡を調整し始めた。それは例えて言うならば『明日は雨です』というような当たり前の調子だった。
「え?」
びっくりしてサラはヨハンネスを見つめる。調整を終えたヨハンネスは息をのんだままのサラに気がついて微笑んで見せた。
「いつかは、ね。星はいつか滅びる。それは天文学の基礎知識だ」
「なんだ、びっくりした」
笑みを浮かべたサラにヨハンネスは言った。
「でも、そのいつかが、いつなのかは誰にも分からない。アビスの脅威がある以上、もしかしたら、もう私たちに残されている時間はあまりないのかもしれない」
ヨハンネスはサラを見つめ返した。
「形あるもの、いつかは滅びる。永遠なんてものは存在しない。今、私たちが見ているこの星々だって、もしかしたらもうなくなっているかもしれない。遠い所にある星の光がここまで届くためには気の遠くなるくらいの時間が経っているからね」
ヨハンネスは星空に目を戻した。
「……ただ一つ、永遠というものがあるとすれば、それは人の記憶かもしれない。世界が滅びても、誰かが誰かを愛しく想った記憶だけは、なくならないと思う。その想いは永遠に宇宙を漂い続けるんじゃないかと」
サラはしばらくヨハンネスを見つめていたが、やがてくすっ、と小さな笑みをもらした。それに気がついたヨハンネスは照れくさそうに頭をかいた。
「や、私に似合わない事を言ってしまったな。今の言葉は忘れてくれないか」
サラは微笑みながら言った。
「すてきだと思います。現実主義者である天文学者であると同時に、星の声に耳を傾ける浪漫主義者でもあるんですね」
ヨハンネスは堰払いをした。暗くて分からないが、きっと真っ赤になっているに違いない。
「君は……不思議な子だね。誰にも言えないような心の秘密も、君にはつい話したくなる。今日、会ったばかりなのにね」
サラはびっくりした。旅を共にしている少年も、そんな事を言っていたのだ。それは言葉少なで、内気だからだろうか。
だがそれは、なんだか嬉しい気がした。
「ところで――」