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 いくつかの試料(はこにわ)は撤去されていた。彼が知る限り、とても順調に人間の知性の進化をなぞっていたものもあった。部署の統合が行われる以前であっても、すでに予算の変化は起きていたらしい。
 記憶とは違った場所だったが、すぐに彼は自らの試料(はこにわ)を見つけた。ここに来なくてもいいのではないかといっていた同僚は、実際の彼の試料(はこにわ)の様子については、言葉を濁していた。試料(はこにわ)がただの石礫に戻っていてもいいから教えてくれという彼の言葉に対してすらも、答えようとはしなかった。
 彼は操作パネルに手を伸ばした。手元など見ずともどうすればいいかわかる。だが、ぴくりと指先が震えさせただけで、何もしなかった。怖れているのか、名残惜しいのか。ここで彼がどう行動したところで、数日内にこの試料(はこにわ)は他人の手に渡る。後任が何がしかの興味を覚えて、環境を継続させるかもしれない。観測機器だけをひっぺがし、残りは近くの恒星に投棄するかもしれない。いや、そんな予算すらかけず、実験室ごと用途を変更するかもしれない。なにせ彼が専門とする分野は、予算を必要とする割に、直接的な成果を見せづらい場所なのだ。予算を握る人間(いっぱんじん)は言う。その観測機を使う理由はあるのかね。計算機ではいけないのかね。継続期間中の具体的な成果をあげてみてくれ。さらに、予測値を教えてほしい。計算機上でのシミュレーションを十分に行っているのか、具体的なアルゴリズムの還元は可能なのか、クリーンルームでの再現性は十分なのか。そう、君が計上する予算に対して、何パーセントの具体的な利益が上がるのか。
 彼は口元を歪めた。ここにいることが既にセンチメンタルに浸った行いだ。さらに非論理を重ねてどうしようというのだ。彼がどう()していようと、もはや試料(はこにわ)に対する彼の権限はない。せっかく、渋い顔をする医師を説き伏せてきたのは、試料(これ)にいついた生命体(かれら)に会いたかったからではないのか。もはや見る影もなく減ってしまったという生命体が未だ存在することを確認したかったのでは。
 慣れた手つきで試料(はこにわ)を拡大しようとして、ふと彼は手を止めた。
 ぐるりと石礫をまわした。気になった場所で止め、ほんの少し拡大する。彼は息を飲んだ。
 緑なす大地と砂漠の間に、異様な物体が存在していた。観察対象の生命体よりもはるかに大きい。木ではない。石ではない。大きさに対する硬度はもちろんあるだろうが、弾力のあるといったほうが相応しい。
「――」
 まさか、そんなはずが、誰が? 漏れたのは吐息だけであった。
 浄化疫の起動のための存在がいた。奉仕種属のほとんどと、一部の観察対象の生命体を用いて、促成栽培の大地に豊かさを取り戻す。望ましくない生命を処分し、あらまほしき進歩の方向へと舵をとる大切な手入れだ。これがあるからこそ、彼の試料(はこにわ)は捏造を疑われるほどの速度で進化し、安定を保ってきたのだ。
 息を飲み、あらためて観測機器に対象の拡大を命じようとする。だが、それが果たされる前に、受付で借りた内線が鳴った。
 胸ポケットで存在を主張するそれを耳に押し当て、用件を聞く。かつての上司同僚がミーティングルームに揃っているらしい。今行くと応え、かれは内線を切った。
 きびすをかえそうとして、引っ張られたかのように足を止めた。ほんのしばらく、まるで睨みつけるかのような表情で、試料(はこにわ)を見た。ぎゅっと眉を寄せ、首を横にふる。彼は立ち去った。



 いくらかの近況報告と連絡先の交換があった。寛解後という条件こそ付けど、何らかの仕事を得ることも可能になりそうだった。また近いうちにと肩を叩きあった後、彼は再度実験室を訪れた。
 なんの感動もなく明かりを灯し、試料(はこにわ)へと近づく。中を覗き込む前に、自らが緊張していることに気づいた。
 ゆっくりと息を吐きながら、彼は観測機器を操作した。そして、眉を寄せた。
 大地につきささるかのようにして存在を主張していたものがない。見間違いだったのかと思い、目をこすった。浄化疫が終わったのだろうか? いや、それはさすがに早すぎる。一度起動してしまえば、数日の間――内部の生命体にしてみれば数世代の間、それは猛威を振るうはずだ。
 ひとまず観測機器から離れ、ログを集約しているはずの計算機へと向かった。彼のIDは有効だった。
 探すほどのこともない。つい最近のログを確認するだけで十分だった。浄化疫の起動装置が姿を現したのは昨日のことらしい。誰がという記録はなかった。むしろ、ここ一月の間、同僚が彼の試料(はこにわ)を観察したという記録すらなかった。彼がつい先ほど観測機器をいじったことは、きちんとログに出ているというのに。
 浄化疫の起動装置は起動することなく破壊された。彼の作業ではないのだ。出現が不完全であったため、動作不良を起こしたのかもしれない。
 自壊の記録はない。もう少し詳しくと、彼はログの精度をあげた。
「――」
 浄化疫起動装置は、この石礫の生命体によって破壊されたらしい。奉仕種属を与え、手塩にかけて彼が育てた存在だ。
 彼らは畏怖すらもなくしたというのか。研究から手を引くことになったのは、かえってよかったのかもしれない。いやしかし、自分がきちんと管理していればこんなことにはならなかったのではないか――。
 だらだらとログを眺めながら、彼は自分がありえない選択肢を思い浮かべていることに気づいた。何も好きで医者にかかるはめになったわけではない。好きでクビになるわけでもないのだ。試料(はこにわ)をより良くなど、今更詮無きこと。表示をやめようとしたところ、彼はまるで雷に撃たれたかのような表情で動作を止めた。
 たった六体だった。あの、彼らにとってとても巨大な浄化疫起動装置を破壊したのは、たった六体の生命体だった。奉仕種属が混ざっているとはいえ、彼らはいつのまにそんな力を身につけたというのか。確かに飛行技術は持っている。だが、彼らは未だ原子の世界にすらたどり着いていないのだ。大きさだけで言うならば、人間がたった六人でつるはしやバールのようなものを手に十階建てのビルを壊すようなものだろうか。それも、一面に神の御姿が描かれているそれだ。人間でもいい気はしないが、試料(はこにわ)に棲む存在であれば、抵抗はいかばかりか。ありえるはずがない。瞬間的に思いついた結論は、観測機器とログ取得装置の故障だった。
 一体、何が起こっている。何が起こった。彼は身を乗り出した。忙しくログの精度を調整し、自らに必要な情報を拾い集め始める。頭の中では、レポートの構成を作り始めていた。彼ら()はほんの少し浄化疫のさじ加減を間違えただけで、全滅してしまうような脆弱な生命体のはずだ。だが――。
 瞬間、内線が鳴り、彼はびくりと身を震わせた。警備室からだった。彼の職場にコアタイムは存在しない。だが、彼はすでに半ば部外者なのだ。帰らないのであれば、ある程度の身分の人間の許可が必要だ、と。無愛想な内線の声に、彼はまるで言葉を忘れてしまったかのように答えられなかった。
作品名:上主 作家名:東明