【亜種】彼岸花
列の人々は全て霞の向こうへ行ったのか、誰の姿もなかった。
余り帰りが遅くなれば、沢木に余計な心配をかけてしまう。けれど、あの人形が何者なのか知りたかった。
もう一度確かめに行くべきか、立ち去るべきか、決心がつかず、彼岸花の群生を眺めながらぐずぐずしていたら、
「カイト」
聞き覚えのあるその声に、カイトは振り向くことも出来ず立ち尽くす。
もう一度会いたいと願い、会えるはずがないと諦めていた、その人の声が、
「カイト」
囁くような声が背後で聞こえ、腕を取られた。
「ひっ」
声を上げて身を返すと、悲しげに微笑む顔がそこにある。
一年前に亡くなった沢木の妻、アオイの顔が。
「アオイ・・・・・・様」
呆然と呟くカイトに、アオイは掴んでいた手を離し、
「驚かせてごめんなさい。訳は後で話すから、あの人の元へ連れていって欲しいの」
懇願するように、カイトを見上げて言った。
「あの人」が沢木を指していることくらい、今のカイトでも瞬時に理解できる。
「分かりました。一緒に参りましょう」
すぐに気を取り直し、アオイの手を取る。
だが、向き直った先には、赤毛の男が悲しそうな顔で立っていた。
「アオイ様、離れていてください」
カイトはアオイに声を掛けると、男に近づく。
「此処を通して欲しい。あの方を、私の主の元へ連れていきたい」
相手は目を伏せ、ゆっくりと頭を振った。
「駄目だよ。そんなことをしては」
「退かぬのなら、力づくでも」
カイトは、護身用にと持たされている小刀を、懐から取り出す。
男は、悲しげな目で一瞥すると、また首を振り、
「無理矢理連れていくことはしない。彼女が、自分の意志で来なければ」
「私は、あの人に会いたいの!」
その叫びに、カイトは急いでアオイの元へ走った。赤毛の男は動かず、深いため息をつく。
「カイト、お願い!」
「承知しました」
カイトはアオイを庇うように抱えると、悲しげな赤い瞳を振り切るように、小走りに彼岸花の群生を後にした。
大きく迂回するように林を抜け、村の近くまで一気に駆ける。カイトはそこで足を止めると、赤毛の男の姿がないことを確認し、アオイへと顔を向けた。
「アオイ様、沢木様の元へ行く前に、どうか事情を話してはくださいませんか。貴女様を疑う訳ではありませんが、私には分からぬことが多すぎて」
「いいのよ。突然のことで驚いたでしょう。一年も前に死んだ女が、帰ってきたのですもの」
アオイの悲しげな笑みに、やはり生者ではないのかと、カイトの気は沈み込む。アオイの姿をした悪霊などとは考えたくないが、かといって、何も聞かずに沢木の元へ連れていくことも出来なかった。
「カイトは聞いたことがあるかしら。彼岸の時期は、この世とあの世の距離が近くなると」
「ああ、はい」
今朝方の、鳥飼の言葉を思い出す。
この時期は境界が薄くなる、迎えが来ているから釣り込まれぬようにと・・・・・・
「特に、彼岸花の咲く時期は、あの世から死者を導く者が現れるの。さっきの赤毛の男がそう。彼が持っていた彼岸花、あれが迎えの合図となって、彼岸への小舟を呼ぶの。あの舟に乗れるのは、この世への未練を断ち切れた人だけ」
アオイは一気にまくし立てると、寂しげに微笑んだ。
「彼岸へ渡る前に、どうしてもあの人に会いたかったの。カイトが来てくれて、これは神様のお導きなんだと思った」
「アオイ様・・・・・・」
カイトは、アオイの言葉に腹を決める。
なんとしても、この方を主人の元へ連れていこう。沢木様も、それを望んでいるはずだから、と。
そして、あれは自分の勘違いなのだと、強く心に言い聞かせた。
人目につけば、余計な詮索をされる。カイトはアオイに自分の上着を被せ、目立たぬように沢木の家へと向かった。
往来に人の姿がないどころか、誰の声も聞こえないのを訝りながらも、今は詮索している場合ではないと、歩を早める。
だが、家の前まで来た時、何処からともなく赤毛の男が現れ、立ちふさがった。
「そんなことをしてはいけない」
悲しげな声に耳を貸さないようにして、カイトはアオイを背に庇う。
「そこを通してくれ」
カイトの言葉に、相手はゆっくりと首を振り、
「駄目だよ。一緒に行こう」
アオイに向けて手を差し伸べる。
だが、アオイはカイトの背後から顔を出し、
「嫌。嫌よっ。あの人に会うの!これは神様のお導きなの!カイトがあの場に現れたのは、神様が私の願いを聞き入れてくれたんだわ!」
その言葉に、赤毛の男は眉を顰めた。
悲しげな赤い瞳に、僅かな影が差す。
「違う。彼を巻き込んでは」
「カイトも同罪よ!私を見捨てたのだから!!あの時、カイトも見ていたのに!!カイトは知っているのに!!私よりあの人を選んだの!!」
悲鳴にも似た声に、カイトはぎょっとして立ち尽くした。
押し込めていた疑惑が、一気に確信に変わる。
「彼を巻き込むな!」
赤毛の男の強い口調に、一瞬アオイの怯む気配を感じたが、その姿は直ぐに二人の脇を駆け抜け、家の中へ飛び込んでいった。
「あっ、アオイ様!」
我に返ったカイトは後を追おうとするが、優しく腕を取られる。
「手遅れだ。これ以上巻き込まれるな」
先ほどとは打って変わった低い口調に、カイトは足を止めた。
「沢木様が」
カイトの声を遮るように、家の中から悲鳴と罵声が轟き渡る。ぎょっとして視線を向けると、髪を振り乱し血走った目で牙をむきだしたアオイが、沢木を腕に抱えて飛び出していった。
カイトは追いかけようとしたが、腕を掴まれたまま強く引かれ、動きを止める。
「・・・・・・罪には、罰が与えられる。それを与えるのが、彼女でなければ良かったのだが」
静寂を取り戻した場に、男の悲しげな声だけが響いた。
「君のせいじゃない」
その言葉に、カイトは俯き、
「・・・・・・本当は、知っていたんだ」
掠れた声で呟いた。
あの時、帰りの遅い二人を心配して、カイトも山に入った。そして、アオイが谷底に転落する場面を目撃したのだ。
「・・・・・・見間違いだと思った。夫婦仲は良かったし、沢木様はとてもお優しい方だから」
だから、あれは夕焼けに目が眩んだせいなのだと思い込んでいた。
沢木が、前を歩くアオイを崖へと突き飛ばしたように見えたことも。アオイが助けを求めて伸ばした手に、沢木が触れようともしなかったことも。
転落していくアオイを眺めながら、沢木が愉快そうに顔を歪めたことも。
カイトの目から涙が溢れ、頬を濡らしていく。
手の甲で拭いながら、途切れ途切れに言葉を絞り出した。
「だから、急いで家に戻り……何も知らない振りをしたんだ。人形の俺が・・・・・・何を言おうと、どうせ・・・・・・信じる者はいない。まして・・・・・・自分の主人が妻を殺したなどと言い立てたら、俺は・・・・・・俺が、捨てられるだけだ。怖かった・・・・・・怖くて・・・・・・捨てられたくなくて・・・・・・俺には・・・・・・俺には、他に居場所などない・・・・・・から」
しゃくりあげるカイトの体に、ふわりと腕が回される。