【黄黒】ライブラリ
青峰は辞めるなと言って引き止めてくれた。たまたま青峰を探しにやって来た赤司にも声をかけられた。だが、黒子は自分に対する自信を失っていた。
図書室は、秋の読書週間に向けた準備と本棚の整理の時期だった。司書、委員総出で、本棚から本を取り出しては、埃とりのモップをかける。そのローテーションの中へ入り損ねた黒子は、隅っこに積まれた新刊本の整理を、誰とも言わずにかって出た。誰が積んだのか知らないが、机の上の本の山は黒子の背をゆうに越えて、黒子が腕を必死に伸ばしても、一番上の本に届かないという、苦しい事態を迎えていた。
いったい、誰がこんな考えなしにと、本の山に向かって悪態をついていると、すみません、と山の向こう側から声が聞こえて来た。
「あ、図書委員の人っスか?段ボールから本出してたら出られなくなっちゃって……助けてほしいんスけど」
「……馬鹿なんですか」
いったいこんな事態に自ら陥った馬鹿の顔を拝んでやろうと思った。
山の向こうに閉じ込められた男が、一番上から本を取って、山と山の微妙な隙間から黒子に手渡すと、それを黒子がせっせと分類コードにならって棚に並べて行く。
ようやく、馬鹿なことをした生徒の頭が見えて来たところで、黒子は固まった。本の上から見えた頭髪が金色をしていたからだ。
晴れて、黒子の予想通り、その男子生徒は黄瀬だった。
「いやあ、助かったっス……あ、あれ?」
「こっちです」
黄瀬が外に出られるようにと、机の上から本の塊を移動させていた黒子を見つけた黄瀬が、わあ、と大きな声を出して、図書室中の視線が黒子たちの方へ向いた。
「しーっ!!」
「すみません……ほんと、助かったっス」
「今度からこんなむちゃな整理はやめてください。本が痛みますから」
「オレ、今日はクラスの図書委員が休みで代理できたんスよ。大目に見て下さい」
ぺろっと舌を出して謝罪する黄瀬に、見る人間が見れば、それだけでしょうがないとほだされるのだろうと思ったが、黒子が間近に見た黄瀬の笑顔は、やはりその目が完全に死んでいた。
「そんな風に謝る必要は無いんで、今度はこっちの棚の整理手伝ってもらえませんか?」
簡単に分類コードの仕組みを教えて、右と左から本を並べて行く。
「お、図書室ってファッション雑誌なんかも入ってくるんスね」
「入ってきますよ。生徒からのリクエストで」
「ね、ねね、これ見て!実は俺が載ってるんスよ。ここ」
黄瀬が広げたのは、今月号の女性向けのファッション雑誌だったが、クリスマスへ向けたプレゼント特集が組まれていて、そこに黄瀬が登場していたことを黒子は既に目を通して知っている。
「……あの、早く終わらせて帰りたいんで、遊んでないでさっさと並べてもらえませんか」
「あんまこういうの興味ない人っスか?」
「あんまり読みません」
「部活は?」
「バスケ部」
「え!まじっスか?」
黄瀬は、黒子のスポーツマンらしからぬ背格好とバスケというスポーツを比べて、明らかに失笑した。黒子が顔をしかめれば、ぴたりと笑うのを止めるくらいの心配りはできるようだ。
「あ、でも、ホント、運動部だ。見た目より筋肉ついてるんスね」
ちょうど本の山を棚の前に移動させていた黒子の二の腕を掴んで黄瀬は感心していた。断りもなく人の身体を触るのかと、その傍若無人な態度に今度こそ黒子は呆れ果てた。いま確実に黒子は黄瀬に侮られているのだろう。
「……君はなぜモデルをやってるんですか?」
答えが返って来ないから無視か、と思って黄瀬へ視線を向けると、彼は少し驚いたように黒子を見つめて固まっていた。
そんなに突飛な質問をしたつもりはないけれど、黒子は答えにくければ別に良いですと作業に戻った。
「い、いや、そういうわけじゃないんスけど……スカウトされたからっス」
「誘われてもやりたくなかったらなりませんよね」
「そういう意味でいうなら、おもしろそうだと思ったんスよね」
その言葉のニュアンスから感じとれる微妙な感覚に、黒子はすぐさま死んだ目で笑う黄瀬のことを思い出した。
「……実際はおもしろくなかったんですか?」
「いや、服とかコーディネート考えるの好きだし、どんなふうに服を見せようか考えながら写真を撮られるのも面白いけど……」
「けど?」
「簡単すぎるんスよ。ああいうのは一種の技術と、あとは経験とか好みとかに出来栄えが左右されるから、一通り覚えてしまえば、あとは応用でどうにでもなるし……人生つまんねえっスよねえ。なんか、もっと面白いことが転がってないんスか?」
なんとも贅沢な話だと話を聞きながら黒子は思った。
「君の話の中に出てくる世界は、僕のまったく知らない世界でおもしろそうだと思いますけど、君にとって面白いことって、どんなことなんでしょう?」
「それはキミが知らないからおもしろそうに見えるだけで、当たり前になったらすぐ普通の世界になっちゃうんスよ。だから、俺でも簡単に出来ないことで、例えば手も足も出ないようなすごいやつが相手になるような、うんと熱く燃えられることってないっスかねえ。ないよなあ……」
色んな事に挑戦してみるものの、見れば技術をすぐに吸収してしまう黄瀬は、なかなか手ごたえのある競争相手と出会えず、すぐにつまらなくなってしまうのだと嘆く。
「……手も足も出なかったらつらくないですか。途中で心が折れてしまうかも」
それは黄瀬に対する心配ではなく、現在の黒子の状態だった。
「何言ってんスか。男だったら一生涯、挑戦者っスよ。俺はどんなことが起きても負けねっスよ。何度負けても最後には勝って死ぬっスから」
「……最後に勝てば良いんですか?」
「そりゃ、そっスよ」
不敵に笑う黄瀬の目が少し輝いてみえた。つまらないと言ってみても、死んだ目で笑っていても、まだ彼はその心のどこかで未来の可能性を捨てていない。
神様に選ばれる人間というのは、きっと黄瀬みたいな人間のことなのだ。どこか青峰と通じるものを感じた。
「……ありがとうございます!すみませんが、続き、よろしくお願いします」
「え、ちょ、何言ってんスか?」
勢いよく立ちあがって、本棚の整理を黄瀬に押し付けて、図書室を出て行こうとする黒子を、黄瀬はズボンのすそを引っ張って引き止めた。まだ本は半分近く残っている。黒子を逃がすまいとモデルらしからぬ必死の形相だった。
「僕はこれから部活に行かないといけないので離してくれませんか」
「これ一人で片付けろって言うんスか?」
黒子は黄瀬に足を掴まれたまま、少し立ち止まって思案すると、図書室のあちらこちらで本の整理に忙しい女子生徒たちに向けて声を上げた。
「誰か、こっちで黄瀬君の手伝いしてくれる人いませんか」
ばっ、と一斉に黒子たちの方へと視線が向く。黒子が手の空いている方、ともう一度叫ぶと、ほぼ女子生徒全員が手をあげた。先ほど注目を集めた時の視線とは格段に熱のこもり方が違う。
「みなさん手伝って下さるそうなので、後はよろしく」
異様な熱気に放心状態の黄瀬を置き去りに、黒子は図書室を抜け出して部室に急いだ。背後には、どたばたと図書室らしからぬ足音と、本の山が崩れた音が聞こえた気がした。