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夢轍 [3]夢と幻と過去と今、開かれたもの2

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 暗がりを潜り抜けて錆びたドアを開けると、そこは既に馴染んだ場所だ。戸口付近に立つ男に軽く手を挙げれば彼は帽子を軽く取って笑みを向けてくる。時折潜り込んでくる政府側の鼠を見分けるのが、彼の仕事だった。仲間に対しては人の好い青年だが、そういった仕事を任せられている理由は諜報部隊出身だからだ。言われれば、時折垣間見える鋭い眼光、常にこうして戸口に立っているにも関わらず気配を殆ど感じないところなど、その経歴を伺わせるものは多々ある。
「とりあえず、いつものだ」
 カウンターに無遠慮に座り込むや、向こう側にいる初老の男にぶっきらぼうに告げる。彼も彼で、カーツの姿を認めたとたんに既に準備していたのだろう。すぐさま目の前には冷えた琥珀色の液体が差し出された。良く冷えた麦酒は、今日のようなやや蒸す午後の不快さを誤魔化すにはもってこいだ。そうでなくとも、今日は工場区と居住区を何度も往復し、あくせくと動く破目になっていた。無論行動の成果はあったのだが、それにしても周囲に気を張り巡らせながらの移動である。身体的疲労よりも、精神的なものの方が大きい。ぐっと僅かなアルコールを含む苦味が喉を落ちてゆく感覚だけに意識を向けると、そうした労苦もどこかで報われるような気になる。
 この麦酒が親友マリクにからかわれる原因の一つで、アルコール分の強い酒を好むフェンデル生まれの男らしくはない、などといわれてもカーツはこの味わいを愛してやまなかった。
「隣、良いかしら」
 琥珀の液体を喉に流し込む、カーツの数少ない贅沢を邪魔されたという静かな苛立ちを遮るのは、低い場所で転がる鈴のような声だった。飲み掛けのジョッキを傾ける手すら止めて、文字通りその姿勢で固まる。幸いそれをからかうことが唯一可能である友人マリクは今は別の場所で行動しているし、配属の部下達はおのおの好きな行動をさせている。漸くそういう事が可能なくらいには人員は厚くなってきているのだからこそ、参謀役のカーツの仕事が絶えることはなく、思索が途切れることもほぼないといって良かった。
 ふわりと、まるでこの街に相応しくはないうっすらと甘い――それは仄かに甘いと感じる、ただそれだけの印象を残すだけの控えめで上品な香りに、カーツは思わず、思索を閉ざさざるをえなかった。
 思考を思わず停止してしまうほどの、けれどもほんの僅か。カーツが認識したものは、うっすらと漂い薫る女の匂いだった。一瞬だけだというのに眩暈がするほど濃厚に感じた理由は何故なのか。その理由を探るべく不躾に見れば、声の印象にそう違わない若い女だった。だが、こちらが相手を認めるや、どこか挑むようににこりと微笑む態度に神経の一端が反応する。名、そうだ、名前だ。カーツは覚えている。向こうは知らずともカーツは知っている、それは何も彼女に限ったことではない。カーツが、この反政府組織を大きくする上で自分自身に課しているだけの、自己満足によるものだ。名と顔は一致している。だがそれだけだった。
「『組織』の実質頭脳と言われているフェンデル軍第六部隊所属、出身はベラニック、階級は少尉、士官学校での成績は優秀、特に戦術戦略に関してのセンスと大紅蓮石の特性研究分野に置いて頭角を示し、特に有力視されている……あなた、カーツ・ベッセル技術少尉でしょう」
 はっきりと、いよいよ挑むような口調は、若い女性にしては落ち着いた調子だ。低い、というわけではないが高くもない、冷静さと余裕がどこかにある――そういう印象の声なのだ。はきとした口ぶりは恐らく彼女の中の思想が彼女自身に定着しているからであろう。出身階級は恐らく低くはない。物腰や物言い、そういうところから判断をつけた。何よりも時折鼻腔をくすぐる仄かな匂いは上品だった。少なくとも工場勤めなどをするフェンデル人が身につけられる匂いではない。かといって前線に配属される兵独特のきつさもなく、重油の臭いが染みこんでいるわけではないのであれば情報部の人間か。それにしては、やはりどこかで品が良すぎる女でもある。
「上出来だな、お嬢さん」
 カーツが続けて頷くと女はそれじゃあ失礼するわ、と微風のように言い、カウンターに並べられた粗末な椅子に腰を落とした。続けざま、ぴしりとフェンデル軍女性士官用の制服を着こなす女らしく、落ち着いた声色はフェンデル特産の酒の名を紡ぎカウンター越しに告げる。応じたのは初老の男ではなく給仕係の若い女性であり、彼女はいたって当然と言う風に注文を声高に繰り返し、厨房へと消えた。
 士官するということが生きる手段のもういっぽうであるフェンデルに、女の軍人は多い。他国と比べても圧倒的であるという話は聞く。だが、カーツ自身他国の事に興味などはないし持つ気もなく、ただ女性が軍人という手段を選ぶのが当然のようなこの国で、けれどもこの女はどこか存在が浮いているような気がしてならなかった。例えばちらりと認めた細い指先が、白いなと思ったりもするのだ。
「あら、褒めてくれるの。ありがとう。これでも私は、あなたがリーダーであるべきだとずっと考えているのだけど」席、良いかしらと彼女は言う。そういう挑戦的なことを平気で言う、金髪の女なのだ、と思うとどこか甘やかな香りが霧散するような気になり、カーツは前髪に隠された右の目で彼女を凝視していた。そのような物言いをするなという風な威圧を含めたものであったが、そうしてみるとふと、彼女が自分を見ていることに改めて気付いた。彼女は、確かに視ている。この俺を。
「あなた、珍しいものが好きなようね」
 ちらと視線を動かして再び微笑むさまに眉を僅かに動かすことで応じると、彼女は形良い唇をくいと曲げた。嘲笑、というものではない。どこか愉しげにすら見える。何より全く動じていない。人に見られることには慣れているのだろう、それがどのような視線であっても動じない胆力もある。
 彼女が微笑っただけで、どこか安堵しているようである自分自身に、カーツは内心で驚いた。が、それは先ほどの神経に触れた感覚に繋がっていた。
 そう、目立つような顔立ちではない。が、地味であることと美形であることは必ずしも同一ではないのだというように、その深い色の瞳やフェンデル人らしい白い肌やフェンデル人らしくはないプラチナブロンドはそこにあるだけで彼女という存在を主張していた。
「組織に名を付けないのは、まだそんな時ではないから。けれど私はその考えには賛成しかねるわ。だって、士気を上げることはこの国で戦うには必要なことでしょう」
「…何が、言いたい、ロベリア」
 あえて厳しく口早にその名を言うと、ロベリアははっと息を呑んだようだ。が、それは一瞬のことだった。ロベリアは、それを言うのがカーツという男であるからという理由で自分の名をカーツが知っていたことを納得したようだった。
「国を内側から変えたい。そういう事を言う男なら、もう少し性根が据わっていると思ったわ。それを私の勘違いだとは思いたくないし」