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夢轍 [4] 兵が夢の跡、鉛の空と銃弾2

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 事の発端は、この初老の男――道具屋の軒先を、哨戒任務中の治安維持警察が叩いた事に始まる。曰く、こんな冷える早朝に不穏分子から市民を守っているのだからウォッカの一瓶ぐらいは寄越せ、と銃剣を突きつけてきたという。営業時間外であり、かつ在庫もこの規制体制の下では無きに等しい。とはいえここで断れば、間違いなく無事では済まない、男がそう判断し商品棚を漁ろうとすると、何事かと起き出した息子が、親父に銃剣を突きつけている治安維持警察の姿にカっとなり飛び掛った。そのまま外に転がり出て取っ組み合いになっているところを、コンドラトらが見つけた、という。
 コンドラトらはカーツとの口論で激昂していた。カーツは唇を噛む、遠因が自分にもあるのだ。何故コンドラトの言葉にああも感情的になっていたのか、疲れていた、というだけでは済まされない。
「カーツさん、本当に……この国は、変わることが出来るんでしょうか?」
 息子の身を案じるよりも先に、初老の男はカーツにひたと視線を向けてきた。明け方の底冷えする空気の冷ややかさよりも、その強さと密やかに垣間見える覚悟がカーツの全身を貫いた。理不尽を嘆き、憎み、立ち向かう決意をした人間の顔だった。武器を持つことも出来ない、政府に抑圧され続け、それでも生きてゆくためには理不尽を飲み込まざるを得ない、だが人間の尊厳を失わないのだと言う気概が、そこに見えた。カーツは思わず姿勢を正し、敬礼をした。
「変わります。息子さんについては、我々で助けられるのであれば助けます」
 男は怪訝そうな顔ながら、頷く。いや、取り戻す。コンドラトや他の同志共々、彼の息子も取り戻さねばならない。
 石畳に落ちている血痕から判断しても、軽い傷では済んでいないだろう。マリクに相談すべきか否か。一瞬考え、そして打ち消す。危険を冒すのは一人でいい。もしこれで自分が逮捕されることがあったとしても、マリクがいればなんとでもなる。

 常に沈着にある参謀役が判断を違えたのは、蓄積された疲労と生臭い血の臭いがしてなのか。ロベリアの事か。友人マリクの様子がやはりどこかおかしいという漠然とした不安に駆られたものなのか。
 そもそも、疑ってしかるべきだった。人々が寝静まりきった早暁に、反乱分子が潜むとされている旅籠の側で、哨戒任務中の治安維持警察がわざとらしく行動を起こした理由を。
 わざわざ発砲までし、その痕跡を残したということを。
 明らかな誘い出しの罠だ。
 だが、だからと言って見殺しに出来るわけがない。人質を取られた、それを見殺しにすれば、それだけで市民の支持を失うだろう。それでは、全く意味を成さなくなる。何のための改革か、わからなくなる。あぁ、それに、旅籠の女将は伝えてくれているはずだ。マリクではなくともよい、同志に、俺が飛び出したと言うことを伝えている。堂々と反政府勢力に助力するような旅籠の女将だ。信じるも信じぬもない。
 灰色に囲まれた薄暗い街路を走る。息も大分上がってきた。風が徐々に強くなり、雪が混じる。それでも構わず走った。引きずったような血痕は続いたままで、生々しい赤黒い跡がゆるやかにカーツの中の希望を砕いてゆく。それでもカーツはコンドラトの無事を信じるしかなかった。信じながら、ひた走る。血痕は政府塔方面へと続いていた。
 建物の隙間に降りて来る風は、吹き溜まりで容易に向きを変える。向かい風が、次の瞬間追い風になる。白く凍りついた吐息に背中を押される感覚が、カーツの中の冷静さをまた一つ奪う。漠然と見えている何かは、眠りについていた約一時間の記憶の喪失に対する己の不甲斐なさを罵っているようだ。そうではない、そう叫びだす変わりにカーツは石畳を蹴る速度を上げる。政府塔前広場へは、こんなにも道のりがあったのか。漠然とした不安、不安と認識すらしていない感覚、ロベリアが隠していた事、マリクがロベリアの出自を聞いた瞬間一瞬だけ浮かべた苦悶の表情、あれはいい女だと酒場で談笑した記憶、士官候補生のくせに堂々と自分の理想を語りつきつけてきたコンドラトの若者らしい笑み、牢獄、単純な作業、予算がないのだとしたり顔で言う上官、忌々しい贅肉、ベラニックのかさついた土と埃の臭い、異国の吟遊詩人の言葉、記憶の断片が怒涛のように押し寄せては消え、消えたと思えば浮かんできた。すべて、幻のように現実感のない過去の記憶だ。夢の中で見ていた夢のような過去だ。なれば、こうして背中に触れる冷たさと息苦しさだけは現実のものだ。
 漸く視界が、開けた。


「カーツ・ベッセル元少尉。久しいな」
 辿り着いた先には、ずらりと揃い向けられた銃口。忘れもしない、贅肉が目立つ体躯は変わりなく、一層悪くなった顔色を強調するかのようにだらけた頬の肉と周囲の様子を伺う時だけはぎょろりと輝くような小物染みた目も変わらない、あの男。
 コートと帽子は治安維持警察のもので、カーツが見知るリジャールの制服とは違っていた。ということは、失脚したのだろうか。少なくとも、権威と格式に塗れている人間が出てくる場面ではない。そこで、そういえばあの試作品が手元にあったままだったという事を唐突に、思い出した。リジャール、元中将。その下らない欲のためにカーツを嵌めた男。下らない、それが例えば帝国の政に関すること、もっと言えば市民という存在に少しでも重きを置いたものであったとすれば、カーツはただおとなしく罰を受けただろう。そのような高潔さなど望むべくない俗欲に取り憑かれて権威だけがぶよぶよと肥えた男、今もこうして軍部にすがり付こうとする浅ましさ、何れも唾棄すべき下らなさだ。だから、仇敵という感覚も生憎カーツの中にはない。ただ広いだけの政府塔前広場を支配する緊張した静寂と同様に、先ほどまで様々な思考が錯綜していたカーツの内面は、水を打ったように静かになっている。
 罠だった。またしても嵌められた。そういう己の迂闊さを罵る気も、後悔する気もカーツの中には存在していない。あぁ、罠だった。俺はまた嵌められた。このまま死ぬのか、再び投獄されるのか。どちらでもよい、と思った。
 ただ、この大層下らない男を飼っている現政権に対する怒りだけは静けさの中でも確かに存在していて、カーツは知らぬうちに奥歯をかみ締めていた。
 視線の先に同志の姿を認めたのだから尚更である。治安警察に捕われているコンドラトは、肩口から夥しい血を流しぐったりとしている。が、時折動くことがあるので死んではいないのか。辛うじて、生きているのか。
 その隣には、無造作に放置されている死体があった。鉄の味が滲んだ唾を飲み込み、カーツは黙ったまま視線を移した。腹の底からの感情をもって睨みつけた所で、神経だけは図太い小物は気にした素振りすらなく、どころか尊大な態度で政府塔前の広場がまるで己の持ち物と言わんばかりに寒風に晒されている。
「無関係な市民を巻き添えにするのが、オイゲンのやり方か」
「その男は我々の任務を妨害した上に貴様ら反乱分子と結んでいたというではないか。ストラタ海賊がまた我々の領域を侵さんとするこの時期に、貴様らは内乱を起こそうとしている。それで得た対価とは、祖国に対する忠誠よりも重いのか」