ビター・トゥルー
「誰も、あんたたちも一緒に死ねばよかったなんて言ってないっ。だけど、それじゃあまりにハリードがかわいそうじゃない。ゲッシア王朝の治世がどんなのだったかは、あたしは知らないけど、ハリードはトルネードって称えられるほどに、ゲッシアのために命を賭けて戦ってたんでしょう? そりゃ王族としてあんたたちより暮らしは豪華だったかもしれないけど、王族には王族の、生まれながらにしての責任があったんじゃないの? 今のハリードにとって、その責任がきっと復讐なんだよ。なのに――」
「もう、たくさんです」
立ち上がりながら、吐き出すように女は言った。
「なにも知らないあなたが、偉そうなことばかり言わないで下さい。トルネード、その言葉のおかげで今、私たちがどれだけ肩身の狭い思いをしているか、想像もつかないのでしょう? この塔には様々な土地の人々が肩を寄せ合って暮らしています。確かにハリード様は強かった。昔は私たちもそのことを誇りに思っていました。けれど、名を諸国に轟かせるほど強いということは、それだけ多くの命を奪ったということなのですよ。現に、この塔の中にも身内をハリード様に殺されたという人がいるのです。ティベリウス様の細やかな配慮のおかげで、俗世の恨みをここで持ち出すことは禁じられていますが、それでもその人たちに会うと、言い様のない気持ちになるのです」
その言葉にエレンは激しい衝撃を受けた。
人としての正悪は、時代や背景によってまったく意味を異とする。
平和な世において人を殺すことは、まがうことのない悪であるが、戦場において、たくさん人を殺すことは輝かしい正義なのだ。その人間が偉人であるか狂人であるかは、第三者の判断にゆだねられている。
ハリードは間違っていたのだろうか。
王のために、国のために、人々のために戦っていたという考えは、すべて思い上がりだったのだろうか。
エレンは目を閉じて、息を整えなおした。
「分かった」
信者たちを見渡しながら立ち上がったエレンは、堂々と言った。
「でもあたしは信じる。ハリードは正しかったって。たとえ、世界中の人全部がハリードのしたことは悪いことだと判断しても、あたしだけはあたしの基準であの人の正しさを信じる」
仕立屋の娘は弱々しくうなずいた。
「分かりました。これ以上話し合っても分かり合えないだろうことが、残念です」
無言でエレンはうなずいた。そのまま踵を返そうとするのを、別の者が呼び止める。
「お待ち下さい。私たちがここにいることを、ハリード様には……」
「言わないわよ」
顔をそむけたまま、エレンは言った。言えるわけがない。命をかけて守ろうとした民が、ゲッシア王朝の保護より教団の保護下の方がよいと言っていたなど、ハリードに言えるわけがなかった。それならばまだ、裏切り者がいたと言う方がましだ。憎しみを他にぶつけることが出来るのだから。
信者たちに背を向けて歩き出したエレンだったが、やるせなさで胸がいっぱいだった。
頭では、仕方のないことだと分かっている。彼らも生きるために必死なのだ。
また、ハリードたち王族を悪人に仕立て上げることは、敗戦国ゲッシアの民の、悲しく卑屈な知恵であるということも分かった。
なぜなら、老女は最初、エレンと気づかないままファティーマ姫が生きていたと喜んだのだから。
のろのろと階段を上がっていると、
「浮かない顔つきだな」
と、聞き慣れた声が降りかかった。
「ハリード」