ハリー・ゴー・ラウンド②
ブラックスミスが目を覚ました時、隣にプリーストの姿は無かった。
一瞬感じた絶望的な孤独感は、しかし、いくつもの生活音と食欲をそそる匂いによって掻き消された。
ほんのりと壁をオレンジに染める光や忙しない足音、油のはねる音、狭い部屋の中間近に感じる人の体温と呼吸。
一人暮らしに慣れてはいても、慣れているからこそ、人の気配が何より嬉しく、また驚いた。
あまり良く無い夢を見た感覚はあるが、どんな内容だったかまでは覚えていない。
「あ、起きた。ネネカさーん、起きましたよー!」
「ちょっと待って、もうすぐ出来るわ〜!」
寝起きの彼にお構いなしの、男と女の大きな声。
声のする方に首をめぐらせると、ビスケット色の頭が見える。
見ていて面白いとは思えない仏頂面の男と暫く見詰め合い、ブラックスミスは掠れた声で呟いた。
「・・・・・・何でいるん?」
「うわ酷。いちゃ悪いっすか?」
自分達の心配も何のその、呆けた顔で自分を見詰める年上の男に安心半分呆れ半分で溜息を吐く。
ブラックスミスはのっそりと起き上がり、暫くぼんやりと部屋を見渡し何度も瞬きを繰り返した。
「えっ、えっ、あれ・・・なんで? 今何時?」
ようやく頭が働き出したのか、忙しなく首を振り目の前の男と台所の女を見比べる。
台所の女は長い蜜柑色の髪を結い上げ、狭い流し台を右に左に歩き回っていた。
「もう夜の8時っすよ。何かヴィヴィアンさん寝込んでるみたいだって、黒いプリさんが言ってたから。」
「起きた時に誰もいないんじゃ寂しいでしょ? 唯でさえ病人なんて心細いんだから。」
湯気を上げる大きな鍋を手に、ブラックスミスの女が顔を出す。
どんとテーブルの中央に置かれた鍋には、野菜も肉も一緒くたに煮込んだ彼女特製男勝りスープ。
女はいつのまに用意したのか大量のパンの持ったカゴを、男は皿とスプーンを配っていく。
「そのプリーストは? 帰った?」
首を伸ばせば玄関まで見通せる狭い宿の一室、彼は懸命にプリーストの姿を探す。
不揃いの黒いマグカップが二つ、流しに洗って被せてあった。
「俺らが来てすぐ帰りましたよ。あぁでも、それまでずっといてくれたみたいで。」
「一緒にご飯食べようって言ったんだけどねェ。」
自信作のスープとこんもり盛られたパンの山を前に、二人は困った様に笑った。
二人の言葉にブラックスミスは肩を落とし俯く。
寝ろと言われて本当に眠ってしまった自分が情けなく、また彼に申し訳が無いと。
「わざわざ来てくれたんだ・・・。」
そしてプリーストの行動と二人の好意に感謝しつつも、彼は気が気ではなかった。
余計な事を、とすら思った。
この二人は、もう一人の音信不通の男の元も尋ねて行ったのだろうか。
それとも、プリーストから何か聞いているのだろうか。
自ら切り出すには重すぎて、出来ればこのまま知らぬ振りをして逃げてしまいたいと。
「遅いなぁ・・・。」
ぼそりと呟くその声は、ビスケット色のブラックスミス。
はっとして顔を上げると、二人のブラックスミスが空の皿を前に時計を見上げている。
女がベッドの彼を振り返り、心配そうに首を傾げた。
「いつ頃帰ってくるの? カレラィは。」
小さなナイフを手に、二人は呆然と固まっていた。
彼等の友が作り、彼等に渡したナイフ。
ある筈の友の銘は、そこには無かった。
「二人で作ったナイフは? カレラィの名前残ってたじゃない。」
「あれは・・・銘入れの儀式は、二人でやったから。」
多分、とブラックスミスは付け足し俯いた。
まん丸に目を見開き、すぐに歪んだ二人の顔を、冷めたもう一人の自分が観察している様だった。
「は・・・そんなバカな。そんな急に死ぬ訳ないでしょ。何言ってんの?」
「変な冗談やめて下さいよ。縁起悪い。」
頬を引き攣らせ、二人は下手な笑いを浮かべる。
自分と同じ反応だと、帽子の彼は妙な共感を覚えた。
「ナイフを届けてくれたプリーストが、炭鉱で見つけたって。蘇生、出来なかったって。
だから、プロの東の墓地に埋めてくれた。」
プリーストの言葉を切り取り、簡潔に説明する。
腹話術で別の誰かが喋っている様な感覚だった。
突然彼女は勢い良く立ち上がり、部屋を出て行った。
戸が壁にぶつかる大きな音、そして、耳に痛い程の静寂。
窓から聞こえた遠ざかる足音に、ビスケット色のブラックスミスははっと我に返り彼女の後を追う。
帽子のブラックスミスはベッドの上ぽつんと一人取り残され、暫く呆然と玄関を見詰めていた。
やがてのらりくらりと、虚ろな表情のまま彼等の後を追った。
作品名:ハリー・ゴー・ラウンド② 作家名:335