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刀語 第四話 薄刀『針』再現

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 間合いを自在に操る妙技『速遅剣』もこの現象を応用しているであろうことは想像に難くない。
 錆白兵の奥の手、限定奥義『薄刀開眼』もその現象によるものかというと――決してそうではない。
 刀の振りによって真空が生じるというのは今しがたも言ったとおり、あまりに速く動いた刀が空気を押しのけ、取り払うことだ。
 ならば――その刀に、厚みがなければ。
 空気を取り払うこともできないほどに、押しのけることもできないほどに、その刀が薄ければ――
 最早存在を疑うほどに、その刀が薄ければ――
 果たして何が起きるのだろうか?
 
 切り裂かれた空間が――ずれるのである。
 
 そしてずれた空間は戻ろうとする。
 ずれた地盤が戻ろうとするとき、地震が起こり、その接面にマグマが生じるように。
 空間が戻るとき、真空とは比べ物にならないほどの衝撃波が生じるのだ。
「そうやって発生した衝撃波とともに、相手に斬りかかる……地表を砕くほどの威力を持ったその一撃は、受けることなど不可能で、避けることも困難だ。いかな怪力を持つ者でも生み出せぬ究極の剛の剣……これが限定奥義『薄刀開眼』か!」
 無論、薄刀を振れば即この技が発生するわけではない。
 空間と刀身が、常に平行になるように振りぬかなくてはならない。そうしなければ、空間はずれずに真空が生じ、ただの凡庸な技と化すだろう。
 基本的に円運動によって構成される腕の振りを、むりやり平行に保つというのがまず至難の業である。加えて、その動きを真空を生み出すほどの高速で行うのだ。
 最早――人の成せる技ではない。
 錆白兵。その並外れた剣の才に、とがめは今更ながら背筋の震えを禁じえないのであった。


 限定奥義『薄刀開眼』によって巻き上げられた大小様々な地盤の破片。
 それは小石ほどの物もあれば、人の丈を遥かに越える巨岩さえもある。
 そんな大量に降り注ぐ石の雨の中を、七花は走っていた。
 降り注ぐその岩たちを足場に、上へと――天へと!
 まるで木々から木々へと飛び移るむささびのように、錆白兵のいるであろう上空へと駆け上がっていた。
 限定奥義『薄刀開眼』。
 時を同じくしてとがめを驚嘆たらしめているこの技を七花が回避できたのは、しかし幸運や偶然などに依るものではない。
 かといって、七花が『薄刀開眼』の正体を完全に把握し、かわしきったのかというと、それも不適切だ。七花には未だ『薄刀開眼』の正体すら見えていない。
 では何故彼はあの爆砕をかわしきれたのか?
 それはひとえに、恐怖によるものである。
 錆白兵が跳躍を敢行したとき、上空にて剣を振るう彼の姿を確認したとき、七花の心中に芽生えたのは、とがめのような疑惑ではない。
 その胸中を支配したのは、恐怖。
 何かが来る。自分を殺す何かが来る、と。
 速くなった鼓動が、噴出した冷や汗が、背筋から這い拠る悪寒が――七花に命の危機を悟らせたのだ。
 開戦前の際に、とがめがいった。
「そなたも剣士であるならば、緊張を逆に飼い慣らしてやるがよい」と。
 七花は、恐怖を飼い慣らした。
 戦うにおいて、生きるにおいて。
 最も鋭敏で緻密なその感覚を、獲得したのである。
 四季崎記紀の刀が一つ、虚刀『鑢』。
 その一振りの刀は、完成に向けて――完了に向けて――
 またひとつ大きく歩を進めたのだった。

(――来る! 奴が来る!)
 上空高くまで上り詰めた七花の全身を、とある予感が疾走する。
 手に入れたばかりの恐怖という感情、感覚を七花はすでに使いこなしていた。
 右斜め後方――五間ほどの距離。その先に彼はいる。
 薄く靄がかった土煙を、その身の勢いで掻き分けながら、七花に向かって突貫してくる彼を、目で見なくとも肌で感じ取れる。
「虚刀流奥義――『花鳥風月』!」
 体を半身に構える、虚刀流二の構え『水仙』。そこから繰り出される抜き手『花鳥風月』は前と後ろ、両方への迎撃が可能である。本来は挟撃を仕掛けてきた相手に用いる二対一用の奥義ではあるが……背後への迎撃手段としてもそれは非常に効果的だ。
「『逆転夢斬』!」
 だがその奥義も、錆白兵の妙技『逆転夢斬』に見事に受けられる。人の身体を貫けるほどの威力を有したその抜き手を完全に受けられても、しかし七花に焦りは微塵もなかった。
「派生――『桔梗』!」
「――何っ!」
 自分の抜き手が受け止められることが分かっていたとばかりに、七花は組み技『桔梗』への派生を試みる。いや、事実七花には分かっていたのだ。
 錆白兵ならば――彼ならば必ず自分の技を受けきる――と!
 そんな信頼にも似た未来予測が、錆の反応をほんの少し凌駕した。
 七花の腕が、細くしなやかな錆の右腕を掴む。
(とった!)
 刀を折らぬように注意を払いながら、そのまま肩と肘を極めようとする七花。だがしかし――薄刀『針』はすでに錆の右手にはなかった。
 ぽおん、と。
 薄刀『針』は宙に舞う。
 右手をとられようとしたその刹那。錆白兵は刀を中へと放り投げていたのだ。
 その刀を、空いていた左手で掴む。
「『薄刀開眼』」
 七花が右手を極めるよりも早く、空気が刀を阻むよりも速く、錆の剣閃は空間を斬り裂く。
「ちぃっ!」
 技の発動を確信した七花は右手を諦め、錆の腹を蹴りだし、その場から飛び去る。
 七花が錆の元を離れた次の瞬間、七花のいた場所を轟音と旋風が通り過ぎた。
 先に着地した七花は、錆白兵の着地地点へ、息をつかずに駆け出す。
「虚刀流『百合』!」
 走る勢いをそのままに、高速の胴回し回転蹴りを、錆の着地に合わせるように――放つ!
 ――が、しかし。蹴りが届く一瞬前に着地を決めた錆白兵は、その蹴りを回避する。
 経験による未来予知。『刃取り』である。
 だが、その蹴りがかわされることは、七花も承知の上だ。技後の硬直を上書きするかのように次々に技を重ねていく。
「――っ『鷺草』から『銀杏』まで、打撃技混成接続!」
 身体の限界を超えた動作に、各所がぎしぎしと軋み、悲鳴をあげる。
 だが――決して退くことはできない! 後退に勝利はない!
(攻め――きれっ!)
「まだ……踏み込みが甘い!」
 七花の連続打撃のわずかな隙を逃さず『爆縮地』による後退を敢行する錆白兵。七花もすぐに体勢を立て直し、後を追うが――その一瞬は刀を鞘に納めるには十分な時間だった。
(居合いかっ!)
 圧倒的な経験に支えられた、避けられない居合い『一揆刀銭』。
 決して速くはないその抜刀が――七花の腹部に吸い込まれるように――
「うおおぉおぉ!」
 七花の脇腹を、皮一枚だけかすっていった。
 まさに紙一重。
 見切ってかわしたのではない。限界まで逃げるようにかわして、それで紙一重だったのだ。
(ぎりぎりだった! それでも――かわしたぞっ!)
 鑢七花と錆白兵。
 この二人の間に開く圧倒的な経験の差は、この戦いをとおして急激に縮まりつつあった。
 経験の薄い七花が――経験の塊とすら言える錆の剣に触れて。
 虚刀『鑢』は大幅な成長を果たしつつあった。
「まったく……とんでもない原石にござるな……」