ブロークン・ウイング
火あぶりの刑となった天文学者の予言通り、三度目の死食が世界を襲い、死食の定めと飢饉によって、多くの命が失われた。食料を求める人々の蜂起によって国倉や、貴族、商人たちの蔵が襲われ、被害はまたたくまに拡大した。
メッサーナ国主アルバート王はそれらをすべて国賊とみなし、自ら軍を率いて討伐に当たったが、翌年、遠征中に病にかかり、高熱の末あっけない最期を遂げた。
聖王十二将の一人、メッサーナ国王パウルスが、部下のアウレリウスを後継者として養子に向かえた事から、代々のメッサーナ王は有能な者を後継者として養子に迎え、王の死後、その者が王位を継ぐのが慣習となっていた。
どの時代にも一時的な混乱はあったものの、メッサーナ王国はこの養子相続制度にて、平和と繁栄を維持した。
しかしアルバート王はそれをしなかった。彼は教養があり、思慮深い人物であったが、猜疑心が強く、決断力に欠けるところがあった。死食時の災害などにより次期後継者の選出が急がれたが、人々の救済や一揆の鎮静などの国務に手を取られ、使命感に追いたてられるように王は親征した。次期メッサーナ王に最有力視されていたのが、名門クラウディウス家の当主であり、近衛兵団長を務めるクレメンスであったというが、アルバート王は、死の間際に宰相宛ての遺言状を託すのみで、その生涯を閉じた。人々はこれを、死食を虚言とみなされ火あぶりになった天文学者の呪いであるとひそやかにささやいた。
法に従って宰相が王の遺言通りに次期後継者を発表した。人々の予想を裏切ってそこに書かれていたのは、粗暴な行動を広く知られていた宰相の嫡子であったことから、後に残された前メッサーナ王妃は不審を抱き、その遺言状が宰相の手によって偽造された物であると証言した。これが王座を巡る争いの火種となった。
十年近く続いた長い内乱の後、近衛軍団として王室を擁護しながら各地の軍団を統御したクレメンスによって、ようやく戦乱の世が終わると王国中の誰もが思ったその時、それまで沈黙を続けていたリブロフ軍が突如、ルートヴィッヒというまだ若い男を擁立して戦いを挑んだ。
ヨルド海とトリオール海を結ぶ海峡を越えてマイカン半島の南に上陸し、海辺に位置する砦をたちまちのうちに占拠したリブロフ軍は、急を聞いて駆けつけた近衛兵団とピドナ郊外で対峙したが、圧倒的な兵力の差でたちまち撤退を余儀なくされた。朝から始まった王座争奪戦は昼過ぎには近衛兵団の圧勝による決着が着き、リブロフ軍は砦に逃げ込み固く門を閉ざした。
十年にわたる戦いの終焉に凱歌を上げた近衛兵団であったが、クレメンスはこれを押し止めた。なぜなら、ルートヴィッヒが指揮するリブロフ軍は、篭城の構えを見せたのだ。
クレメンスは厳重な構えで砦を取り囲んだ上で、ルートヴィッヒへ降伏の勧告を出すと同時に、今後の動向を探るため見張りの強化を命じた。
作品名:ブロークン・ウイング 作家名:しなち