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二月某日十六時二十分 世は総てこともなし……たぶん

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 やっと話を聞いてもらえる雰囲気になった、と。そう安堵したのか、少年の表情が少し穏やかになる。騒ぎになってしまい申し訳ありませんでしたと、彼はひとまず頭を下げた。その後、眉を寄せ、自らと同じようにつかまっている和装とガスマスクを見る。
「――その――ええ、連れと一緒に歩いていたら、いきなり切りつけられて……」
「知り合いかね?」
 困ったような表情で、王子さまは首を横にふる。ふむ、と。彼の礼儀正しいさまにだろう、警備員は小さく頷いた。そして、連れとは誰かと尋ねる。
「あ、はい。皆守さん!」
 王子さまは表情を明るくし、そう呼び掛けて手をふった。少し離れた場所でつかまっていた癖毛の少年が、こちらを見て小さく頷く。 
「怪我はありませんか?」
「――」
 大丈夫ですか? と。明るい表情で尋ねる彼に対し、少年は短く答え、口元を緩める。そのさまに、彼はほっとしたような笑顔を見せた。
 いくらかのやりとりのあと、向うの警備員もまた頷いた。そして、こちらにむかって合図をする。
「彼らは巻き込まれただけのようだな」
 そう言って、警備員たちは二人の少年を解放した。よかった、と。胸をなでおろす魔留稚の前で、警備員たちは疑って悪かったねと一応程度の謝罪をする。待ちきれないかのような表情で、王子さまは連れの元へと小走りにかけよっていった。
「あー、なんだ。まあ、君たちが悪くないのはわかった。だが、もうすぐ閉園の時間だ」
 魔留稚と少年たちを見比べながら、警備員がそう口にした。少年たちはコスプレをしていないと見て取ったのだろう。警備員は魔留稚に向かってだけ、更衣室が閉まるから早く着替えるようにと言う。
「折角の遊園地だというのに災難だったな。――まったく、あれが切れる若者というんだか何なんだか」
 呆れたように首をふり、警備員とスタッフは和装とガスマスクを連れ立ち去っていった。短いやりとりの後、少年たちもまたこの場から去ろうとする。
 イベントは終わりだ。この機会を逃せば、王子さま――もとい、彼らに会うことはできなくなるかもしれない。必死の思いにつき動かされ、魔留稚は足を踏みだした。
「あの、あの――待ってください。その、守ってくれてありがとうございました!」
 コスプレのキャラが乗り移ったみたいな一生懸命で、魔留稚はぺこりと頭を下げた。王子さまは穏やかな笑みで、怪我がなくてよかったと彼女に頷きかける。その笑顔に勇気づけられ、少女は次の言葉を口にした。
「ご、ご迷惑でなければ、お名前とメールアドレスを教えていただけませんか? その、後日お礼を……あの、もし! 時間がおありでしたら今からお茶でもご一緒しませんか? ええと、あ、私は――」
 必死の思いで少女はそう口にする。相手は初対面で、名前も年も知らない相手だ。同じコスプレイヤー相手だって、もう少し親しくしてから声をかけるだろう。
 案の定、王子さまは困惑の表情で連れを見上げた。連れの方は、興味なさげに視線をそらしている。魔留稚の方すら見ない。
 先ほどの彼の笑顔や王子さまのほっとした様子を思い出し、魔留稚はぎゅっと心臓を掴まれたような気がした。王子さまが口にするのは、きっと申し訳ないけれどという丁寧な断り文句だ。そうにちがいない。そうでなければいけない。
「――連れがいるので」
 予想通りだった。それでも魔留稚は相方を探し、手をふる。
「あ、の、もしよければその――連れの方も一緒に。あ、こっちも、友達が」
 どうにかして、どうにかして彼――いや、彼らとのつながりを保ちたい。そんな思いにつき動かされてのことだった。
「どうですかぁ」
 悪あがきだと思いながらも、彼女は笑みを浮かべ、彼らを見上げる。
 視界の隅で、くせ毛の少年が軽く王子さまを小突いていた。そっぽを向きながらも渋い表情を隠さぬ彼に、王子さまは彼女らに向けるのとは別種の笑みを口元に浮かべている。
 鼓動が一つとんだ。顔が熱くなる。これは、もしかしてこれは本当に――。
「申し訳ありません。これから、彼と予定があるので」
 ご一緒はできません、と。礼儀正しく断りを入れる王子さま。ほんの小さな動作で頷く連れの少年。それでいい、と。満足そうだ。
 予測があっているかどうかなどどうでもいい。魔留稚は思わず傍らに近づいてきていた相方の手をとった。相方もまたぎゅっと握りかえしてくる。ああ、さすが相方だ。知り合って二年足らずとはいえ、肝心なところでぴったりと息があう。普段の好みはそんなでもないのに!
 思わず漏れた歓喜の叫びに、彼らは驚いたような表情をした。終始にこやかな王子さまと、ぶすくれてそっぽをむいていたその連れ。初めて彼らの表情がそろう。やばい可愛い! 少女たちの心の中を怒涛のような妄想絵巻が流れ始める。
 ご一緒したい。できればこの二人一組と! せめてメル友。マジあり得ない。三次は惨事とか言うヲタクども、見よこの萌えの顕現!
 肉食系女子ここに降臨、と。彼女らがけいけいと目を輝かせたその時、あたりに爆音が響き渡った。

*

 としまえんでのコスプレイベントから一週間後。ベッドに積み上げた戦利品を崩すもそこそこに、魔留稚はお古のノートパソコンをのぞきこんでいた。無線LANが導入され、自室でインターネット接続が可能になったのはほんのしばらく前のことだ。なんて快適なのだろうと、メッセの画面を立ち上げるたびに思う。
「だよねー。なんか爆発したとこまではおぼえてるんだけど」
 必要に迫られておぼえたタッチタイプでそう打ち込むと、彼女は大きくためいきをついた。
 たのしいコスイベの最後に発生した銃乱射および真剣ふりまわし事件、助けてくれた王子さま、そして爆音。気づいたときには、夕飯の食卓だった。今日はいらないんじゃなかったのかと母親に尋ねられ、ええとなんでここにいるのだろうと首をかしげる。新しく知り合った面々はともかく、相方との楽しい(いつもの)お茶会もなく帰ってきたらしい。
 あれはやっぱり、なりきりがすぎてヒートアップした馬鹿がひきおこした事件だったのだろうか? 本物の銃が乱射されたならば、新聞の三面記事を飾っていてもおかしくないのではないかと思う。
 次の日も、もちろんその次の日も、そんな記事が掲載されることはなかった。全紙を確かめるほどの気力はなかったが、少なくとも自宅でとっているヨミウリで見つけることはできなかった。
「……うーん……」
 ごろりと転がり目を閉じる。大丈夫ですかと気づかわしげに尋ねてくる口調。よかったと言って浮かべたさわやかな笑み。何者だったんだろうなあ、と。口に出してつぶやいてから、再度画面を見る。
「……何者だったんだろうね」
 まさに自らがつぶやいたのと同じ言葉が画面に表示されていて、少女はくすりと笑った。さすが相方。
「サイトもちならねー。まだ」
「ていうかー。それ以前に、彼らってコスじゃなかったよね」
「もう、閉園だったっしょ?」
 自分たちも着替えに行く直前だったではないか、と。さりげなく相方の言葉を当たり前と流しつつも、少女の胸は高鳴っていた。そう。彼らはごく普通のコート姿だった。