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二月某日十六時二十分 世は総てこともなし……たぶん

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 不機嫌そうな癖毛の少年と、それを仕方ないなとでも言いたげに見守る王子さま。まあ、と。画面にはあいまいな返事が表示されている。
「男二人で遊園地とかなくない?」
 女の子二人でディズニーというならばともかく。コスイベ参加者ならばともかく。相方の言葉は、そのまま魔留稚の思いだった。
 ADSL回線を通し、互いの意見(ようす)を伺いあう。表情も何も見えないメッセンジャーの画面だが、相手の息遣いまでもがわかるような気がした。
 ちかちかとカーソルだけが瞬いている。
「……これから彼と予定があるのでって、どんな予定かなー」
 少し大胆すぎただろうか? 自らが送信したメッセージを睨みながら、魔留稚は考えた。ごはん食べにいくとかじゃないのー? と。相方からすげない言葉が返ってくる。
「敬語ってお育ちかな」
 だが。次に続いた相方の言葉は、明らかに彼女と同じ思いを抱くもののそれだ。にんまりと魔留稚は口元をゆがめた。そりゃあそうだ。彼女は自分と同時に、彼らのさまに黄色い声を上げて感動した同士なのだ。もう、遠慮する必要はないだろう。
「先輩後輩?」
「下克上」
「むしろおしおき」
 単語が乱舞するメッセの画面に、魔留稚は枕を抱えてじたばたと暴れた。やばい。これはやばすぎる。
「デートだよねデート!」
「そこに逆ナン? やっば、アンタめっちゃお邪魔虫じゃーん」
「wwwwwwwwだって、お礼言わなきゃでしょー? てか、わかんないってばー」
「何不機嫌になっているんですか、とかって」
「やだも、やだも、ごっめーんみたいなぁ?」
 結婚してください、二人が! そう打ち込んできゃあと奇声を上げた瞬間、隣の壁がドンと鳴る。兄だろう。ごめんと言い返して、再度画面を見る。
「ちょ、おまおれwwwwwwやーもー、惨事萌えとかしんじらんなーい。やだー、もう、今日は楽しかったです……。……帰るのか? とか、やってたら丼でいけるよね!」
「あんな女にいい顔しやがってって、遊園地の後」
「魔留稚ちゃんえっちー」
「何もいってませぇん」
 ぐふぐふ笑いながら転がっていると、再度壁が鳴る。今度は、うるさいなと返した。ふと、彼女は崩れた戦利品の中にカラーのチラシを見出した。そういえば、と。それをひっこぬき、眺めてみる。大丈夫かなと思いながら、ブラウザをたちあげ、提示されているURLを打ち込んだ。
「……ねえ」
 相方の妄想が乱舞している画面に、魔留稚は慎重にその言葉を打ち込んだ。今度のオリジナルオンリー申込締切までまだあるみたいなんだけど、と。
 妄想を垂れ流していたカーソルが、ぴたりと沈黙する。固唾を呑んで、彼女はそれが動くのを待った。



 季節は初夏から夏へと変わろうとしていた。照りかえしという単語をそういえばと思い出す道路を歩いた後の境内の緑は、身体だけでなく心にも優しい。とはいえ、ここは東京都の一角であり山林の中の遊歩道ではない。十分ににじみ始めた汗を拭いさるとまではいかぬ程度の距離で、緋勇龍麻は目的地へとたどり着いた。
 平成の世の中から切り取られたみたいな家屋の玄関で、彼は呼び鈴を鳴らした。インターフォンというよりは、やはり呼び鈴だな、と。そう思いながら家人の応答を待っていると、待つほどのこともなく、和風美人が出てきて扉を開ける。お久しぶりです龍麻様、と。微笑む顔に、彼は預かりものの紙袋とケーキの箱を差し出した。
「――使い走りのようなことをさせてしまって、申し訳ありませんでした」
 手土産を受け取り、和風美人――織部雛乃は恐縮した様子で頭を下げる。お上がりになりますね? という問いに頷き、緋勇は彼女の先導に従い、居間へとお邪魔した。
 いつものことですから、と。出された茶を一口味わってから、彼はそう言って笑う。ありがとうございますと再度口にし、雛乃は受け取った紙袋をのぞきこんだ。
「出しちゃえば?」
「ですが」
「今更」
 そもそも詰めるときにも傍にいた、と。そう言って笑う緋勇に対し、小さく苦笑すると雛乃は紙袋の中身をちゃぶ台の上につみあげる。二十冊程度の分量がある。二センチ近い厚みを持つものもあるが、大半は五ミリ程度の薄い冊子だ。一枚だけ、A4サイズのそっけないプリントアウトがあった。
 真剣な顔つきでプリントアウトをチェックし、時折冊子の表紙を改める姿を、緋勇は入れてもらった茶に口をつけつつ穏やかに見守った。
「――失礼」
 不意に、彼はその中の一冊に手を伸ばした。どうしたのかと驚いたような表情で、雛乃が顔をあげた。
 緋勇が手にとったのは、A5サイズの地味な小冊子だった。薄紫のでこぼこした紙に、モノクロ印刷でタイトルと表紙絵が印刷されている。少し時代遅れのタッチで、不機嫌そうな少年と、それを見守る眼鏡の少年の姿が描かれていた。
 しばらくおいてから、彼女はどうなさったのですかと尋ねた。
「ううん。――なんかどっかで見た感じだなーって思って」
 知り合いに似てるような、そうでもないような、と。そうつぶやいて緋勇は首をひねる。
「そうですの?」
 中を見ていいかの問いに、龍麻様でしたらと雛乃は頷く。
 オリジナルか、と。そう言って、ぱらぱらと彼はページをめくった。
「……先輩後輩ものかー。女の子って、ディズニー好きだよねぇ」
 小説と漫画の二人誌だった。どちらもわりと手慣れていて危うさが少ない。表紙から受ける印象の通り、突出した派手さはなく、漫画の背景も真っ白だが、素人作としてはまずまずの安定感だった。
「お持ちになりますか?」
「え、でも、まだ読んでないでしょ持ち主」
「戦利品はまだありますもの」
 緋勇は雛乃の手元の冊子の山を見た。二十冊を超える分量は、文庫本などに比べればあっさり読めてしまうとはいえ、しばらくはもつだろう。そうあたりをつけた緋勇が、じゃあ、ちょっとお借りしようかなぁと言ったところで、ただいまの声があった。おやと口にするほどの間もなく、ポニーテールの女性がばたばたと部屋に駆け込んでくる。
「ただいま雛乃。よう龍麻久しぶり! って、何見てるんだ?」
 はしたないと嗜める雛乃の言葉も気にする様子を見せず、雪乃はちゃぶ台の上を覗き込む。
「姉さま」
 少し強い調子で、雛乃はそう口にした。思わず、伸ばそうとしていた手を止める雪乃に対し、にっこりと笑いかける。
「龍麻さまが、ル・パティシエ・タカギのケーキを持ってきてくださいました。もしよろしければ、紅茶をいれていただけませんか」
 お好きでしょう? ですから手をつけずにお待ちしていたんですよ、と。にこやかな雛乃にどこか気圧されたような表情で、雪乃は頷く。
「――いいけど。で、お前ら何を見……」
 それでも、彼らがみていたものが気になるのだろう。ちらちらと視線はちゃぶ台の上をさまよっている。
「紅茶は姉さまの方がお上手なんですの」
 頓着する様子なく、雛乃はそう龍麻に告げる。ええと、と。雪乃に答えるべきか、いや雛乃はないことにしろと告げている、と。曖昧な笑みを浮かべたまま、龍麻はそうなんだと頷く。問いを無視された形になった雪乃の眉が、情けない八の字を描いた。
「……今すぐ?」