ここで生きていく
その子はひらひらと振っていたので、Nはその手を握った。
「待ってくれ! 君はなぜ僕を助けたんだ!?」
「……はぁ?」
その言葉に顔を引き攣らせた彼女と、必死な表情のN。
「目の前で怪我しそうな人がいたら助けようとするのは普通じゃないの? それともあんたは、鬼畜なの?」
Nの顔に指を突きつけて彼女は言う。今まで彼に指を突きつけ、あんた呼ばわりする人はいなかったので、少し新鮮だったが嬉しいものではない。その指を払うと、彼女は口角を曲げて笑った。
「人が人を助けるのは当然だし、ポケモンを助けるのも当然だよ。たまにそれをしない人もいるけど、私は違う。ただそれだけ」
「……信じられない」
「あんたがどんな環境だったかは知らないけど、あんたの価値観だけで全てを決めるのは勿体ない気がするけどな」
そして彼女は名を名乗った。
「私はトウコ。君は?」
「N」
「ふぅん。ま、君の価値観の一つに私の意見を入れておいてくれ給え」
偉そうに言うと、今度こそ手を振って歩き去った。それをNは見つめていたが、自分のすることに他人の意見は必要ないのだと思うと、トウコに言われたことを忘れることにした。
そして、トウコとNは再び会うことは二度と無かった。
余談ではあるが、この後Nと『トウヤ』が初めて会うことになるのだが、それは別の話。
プラズマ団の誕生、そしてNが英雄になるための道を歩み出したのは、この日のことだった。黒にも白にも染まらない少年と、英雄を目指す青年。その二人の物語に、少年と同じく白でも黒でもない少女が存在したことを、それから先Nは二度と思い出すことが無かった。なぜならば、Nにとって『トウコ』という少女は、予想外の人であり、同時に忘れるべき存在だったからだ。もしこの世に神様がいるのだとして、この先の物語全てを知っていたとすれば、Nとトウコの出会いは物語を変えてしまうことだった。
ゆえに、お互いに存在を忘れることは、きっと『決められたこと』だったのだ。
二人は同じレールを決して歩かない。
トウコの旅は自由気まま、思いつくまま、だ。だけど、そこには神様という存在の介入があったようにしか思えない偶然が重なることになる。
例えば『同じ街にいてもすれ違う事すらない』
トウコとトウヤは同じ場所にいても、後姿すら見ることは無い。同じレストランにいても姿を見ることが無く、その偶然は神の介入と表現するのが正しい程だ。名前を聞くことも無い。だけれど、他人とは思えないほどに二人の名前は似ていたし、同じ年齢だった。それは、神様が片方を『予備』として生み出したと思うのがしっくりくる程の偶然。その偶然を『神の介入』と呼ぶのは、恐ろしい程合っていた。
神様はいつも人を見ている。
ピースを一つ一つ合わせて行き、完璧な作品に仕上がるように。
人の人生、人の出会い、ポケモンとの出会い――全てを神様は『完成品』に近づけるために見続けている。神様の趣味は、仕事は、そのピースを完全にし、パズルを完成させること。それを失敗することは許されない。故に、神様は介入をし、完成した作品は飾る。完成してしまった物語は二度と元に戻せない。
がしゃん、と落として壊れてしまわない限り。
『ピ――――』
「……ああ、壊れてしまった」
パズルを前に神は呟く。
壊れたパズル。再び『完成』させなければ、と。
「ぁ……!」
嫌な夢を見て彼女は起きた。トウコが見た夢は、起きてすぐに忘れてしまったものだけど『見てはいけない』夢だったような気がした。ケホケホ、と咳をして、水を飲むと、額を流れていた汗を拭いた。
トウコは基本ポケモンセンターに泊まらない。回復は頼むが、野宿をすることを選ぶ。それは、ポケモンの本来の『警戒心』を失わせない為だった。ポケモンセンター、人の住む場所に慣れてしまったポケモンは、急な行動をできないことがある。このように外で寝ることで、ポケモンと自分の警戒心を鍛えるのが彼女の方針だった。
「おはよう、ラッタ」
カントー時代から世話になっているラッタは、初めてのポケモンだ。四天王にも一緒に挑戦したパートナーは、所謂『廃人』にはあまり良い目をされなかった。初心者向けであまり強いとは思われないラッタをいつまでも連れているトレーナーとして少し馬鹿にされていて、それを見返すように勝負をし続けていた。
彼女は廃人を好んでいない。
廃人が強いのは認めているけれど、強いポケモンを求めて自分のパートナーを見捨てる廃人がいることを知っているからだ。仲良くなった廃人にラッタよりも別のポケモンを育てたほうが効率的だと言われた時、頭に血が昇って酷いことを言ってしまい、それ以降その廃人と会うことは無かった。
「ご飯食べようか!」
寝袋をたたんで、彼女はボールからポケモンたちを出した。
既に出ているラッタ。ムクホーク。キレイハナ。マグカルゴ。ミロカロス。全て違う地方のポケモンで、イッシュでポケモンを捕まえていなかった。それぞれのポケモンにフードをあげながら彼女は考える。
そろそろイッシュでポケモンを捕まえても良い頃合いではないだろうか。
ホウエンやシンオウでもポケモンを捕まえていたのに、イッシュではまだ。これは珍しいことだ。草むらには入っているし、ポケモンに出会っているのに、捕まえていない。
「炎、水、草、飛行、基(ノーマル)といるからなあ……悪、念(エスパー)、格闘……どの子がいいかな?」
別にすべて別タイプにしようとは考えていない。もし惹かれたならば、草でも炎でも良いと思っている。ただ、別のにしよう、と考えてしまうのはトレーナーだからだろうか。丁寧に口に運んでいくキレイハナを見ながら、思い出す。キレイハナだけではなく、皆との出会いを。
心惹かれて、これまで一緒にいるのだ。
六匹目の子も、同じように惹かれる子でありたい、と願う。
「強くなくていいの。君たちと旅ができればね」
彼女が旅を続けるのは、どの地方に長くいたとしても『違う』と告げるのだ。
居場所を探して彼女はこのイッシュまでやってきた。
「随分と遠くまでやってきたよね、ラッタ」
彼女の両親は健在だが、彼女は家に帰るつもりが無く、ずっと放浪している。カントー、ジョウト、どんな場所に来ても心に穴がある。それを埋めるように旅を続けていたら『アスラトレーナー』という地位になってしまったけれど、本当は『居場所』が欲しいだけなのだ。
「今更家に帰れないよ……」
彼女の家は『お金持ち』と表現できる裕福な家だった。両親は仲良しだし、今でも仲良しであろう。その幸せの空間で過ごしている時、確かに幸せだったけれど、どこか違う、という感情が生まれた。ここにいては死んでしまうような痛みが生じた時、彼女は旅立った。カントーを、ジョウトを、ホウエンを、そしてシンオウを。
いくつもの地方を行くが、満たされない。どこに行っても『違う』と告げて、違う地方へ。きっとイッシュも同じで、旅をするだけ無駄なのかもしれないけれど、それでも旅をする。
両親の番号は登録しなかった。
二度とカントーへ戻るつもりは無かったから。