ここで生きていく
「もう帰らない……私は、私の場所を見つける……と決めたから」
泣きたいほど寂しい日はあった。だけど、帰らないと決めることで、その寂しさを封じた。帰る道を失くし、ただ前に進むことだけが彼女の『道』だった。後ろは振り向かず、前だけを見る。ポジティブに生きることが彼女の取り柄だ。
「さあ! そんなグダグダしていても始まらない! 次の街に行くよ!」
森を抜けた先の街。橋を通り抜けた先。そこには、ヒウンという街がある。
「ヒウンにはね、ヒウンアイスって美味しいアイスがあるんだって!」
そう言うと飛び跳ねたのは食いしん坊のラッタだった。誰に似たのか、食いしん坊に育ってしまい、一時期太って動きが鈍くなったことがあるので、できるだけおやつは制限しているのだが、アイスと聞いて目を輝かせてきた。
「ラッタ、あんたは少し我慢しろ」
あからさまに落ち込むラッタに、はぁと息を吐いて仕方ないように呟いた。
「……キレイハナと半分こしなさい」
こうやって甘やかしてしまうのが悪いと思いながらも、ポケモンたちに厳しく当たれないのが彼女の長所であり短所だった。で、ありながらも、ポケモンとのコンビネーションは良いのだから、それは信頼されているし、信頼しているのだろう。
「じゃ、みんな戻って! 目的地はヒウン! そしてヒウンアイス、ってね」
朝食の木の実を食べると甘い味が広がる。
「甘いなあ……」
彼女の態度も、そして果実も甘い。
「はいはい、ヒウンアイスも多分甘いよー」
ボールで暴れるラッタに彼女はそう言って笑った。
「ゲーチス。チャンピオンになるにはジムリーダーというのを倒さないといけないらしい。でも、ポケモンを解放する僕たちが、ポケモンを闘わせる施設に挑戦する、というのは……変じゃないかい」
感情の見えない瞳でNはゲーチスに聞く。その言葉に、ゲーチスは怪しげな笑みを浮かべたまま「王。王はそのまま動いてください。その心のままに」と答える。
ジム戦などNがする必要はない。
ジムバッチが無ければ通さないあの場所、そんなものどうにでもなる。ゲーチスは本心を隠したまま、Nに「王。ワタクシにお任せを」などと言いのけるのだ。Nがゲーチスを信じているのを利用して、王の信頼を最も得ている、なんて言いながら計画を進めていた。正直な話、ジムリーダーと闘って、Nに余計なことを言われたら計画が崩れる可能性が出てくる。Nが幼少期より城から出さずに育てられたのは、閉鎖的な空間で、人間と言う存在をシャットダウンさせるため。余計な交流は避けるのが無難だ。
「……任せる」
「それでは……ああ、王。まだ先の話になるのですが、バトルサブウェイという施設をご存知でしょうか」
「知っている。ポケモンたちを無理やり闘わせる施設だろう」
「ええ。その施設にはサブウェイマスターという者がいるらしく……まだ計画としては先なのですが、王。そのサブウェイマスター、どう思われますか?」
Nは暫く黙っていたが、一言。
「……どんな人か見に行ってみる。大丈夫。まだ計画のようなことはしないのだろう」
今回は嫌だけど『客』として。
前に『トウヤ』という人と闘ったが、彼のポケモンは何故か彼を信じているような気がした。いや、実際に聞こえたのだ。ポケモンがトウヤの指示を待つ声が。今までそんなポケモンは見たことが無く、Nの心は揺れていた。
ポケモンは本当に解放されるべきなのだろうか。
そんな、自分の根本を崩すほどに、揺れていた。だからこそ、ゲーチスは一つの賭けに出ていた。
(バトルサブウェイはトレーナーを信じるポケモンは多い。しかし……同時に、ポケモンを捨てるトレーナーも多いのですよ)
廃人に会せれば、Nの心は揺さぶれる、とゲーチスは踏んでいた。
『ノッテタタカウ』なんて掲げた施設、バトルサブウェイ。ギアステーションという施設の半分はバトルトレインと名付けられた、電車内でポケモンバトルを行う。そう教えられて行ったNが見たのは、卵から産まれたばかりのポケモンを捨てているトレーナーだった。これを見せるのがゲーチスの目的だとは知らず、彼は吐き気を催した。
ポケモンの泣き声が聞こえる。鳴き声ではなく、泣き声だ。
ご主人に捨てられ泣いているポケモンをNは抱きしめた。廃人は『良個体値』のポケモンを求め、自分の思うようなポケモンでなければ捨てる。そう聞いていたが、本当だったことをこの目で確かめてしまった。
「人間は……汚い」
Nは呟いた。
「このような場所――――消えればいい」
「お客様、どうかされましたか?」
Nは背が高いが、彼も同じく背が高かった。全身黒色に染められたような制服に身を包み、顔は無表情に近い。
「……あなたは」
「失礼しました。わたくし、サブウェイマスターのノボリと申します」
ギアステーションの最高責任者を務めております、と述べた彼に、Nは怒りをぶつけるように、拳を勢いよく彼に向けたが、それは予想の範囲内だったかのように、簡単に受け止められた。
「お客様。ギアステーション内では暴力行為を禁止とさせて頂いております」
どのような客であっても、地位であっても、それは守ってください、と告げた彼の目は鋭く、Nは生唾を飲み込んだ。
「あなたが……あなたたち人間が、ポケモンを苦しめる!」
「意味が分かりませんが……」
「あなたたちは……産まれたばかりのポケモンを放置して! それなら最初から……捕まえなければ、生み出さなければ幸せなのに!」
この施設では浮いた発言だろうが、Nはノボリに怒りをぶつけた。やはり、ポケモンは解放されるべきなのだ。人間と言う存在がいるから、ポケモンは苦しむ。ポケモンの世界と人間の世界は区別する。白黒はっきりさせるべきなのだ。
「何を言って……っ」
「滅べ、ギアステーション」
その感情の見えない瞳で呟かれた言葉は呪詛だった。
ノボリは久方ぶりに背筋に汗が流れる、というのを経験した。
ボールを持たない青年は、片腕にポケモンを抱いて、目は死んだようなのに声は激情を込めて呪詛を吐いていた。
「僕が必ず――」
解放させる。
その言葉はノボリには届かなかったのだけれど。
「……やはり、ポケモンと人間は混ざり合えない。ポケモンは解放するべきだ」
ギアステーションから帰ってきたNはゲーチスが喜ぶ方向へと進んでいく。
「はい。そうであるべきです」
英雄、伝説のポケモン――ゼクロム。レシラム。
「僕の信念は揺るがない」
その言葉にゲーチスは内心笑っていた。
人の心を持たない化物が信念などと、おかしくて笑ってしまいそうなのを我慢していた。だが、これもゲーチスの計画のためだ。
「お疲れでしょう。休むべきです」
「……そうするよ」
Nが姿を消した後、ゲーチスは笑う。くくく、と笑みを浮かべ、何度も笑った。計画通りに進んでいるのも面白い。Nはゲーチスの操り人形として、ゲーチスの思うままに進んでいる。それが自分の選んだ道なのだと思い込んで。