とある世界の重力掌握
彼女はその能力を応用して、髪の毛を刃物へと変化させて攻撃手段としているわけだが、能力の使い方は、それだけに限定されるわけではない。
彼女が行ったのは実に単純なことだった。伸縮自在、変化千万の髪の毛を自らの身体を包む方で周囲に展開させることで、即席の鋼鉄のドームを作りあげたのである。
正面から迫ってきた雷は、そのドームの外側を凄まじい速度で流れたものの内部にある鞘体にはほとんどダメージを与えることはできなかったのだ。
とはいえ隙間なく全身を覆えたわけではなかったために、完全に防ぎきることはできず、その見た目以上に身体にダメージは来ていたものの、彼女は絶命を免れていたのである。
地面に落ちた黒焦げの物体。それは髪の毛に包まれた状態の鞘だったわけである。
「これで……一人って言うのは、こっちのセリフだから人造神 」
「ぐ………..あァァァァァァァ!! 」
対戦車弾の直撃による火災の光に照らし出される裏路地に、少女の絶叫が迸った。
警備員を名乗る女性、井坂によって掴まれた希の右腕が鮮血をまき散らしながら吹き飛んだ。
その事態に、なぜそれが起きたのかを考える暇もなく、右腕を走る激痛に希は絶叫を上げた。
「この程度で、ぎゃあぎゃわめくンじゃねエよ! 」
再びあの狂気に満ちた表情を浮かべながら、伊坂はその両手に構えたままの短機関銃を再び希に突きつける。
「右手なしじゃあ自慢の斬撃も振るえないよなァ! 」
至近距離から躱しようのない銃弾の嵐が希に向けて放たれる。
当然ながら、道理として、今の希にそれを躱すすべはなかった。
放たれた銃弾はそのすべてが希の身体に向かって進み、直撃した。
その衝撃に押され、希の身体が後方に吹き飛び、あおむけに地面に倒れる。
その吹き飛んだ右手からは鮮血が噴出している。すぐに止血処理をしなければ手遅れになるのは火を見るより明らかである。
もちろん希にその終幕を避ける手段がなわけではない。彼女は魔術師である。当然ながら治癒専門の魔術術式も彼女は扱う、すぐに傷口を塞ぎ、生命力を補充するような大魔術の行使は不可能でも、応急措置程度の魔術なら使用可能だ。だが、そんな余裕を井坂が与えるはずがなかった。
倒れた希に無遠慮に近づいた井坂は、その腹に躊躇いなく蹴りを入れる。
「がは!?」
「がは?じゃないわよ。この程度でくたばるんじゃないわよ 」
まあいつの間にか、普通の、穏やかな笑みを浮かべる表情に戻っている井坂は、希の腹をその警備員専用の特殊ブーツでグりグリと蹴り入れながら、言葉を続ける。
「私たち『カウンター』の復讐はこんな簡単に終わったら困るのよ 」
「カウン…….ター…….? 」
激痛と激しい出血で朦朧とする意識の中、なんとか希は声をひねり出した。
「そうよ。警備員による警備員のための報復組織、それが『カウンター』。そして私たちの今の敵はあなたたち、暗部組織『ウォール』というわけ 」
井坂は 、その右手の短機関銃を希の頭に突きつけた。
「さっきから、あなたに当てていたのは左手の短機関銃から放った、対暴徒鎮圧用の特殊衝撃弾だんだったけど、こちらは実弾よ。どうするの?このままじゃあ、失血死を待たずに頭部を失う無残な死体となって終幕よ?頑張って先生に一矢報いてみなさいよ 」
「く..........! 」
そう言われてもすでに瀕死状態にある希にそんな余裕などあるはずがない。痛みに呻きながら睨むのが精一杯であった。
「そう......あなたは終わることを選ぶのね。先生残念だわ。でも選んだならその意思は尊重してあげる 」
井坂は、機関銃の引き金に力を込める。
「せいぜい、あの世で古門護を恨みながら眺めていなさい。『ウォール』が滅びるさまを 」
井坂の右手の今度こそ実弾装填済みの軽機関銃、それが火を噴こうとしたまさにその瞬間だった。
「警備員のくせになんてやつ!少しは勤務に励んだら?」
幼さを感じさせる女声が響き渡った。
突然の声に井坂の指先の動きが止まる。
「あらあら?どうやってここには入れたのかしら?周辺道路は部隊によって封鎖されているはずだけど? 」
「学生殺そうとしている人間をどう見ればまともな警備員に見えるっていうの? 」
吐き捨てるように呟いたのは青髪ショートヘアーの少女。学園都市暗部組織の一つ『ボックス』の構成員の一人、水無月碧である。
「バンクで調べたわ。井坂久美子。元学園都市内常盤台中学出身、中学時には風紀委員を務める。中学卒業後霧ヶ丘女学院に進学、事後高山大学に進学して教員免許を取得し、柵川中学に国語教師として就職。その後警備員となることを希望し、試験には一発で合格。中学時代からレベル4の強度の能力持ち、能力名は『滑空停止(スリップストップ)』。その効果は『肌から10〜20?の範囲の摩擦を操る』というもの 」
「良く調べているわね? 」
「そりゃあ調べるわよ。だってこれから戦わなきゃならない相手だもん 」
「私と戦うつもりかしらお嬢ちゃん?先生悲しいわ 」
「私はお嬢ちゃんじゃない! 」
刹那、碧はその着込んでいる防弾ベストの各所につけられているペットボトルの内の一つ120ml用を取り外し、一挙動で井坂に向けて投げつけた。
「あら、ごみを投げつけるとかどこまで........」
その井坂の声は最後まで続かなかった、なぜなら碧が放ったペットボトルが突徐空中で爆発したからである。
凄まじい破裂音と爆発音、そして水しぶきに井坂の姿がかき消される。
「.........今のうちに逃げるよ..........ウォールメンバー? 」
地面に倒れたままの希の耳元で、少女の声が囁いた。
すでに息も絶え絶えながらそちらに目をやった希は、一瞬痛みすら忘れ目を見開いた。
なぜなら、すぐそばで彼女の耳元に言葉を囁いたのは、地面から顔と右手だけ出してこちらを見つめる高校生くらいの少女だったからである。
「理屈は後で説明する.....とにかく今は現場を離れなきゃならない。私があなたを下から逃がす 」
そう言うや否や、少女は希の襟首をつかむと同時に、地中に向けて頭から潜った。そう、文字通り、言葉通り潜ったのである。希を伴った状態で地面の中へとまるで海中に潜水を行うかのような滑らかさで彼女の身体は地中に飲み込まれていった。
「こんな程度......効くわけ........!」
「効くわけないことは調査済みよ!これは足止め!一発ぶちかますから後は頼むわよ! 」
理屈不明のペットボトルの爆発による攻撃を受けても、傷どころか、そもそも爆発の衝撃を受けながら吹き飛んでもいない井坂にそう叫びながら、碧は、後方に向けて声をあげながら、その肩にかけていたなにやら大きな機材を肩に構えた。
「RPG7?いや、それは? 」
「そのどれとも違うわ! 」
その旧ソ連製の傑作対戦車ロケット砲に形を似せたそれは、しかしその先端に火薬を詰めてはいなかった。
「ただの水鉄砲よ! 」
刹那、内蔵されている強力なバネにより弾かれた水ロケット砲の弾頭が、勢いよく井坂に向けて飛ぶ。
作品名:とある世界の重力掌握 作家名:ジン