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【静帝】 SNF 第一章

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(ダメだよな、こんなんじゃ。いつかおまえに愛想を尽かされちまう。)
 自己嫌悪に陥って、きつく唇を噛み締めた正臣は、とうとう一歩も踏み出せなくなった――。

「……田くん、紀田くん。大丈夫?すごく顔色悪いよ。気分が優れないなら、無理しないで」
 自分を気遣う、心配そうな帝人の声が、どこか意識の遠くで聞こえる。
 泥沼の思考に嵌まり込んで、上の空のまま惰性で辿っていた覚束無い足取りは、どうやらいつの間にか、本当にその歩みを止めていたらしい。
 声を掛けられて初めて、己がその場に立ち竦んでいた事をぼんやり知覚した正臣が、焦点の合わない虚ろな視線を、正面にまわり込んだ帝人へと緩慢に向ける。
 そこから先は、一連の動作が、まるでスローモーションを体感しているような気分だった。

「ちょっと待ってて。そこの自販機で、冷たい飲み物買って来るから」
 そう言って帝人は慌てた様子で身を翻し、片手でポケットの中の小銭入れを探りながら、今にも駆け出しそうな体勢に入った。
 自分から離れて行こうとする素振りを見せる帝人の片手首を掴んだのは、殆ど無意識下の反射的な行動だったように思う。
 引き止められた事に驚いて、不思議そうな顔で振り返った帝人を、グイっと力任せに胸元へと引き寄せ、当惑に揺れる瞳で不安を訴える視線を無視して、人波を避けながら手近な路地裏に連れ込んだ。 
 びっくりし過ぎて声も出ない帝人の華奢な身体を、雑居ビルの壁に押し付けるようにして包囲し、閉塞感に満ちた二人だけの狭い空間に閉じ込める。
 出口に面した表通りからの人目を気にして、そちらに意識を散らす帝人が許せず、すべての視界から遮るように、一回り小柄なその身体に覆い被さって、離すものかと両腕できつく掻き抱いた…。

 親の都合で引っ越して、離れて過ごした中学時代――。
 憧れの都会生活は、とても魅力的で刺激に満ちていたけれど…隣りを見ても、そこに帝人の姿が無いことは分かってたから、只ひたすら前だけを向いて我武者羅に突っ走り続けてた。
 粋がって、いっぱしのリーダー気取りで息巻いて、“あの男”の無邪気な悪意に足元を掬われつまづくまでは、意図的に帝人とは距離をとって、チャットだけの交流に止めてたのに…。
 転倒したまま不様にうずくまり、足掻いても暗闇から抜け出せずに途方に暮れていた時、救いを求めてふと見上げた夜空に、ひっそりと幽かな淡い上弦の月明かりを灯して、仄かに足元を照らしてくれた、大切な大切な幼馴染――。
    《 歌っておくれ、ナイチンゲール。私のそばで、私のために 》

 どれ位の間そうしていたのか…手にした帝人の温もりに安堵して、先程までの焦燥感が薄れてくると、途端に、己が衝動のままに仕出かした大胆すぎる行動の一部始終が、フラッシュバックで押し寄せてくる。
(だぁあ〜〜っっ!何やってんの、オレ!やっちまった?また、やっちまったのか?オレぇ〜〜っ!!)
 嗚呼、どうしよう…かなり、気まずい。
 ガバリと抱きついた体勢まま、心中でだらだら冷や汗を流しながらパニック状態で硬直する正臣に、胸元でぞもぞと身動ぎながら帝人が、「もしも〜し。そろそろ正気に返って来ましたか〜?」なんて、ひどく場違いな、緊張感の欠片も無いのんびりとした口調で話し掛けてきた。
「ねぇ、紀田くん。そのまましがみ付いてて良いから、ちょっとだけ腕の力を緩めてくれる?」
 何だかもう、色々いっぱいいっぱいで、混乱と動揺に取り乱した心情のまま恐る恐る顔を上げれば、迎えてくれたのは、ちょっと困ったように微苦笑する帝人の、綺麗な綺麗なふたつの瞳。
 何か言わなくてはと思うのに、どう言葉にすれば良いのか分からなくて…しどろもどろに片言を発するしか出来ないオレに、帝人は「怒ってないから」と伝えるように優しく目を細めて、そっと後ろに回した手でオレの頭を引き寄せた。
 導かれるまま帝人の肩口に顔を埋め、小さく「ごめん」と呟けば、幼子を褒める調子で「よしよし」と頭を撫でられる。
 ガキ扱いは止めろと抗議の意を込めて、額をぐりぐり押し付けてやれば、あやすみたいに背中をぽんぽんと軽く叩かれた。
「なんだか、小さい頃を思い出すね」
 ふふっ、と懐かしそうに囁いて、頭を撫でてくれた手でゆったりとオレの髪を梳きながら、帝人は昔の…今はもう、過去となってしまった幼き日々の情景を追想する。
「紀田くんってば、あの頃も今も、無駄に元気で…。僕が「待って」って言ってるのに、一人でどんどん先に駆けてっちゃって…」
 そこで一旦途切れた言葉は、一呼吸置いて、小さくぽつんと紡がれた。
 “置いてきぼりにされるのは、いつも僕の方だった”と――。
 背中に添えられていた手が、きゅっと正臣の衣服を握り締める。
 きつく掴んだ指先が、ずっと隠してきた帝人の“本音”を伝えてくるのが切なくて…もう一度、そっと腰に腕を回して、やんわりと華奢なその身体を包み直した。
(ああ…帝人が寂しがってたなんて、思ってもいなかったオレは、とんだ大バカ野郎だ。)

 「まーくん、まーくん」って呼んで、必死に後を追いかけて来てた、ちっちゃな帝人。
 一生懸命な姿が可愛くて、その瞳が自分だけを見てくれるのが嬉しくて…つい調子に乗って疾走し、全力で駆けてたことに気付いて振り返ってみれば、いつの間にか帝人の姿はうしろに無くて…。
 「なんで、ちゃんと付いて来ないんだよぉ〜」って泣きながら駆け戻ってみれば、路傍の石にちょこんと腰掛けた帝人が、「だって、疲れたし。ここで待ってれば、まーくん、慌てて戻って来ると思ったから」なんて、冷めた事を言ってくれちゃったりするもんだから…。
 淡々とした態度に傷付いて、「帝人のばか〜っ!」って責めながら、わんわん泣いてしがみ付いた。

 あの時…帝人は、一体どんな想いで、オレが戻るのを待ってたんだろう。
 はぐれた時点で、そのまま見捨てて、家に帰ってしまう事だって出来たのだ。
 いつ戻って来るかも…もしかしたら帰って来ないかも知れないオレを、独りぽつねんとその場にしゃがみ込んで、只じっと待ち続けていてくれた、在りし日の小さな帝人。
 小さな胸を不安で一杯にしながら、それでもお前は、オレが戻ってくると信じていたんだろうか。

 上京してきた帝人を駅まで迎えに行った時、再会したオレを見て、「すっかり垢抜けていて、直ぐには誰だか分からなかった」と言われ、「オレはひと目見て分かったのに、薄情な奴だ」と、たわいない軽口のつもりで揶揄した言葉に、帝人は傷付いたように眉を曇らせて、物悲しげに微苦笑してはいなかったか?
 しかも、数年ぶりの感動の再会だというのに、“紀田くん”なんて他人行儀な呼び方をして…。
 「なんで“紀田くん”?」と詰問すれば、「さすがに高校生にもなって“まーくん”呼びは、子供っぽすぎるでしょ」と気恥ずかしそうに返されたけど、「じゃあ“正臣”って呼べばイイじゃん」って主張すれば、帝人は……帝人は、ただ曖昧に誤魔化して、呼称を明言するのを避けていた。
 それは、何故だった?帝人が余所余所しい態度をとった理由は、きっと何処かにあった筈だ。
作品名:【静帝】 SNF 第一章 作家名:KON