【静帝】 SNF 第五章
傍観者たちの生ぬるい視線の先には、あどけない“間接キッス”のおまじない効果一つで、お手軽に舞い上がって、あっさりタバコを断ち切った単純男と、その想い人たる“天然たらし”な子供の情景…。
胸焼けしそうな甘ったるい空気をふわふわ漂わせて、仲睦まじく人前でイチャついてくれてる熱愛カップルを、まばゆげに憧憬の瞳で眺めながら、保護者二人は暫しまったりと快い沈黙を共有した。
* * *
「…こんな事を話しても、兄ちゃんには言い訳に聞こえるかも知れねぇけどな?」
幸せそうな恋人たちを見詰めたまま、独白めいた呟きでやおら胸の内を語りだしたトムを、ちらりと軽く一瞥してすぐに視線を元へと戻し、正臣は無関心を装いながらも静かに耳を傾ける。
子供…竜ヶ峰帝人と、悪名高き《地獄の取立コンビ》と畏怖される男達との出逢いは、たまたま通りすがっただけの偶然的なものだったという。
何となくの成り行きで、気紛れにささやかな『縁』を持ってしまったが…その夜限り、泡沫の夢と互いに割り切って、行き摺りの関係のままに終わらせた「一期一会の邂逅だった」と、男は告げた。
奇妙な運命の巡り合わせを感じさせる出逢いだったが、所詮は住む世界の違う“向こう側”の存在と隔てを置き、それから幾度か遠目に子供を見掛けた折にも、あえて係わりを持つことはしなかった。
「俺等みたいな、堅気の枠から外れた“与太者”風情と親しくしたって、あの子とっちゃ何一つ歓迎すべき事なんか起こらねぇ…っつ〜のは分かってたからな」
自嘲の笑みを薄く浮かべて、「本当は、俺等に深入りさせるつもりも、あの子を深追いするつもりも無かったんだが…」と、後悔を滲ませて漏らした言葉は、きっと偽らざる男の本心だったのだろう。
それでも、避け得ぬ『偶然』は又しても彼等の運命を交差させ、抗いがたい引力を拒めぬまま、二度目の邂逅で更に気心の知れた間柄となってしまった時――男は、改めて境界線を引き直し、厳粛な面持ちで「踏み越えてはならない」事を子供に諭して、戻るべき明るい場所へと押し返した。
けれど、子供の将来を慮って遠ざけた苦渋の決断は、結果的にじわじわと子供の心を寂寞へと追い詰め、不測の事態を生じさせた。
「飼うつもりも無ぇのに、路地裏で見つけた毛色の変わった見慣れぬ子猫に、興味本位で情けなんざ掛けちゃイケねぇよなぁ?途中で放り出すくれぇなら、端っから手なんか差し伸べるべきじゃあ無かった。…んなこたぁ、分かってた筈なのに」
大人びた考えを持つしっかりした子だったから、対応の仕方を見誤った。
仮初めの団欒が愉しいひと時であればあった分だけ、刹那の夢から醒めた後のわびしさは、まだ幼い齢15の子供にはキツかっただろうに…。どうしてあの時、そこまで思い至ってやれなかったのか。
せめて、二度目の夜の別れ際、また“いつか”の邂逅を仄めかして、淡い期待を抱かせたまま距離を空けてやっていれば…あの子は寄る辺のない心許なさに、絶望を覚える事も無かったのだろうか。
じゃあ又な…と再会を約束してやる事もできず、じゃあ元気でな…と明確にサヨナラを告げてしまうのも惜しまれ――結局、「…じゃあ、な。」と曖昧に濁して、一方的に大人のエゴを押し付けた。
「テメェらで懐かせといて、慕ってくれた所で『危ないから、もう係わらない方がイイ』だなんて、残酷にも程があらぁ。…弄んだと非難されても、弁解の余地すら無ぇわな」
聞き分けの良い分別顔で、仕方が無いのだと諦めたように「おやすみなさい」とだけ囁いた、子供の寂しげな微笑みが、あの夜の記憶を呼び起こす度に、今も痛ましく胸に深々と突き刺さる。
三度(みたび)訪れた邂逅は、もう偶然ではなく『必然』による帰結だった。
あの子の異変をいち早く嗅ぎ取った相棒が、迷いを振り切って駆け出し、大事に至る前にどうにか保護できたから良かった様なものの…もし、一歩及ばず「最悪な結果になってたら」だなんて、考えただけでもぞっとする。
あんな肝を冷やす体験は二度と御免だと、その夜、罪悪感ごと全てを“背負う”覚悟を決めた。
感情を押し殺した凍える瞳で虚ろに自分達を見上げた子供が、やがて緊張の糸が切れたように昏昏と深い眠りに落ちた姿を見届けた時――たとえこの先、累が及んで危険な目に遭わせてしまったと、後悔の念に駆られる日が来ようとも…もう決して、この子を独りきりで寂しく忍び泣きさせる事だけはすまいと、静雄と二人で誓いを立てた。
「まぁ、あの子の《危険ホイホイ体質》に気付かされてからは、俺等の巻き添えにするリスクの方が、まだ“一人歩き”させとくよりゃマシだって、開き直った…っつ〜か、悟らされたってのも有るんだがな」
よくよく“お取込み中”の場面にばかり出くわす子供だとは思っていたが、好ましくない状況に陥るのは「いつもの事なので、もう慣れました」と、飄々とした口調で日常茶飯事だと明かしてくれる危機感の薄さに、「今まで無事で居られたのは、奇跡だな」と、本気でめまいを覚えたのは記憶に新しい。
わざと絞り込んでるのか?と勘繰りたくなる位、次から次へと物騒な“お友達”さんばかり選り抜いて、いつの間にか仲良し小好しになってたり。
(“その筋”のご隠居たちの、マスコット的存在になってるのを知ったときゃ〜さすがに度胆を抜かれたわな。もっとも、老いたりといえども今もって頼もしい爺さん達に、蔭ながらこっそりと庇護されてたからこそ、今までどうにか無事だったんだろうが…。)
何を根拠に言ってるのか、本人は「これでも人を見る目はあるんですよ?」と主張してるが、もうちっと他人に対して警戒心を持たなきゃ駄目だべ!と、ここひと月の間に幾度忠告したか数知らず。
好奇心旺盛な子猫そのままに、あっちへ探索に出掛け、こっちへ迷い込み…。(そもそも、何でわざわざ治安の悪い方へと足を向けて、ちょこちょこ歩き回ろうとするかなぁ〜あのお子様は!)
トムの中での認識が、《危なっかし過ぎて目が離せない子》から、《目を離すと危ないから、手元に置いとかなきゃダメな子》に下方修正されるまで、さして時間を要さなかったのは言うまでもない。
「…そういやぁ、一部の悪ガキ共の間で、あの子が『伝説のカモ』って呼ばれてるなぁ〜知ってっか?」
如何にも鴨りやすそうなひょろっこい“見て呉れ”に反し、未だかつて誰もカツアゲに成功した例(ためし)のない、難攻不落のひ弱な“カモ”!
ありえない確率で邪魔が入る強運っぷりも然る事ながら、余りに侘びし過ぎる財布の中身に思わず哀れを誘われ、どうしても非情になりきって“はした金”を巻き上げる事が出来なくなってしまうらしい。
庇護欲をそそるつぶらな瞳で縋るように見詰められては、腹いせに殴るのも躊躇われ、やりにくい事この上なし…と、今では「貧しきからは奪わず」を合言葉に、ここら一帯のカツアゲ君たちから『カモ未満』認定され、暗黙の総意で見逃されてる実情を、知らぬは当人ばかりなり…だ。
「実を言うと、うっかり二度目の係わりを持っちまったのも、とんでもない場面に出くわしちまった所為でなぁ〜。まともに頭が働かねぇまま、気付けば、あの子に流されてたっつ〜か…」
作品名:【静帝】 SNF 第五章 作家名:KON