【静帝】 SNF 第五章
「あぁ…そうそう。“その筋”の方面は、爺さん達の肝煎りで、既に話(ナシ)は付いてっから」
そっちも、心配しなくてもイイぞ〜?と、軽い口調で、さらりと不穏当な内情を暴露して下さるトムに、ふっと遠退きかけた意識を辛うじて保ちつつ、正臣は「…はぁ。」とどうにか一言、か細い応えを返す。
『荒ぶる破壊神を宥(なだ)めせし、鎮魂(たましずめ)の御子(みこ)に触るるべからず』
いかにも年食った爺さん達の考えそうな古めかしい言辞だが、今風に置き換えるなら、『ブチ切れた静雄を鎮められるのはあの子くらいだから、“切り札”には手ぇ出すな!』って感じの意訳だろうか。
長老会の下知は、絶対だ。組に属する者に限らず、街のごろつき・半端者の集団に至るまで、彼等の厳命に背く命知らずは、ただの一人たりとて『粟楠』の“島”内には存在すまい。
何故そこまであの子供に肩入れするのか尋ねたトムに、老人たちは「同胞(はらから)の一人が、あの子の灯してくれた小さな希望に、虚無の淵から救われた」のだと語ってくれた。
身内の受けた恩義には、総勢でもって報いるが筋――。
そんな昔気質(かたぎ)の義理人情を重んじるご隠居たちが、彼らの面子(メンツ)にかけて「万難を排する」と請け負ってくれたのだ。これ以上の頼もしい味方は、彼等をおいて他に無かった。
四度目の夜、あの子が齎してくれた優しい時間に、ささくれ立ってイラついてた心を宥められた自分達が、忘れ掛けていた温かな気持ちを思い出したように…老人たちも又、あの子の中に安癒の“光明”を見出したのだろうか…。
――誰よりも、陽だまりの似合う“向こう側”の子供は、けれど夜の住人をこそ惹き付けた。
月が「夜出るのは何故か」と問われ、「暗い夜道を照らすため」だと答えたという、有名な話がある。
あの子を『月』に見立てるなら、重ね合わせるは《上弦の月》の控え目な淡い光が似つかわしいと、心を奪われた特別な夜に、家路を辿りながら敬虔な気持ちでトムは思った。
陰に隠した『闇』までをも煌々と照らして暴き立てる、毒々しい《満月》の押し付けがましい明るさではなく。さりとて、刺すような鋭さで古傷を抉る、寒々しい《三日月》の冷酷な薄明かりでもなく…。
お天道様の下を真っ当に歩き損ね、裏街道を往くしかなかった暗闇に潜みし『獣』たちが、仄かに足元を照らしてくれた淡い光に惹かれて、ふと見上げた夜空にひっそりと浮かんだ、弓張り月のような優しい存在…。
「あの子の中に“癒やし”の月明かりを見ちまった者(モン)は、惹き寄せられる運命からは、逃れられなくなる。まるで、古(いにしえ)からの定め事だったかのように…な」
掛けていた眼鏡を外して、おもむろにレンズを拭き出した男は、うっすらと裸眼を細めて「…で?兄ちゃんも、あの子が“お月様”に見えちまったクチかい?」と、含みのある問い掛けをほうった。
真っ当に歩いてたなら“お日様”だと譬(たと)えたろう。暗夜の灯にイメージを重ねた時点で、正臣の運命もまた、月に焦がれる前途が定まってたのかもしれない。
黙秘を応えとして言明を避け、曖昧な笑みを切なそうに浮かべて視線を逸らした少年に、それ以上の詮索は無粋と判じ、トムは悼むようにひっそりと瞑目しながら静かに眼鏡を掛け直した。
「あ〜まぁ…アレだ。月を眺めて楽しむなぁ〜古来よりの習わしだ。別に悪いこっちゃねえよ」
月見に寓意を込めて「想うだけなら自由だ」と言外に仄めかし、老人たち曰くの《鎮魂の御子》に魅せられしその他大勢に釘を刺した時と同様に、トムは「“触るるべからず”…だがな」と付け足した。
本当に取り除くべき不安要素は、静雄を逆恨んで吠えてるだけの“負け犬”連中なんかじゃあない。あの子自身がホイホイ惹き寄せまくってる、不届きな猥りがわしい“不埒者”共の方だ。
西洋では、古くから月が人を狂わすと信じられてきた。月(ルナ)によって狂った人間を『ルナティック』と呼ぶようになった語源は、その思想に由来する。
月に惑わされ「魔が差した」と供述する犯罪者が多いように、あの子にハレンチな痴漢行為を働いた不逞の輩は皆、口を揃えて「子供が男だと分かっていても、妙な気分にさせられた」のだと自白した。
女は恋をすると綺麗になると言うが、あの子の場合、静雄と出逢って初めて知った恋の作用で、悪い虫を誘い惑わす、妖しいフェロモンを放出する様になってしまった。…そんな気がしてならない。
まだ綻び始めたばかりの“蕾”の内から、既にこの状態だ。咲き初めた花が今を盛りと見頃を迎え、甘やかな芳香を放つまでに成熟した時を思うと――今から頭を悩まさずには居られないトムだった。
「本来なら、男同士の恋愛なんざ、余り大っぴらに触れ回るモンじゃねぇんだろうが…。スケベったらしい変質者どもの横行を戒める為にも、この際、あの子が『誰』の宝物なのかを、きっちり知らしめといた方が得策かと思ってなぁ〜」
一応、当人たちの了承を得た上で、「二人が恋仲だと吹聴させて貰った」と、噂の出所が己である事を明かしたトムに、池袋において彼等が既に《公認カップル》扱いになってた背景を知らされる。
自分より格下の《並》の男が相手なら、出来心を起こしてその恋人に卑猥なちょっかいを掛けようとする、けしからん馬鹿が現れないとも限らないだろう。
しかし、相手の男が《平和島静雄》となれば、話は別だ。そういった輩に「あの子にゃ手を出すな」と脅しを掛ける意味でも、多方面に渡って有名すぎる静雄の名は、“抑止力”として有効だった。
「毒をもって毒を制す…って言うべ?あの子の誘惑フェロモンに当てられてサカった、危ねぇ変態野郎どもには、ヤバさで更に上を行く《最たる危険人物》チラつかせて、威嚇するに限る!ってな」
利用価値のある『悪評』しょってる奴で、ホント助からぁ〜っと、策士の顔でしれっと嘯(うそぶ)く。
悪し様に言いたい放題くさしているが、気が置けない砕けた間柄だからこそ、遠慮なく己の認めた相手を扱き下ろせるのだろう。信頼に基づいた確かな《絆》をそこに感じる。
『口で貶して心で褒める』的なトムの態度が、何だか『ウチの子自慢』のノリで平和島静雄について語っていた帝人の姿に重なって、ひどく微笑ましい気持ちに正臣をさせた。
「あんたの話聞いてっと、ホイホイ体質の帝人が《規格外のでたらめ男》と出逢ったのは、ただの偶然なんかじゃなくて、天の配剤による『運命』だったんじゃないか…って思えてくるな」
男に子供の癒しが必要だったように、子供にも男の庇護が必要だった。
巡り逢うべくして邂逅し、恋に落ちるべくして惹かれ合った――そんな二人に横槍を入れようとする無粋な輩は、陰ながらその幸せを見守る《保護者》の手によって秘密裏に、男が「ちょいとばかし」とのたまう所の“気の毒”な目に遭わされるのだろう。
「…あんた、おっかな過ぎ!ぜってえ存在自体が“脅威”だっつ〜平和島静雄と張るレベルで、あんたも《敵に回しちゃいけない男》だって、陰で呼ばれてるに違いねぇ!」
作品名:【静帝】 SNF 第五章 作家名:KON