実らずに終わった恋は、
***
「ううううううううわああああああああああああああああああああ!!!!!」
ブランデンブルグの城中に響きわたった悲痛な叫びは、そのまま窓を突き破って、はるか下方の地面に落ちていった。
「え?ちょ、プロイセ、えええええええええええええええええええ!!!??」
ハンガリーが慌てて窓に駆け寄り見下ろせば、十数メートル下の植え込みに墜落した銀髪頭は、木の葉やら枝をくっつけながら猛烈な勢いで厩へ駆け出し、
「あああああああああああああああああああああああああああ」
全速力で馬を駆り、土煙を上げながら遥か地平線の向こうへ消えていった。
見られた。
こっそり描かせた肖像画に夢中でキスしながらオナってるのを見られた。オカズにしてる本人に見られた。それなりにガタイは成長したとはいえ、まだまだ思春期真っ盛り多感なお年頃のプロイセンにはあまりに過酷な事故だった。
「おれさまちょうかっこわるいぜええええええええええええええええええ」
絶望に打ちひしがれ、泣きじゃくりながらひたすらに夜道を疾走する。
その時、そんな彼の耳に、信じられない声が飛び込んできた。
「まああああああああてえええええええええええプロイセええええええン」
「ヒィッ!??」
スカートを靡かせ白馬にまたがったハンガリーが鬼のような勢いで追撃してきたのである。
さすがは元騎馬民族。あっという間に距離をつめられ、彼女はプロイセンと併走しながら叫ぶ。
「待ちなさいってば!」
「うるせえ来るなばかああああああ」
プロイセンは加速する。神の名にかけて、もと聖職騎士団の誇りにかけて、今止まるくらいならいっそ滅ぶ。滂沱の涙を風に吹き飛ばし、ただひたすらに馬を走らせる。持久戦で逃げ切るつもりだった。ハンガリーの乗る軽騎用の馬は足こそは速いが、スタミナではプロイセンの馬のほうが優れている。このまま走り続ければいずれ逃げ切ることも可能なはずだ。
「チィッ」
ハンガリーはそのたおやかな外見に似合わない舌打ちをひとつすると、愛馬の首筋を軽く叩いて合図した。人馬の呼吸が一体になった。ハンガリーはぐっと鐙を踏み込み、鞍に足をかける。そしてあろうことか、彼女は全力で疾走する馬の上で立ち上がり、
「ハッ!!!」
ひらりと跳躍して、プロイセンの馬に飛び乗ったのである。
「えええええええええ嘘おおおおお!!!!!」
「…っ、ああ~良かった成功成功。意外にまだ出来ちゃうものね」
逃げられないようにプロイセンを背後からがっしりと抱きかかえ、ハンガリーは、つい先程離れ業をキめた人物とは思えないほどのんびり言う。
「ば、おま、降りろ、ばかあああああああ」
背中に密着され、顔面を赤と青にめまぐるしく染めながらプロイセンがわめく。ハンガリーはさもおかしそうに笑う。
「ふふっ、あきらめなさいな往生際が悪――って、プロイセン!前!!」
木立を突っ切った先、地面が消え、月明かりに揺らめく水面が口をあけていた。
ばっしゃーん
「ぶえーーーくしょい!!!」
盛大なくしゃみに、眠っていた鳥たちがばさばさと水面を乱して飛んでいく。揺れる水面を、月明かりが静かに照らしていた。
「風邪引いちゃうわよ、ほら」
長い髪をしぼりながら、ハンガリーが乾いた布と毛布を差し出してくれる。彼女の馬にくくりつけてあったのだろう。先ほど彼女と共に曲芸じみた業を成し遂げた愛馬は、泉のほとりでのんびりと草を食んでいる。
よく訓練されたいい馬だ。いつか主人ごと手に入れてやる、と半ば八つ当たり気味の物騒な算段を胸に、プロイセンは毛布にくるまる。
頭はとうに冷えていた。というか、もう色々どうでも良くなった。すべてが終わってから、ひとりで思い切り泣こう。
悲痛な決意を固めるプロイセンの耳に、のんきな少女の声が入る。
「ねえ」
「ああ?」
「さっきみたいなの、いつもするの?」
「しっしししし、しねええええええええよばかああああああああああああああ!!!」
真っ赤になってわめき始める様子に、ハンガリーはますます興味深そうに身を乗りだす。
「やっぱり気持ちいいの?」
ぼふうと吹きだして地面に突っ伏すプロイセン。うずくまったまま唸るような小声で。
「…だから…し、小便みたいなもんなんだよ。出さねえと身体に悪いだけだ」
「そうなの!?じゃあ、毎日あんなことやってるの?」
「すすすすすするわけねえだろ毎日とか!!」
嘘だった。朝晩二回は日課だった。おかずはいつでも彼女だった。自分でもちょっと異常かもしれないと、本当は人知れず悩んだりしていた。
「でででも仕方ねえだろ!か、体は人間と同じなんだから、その…どうしようもなくなったり、こう…ムラムラっつーか…好きな女のこと、考えたり」
言いかけて、プロイセンははっと口をつぐむ。
「いや、ないけどな?すすす好きとか!好きな女とか、あるわけねえけどな!?俺ら『国』だし!」
「そんな気にしなくていいわよ。うちの若い兵士とかだって夜営中盛り上がってノリでとばしっこしたりとかいう話も」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおま、おま、慎みを知ればかやろおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
プロイセンは両手で顔を覆って背を向け絶叫する。ハンガリーは身を折り曲げるようにしてくっくっと笑う。
「おおおおま、笑ってんじゃねえよ!」
「ああ、悪い悪い。ごめん――ああ、こんな、笑ったの、久しぶり」
「そもそも!おまえ、なにしてんだよ。こんなとこで!!」
彼女は今、オスマンとハプスブルクにその身を分断され支配を受けている。二つの巨大な帝国が、ぶつかりあう最前線、それが彼女の身の上だった。
「暢気にしてられる状況じゃねえだろうが!?」
「――うん」
唐突に、ハンガリーが笑いやんだ。
怪訝に振り向いたプロイセンは、かすかに息を呑む。
笑顔を消した白い横顔は、知らない女のようだった。
作品名:実らずに終わった恋は、 作家名:しおぷ